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その後は、ゆっくりお茶屋さんで雑談したり、庭園を見て回ったり、庭園にある神社でお祈りなんかをしたりして、まったり過ごした。
もちろん、それにかまけてすみれの危機に気付かないなんてことがあれば、それは最悪なんてものじゃないので、適宜声をかけてみたのだけれど、すぐに一言「大丈夫」とか「ああ」とか「うん」とか返ってきていたので、どうやらその心配はしなくてもよさそうだった。
「はー! 楽しかった!」
庭園に併設されている神社の階段を下りてから、菊乃は、あの冷静な菊乃からはこれまで聞いたこともないような大きな声と見たこともないような笑顔で、そう伸びをした。
空はすっかり青色から赤色に変化している。もうまもなくすれば暗闇に包まれてしまうだろう。それは消える直前の蝋燭を思わせた。
「本当に楽しかったわ。こんなに楽しかったのは、過去から帰ってきたマーティのおかげでドクが銃撃を免れたのを見たときくらいよ」
「そんな大げさな……というか、例えが全然分からない……」
茶屋の前の滝に向かっているのか、ずんずんと先を歩く菊乃の背中にそう呟く。例えがマニアックすぎていまいち喜んでいるのか判然としない……。
艶やかな黒髪が、赤い光に照らされ揺れている。まるで髪ではなく、粒子が髪の形に化けているみたいだ。
滝の前に着いたあたりで、菊乃は足を止めた。
すると、髪の揺れも収まり、その代わり、というわけではないだろが、振り向いた菊乃の顔、その顔の揺れる瞳が、僕を射抜いた。
「ううん。大袈裟じゃない。本当に、一番楽しかった。私の人生の一番の、思い出」
「…………」
「ねぇ、累、見てほしいものがあるの」
「……見てほしいもの?」
頷くと、菊乃はロングスカートのポケットに手を入れ、スマートフォンを取り出した。そして二回ほどタップをすると、その画面を上にして、僕に向け、見せてくる。
「……! これ……」
その画面は、一枚の写真だった。
いや、写真というと、正確ではない。
それは、一枚のスクリーンショットだった。
LINEのトーク画面の、スクリーンショット。
送り主は蓮、そして受け手は、すみれ。
画面に映っている時刻は今日の午前11時40分。
そこには、こう書いてあった。
――『「さっさと告っちまえ。でなきゃ、俺と同じになっちまうぜ」って菊乃に伝えてくれ』
「ごめんさない。累たちが起きてこないから起こしに行ったって言うのは嘘で、本当はすみれに起こされて、この写真をすみれに見せられたから、累を起こしに行ったの。すみれが言うには、このメッセージが送られて来た直後、蓮のラインのアカウントが消失したらしいわ。きっと、ドッペルゲンガーに消される前のダイイングメッセージだったんだと思う。嘘をついてごめんなさい。でも、『その時』が来るまで、これを見せるわけにはいかなかったから。——だけど、今がその時」
菊乃はスマホをそっとポケットにしまう。
そして、
「狗奴累君」
そう、僕の名前を呼んだ。
滝の流れる音が聞こえる。
決して小さい音ではない。しかし、そんな中にあっても、不思議と、まるで脳内に直接語りかけられているかのように、菊乃の声は滑るように耳に入ってくる。菊乃は祈るように、両手を胸の前で握りしめた。
「ずっと、ずっと、ずっと前からあなたのことが好きだった。わがままな私のオタクな話にも嫌な顔せず付き合ってくれて、蓮と喧嘩した時はいつも仲直りさせてくれて、私だけじゃなくて目の前で誰かが困っていればすぐに助けてあげる、そんな誰にでも優しいあなたが大好きだった。けど、そんなあなたに一つだけ、私は残酷なお願いをさせてほしい」
小さく息を吸い込み、菊乃は小さく頭を下げた。
「私だけのものに、なってください」
夜が、世界を覆い始めた。
庭園にはライトアップの設備があるらしい。滝壺の囲いの左右から光が照らされ、顔を上げた菊乃の姿も一緒に照らし出す。
風が吹く。
ロングスカートと絹のような髪が右に靡く。
前髪から覗く切れ長の瞳は、僕を捉えて離さない。
綺麗だ。
多分、今、この世界の、どんなものよりも。
「ありがとう。菊乃。すごい、嬉しい」
思い出す。
これまでの菊乃との思い出を。
蓮と一緒に遊んだ小学校の時の公園。
一緒に帰って、ちょっと照れ臭かった中学校の帰り道。
コミケ後の打ち上げ。三日前の夜。
そして、今。
僕にとって、大事な人だ。いとおしいとも思う。
だけど、僕は、その手を取るわけには、いかない。
なぜなら、
「でも、ごめん。僕、好きな人が『いたんだ』。それを、『思い出した』」
「……!……うん。知ってる」
菊乃は一度、俯き、小さく胸を押さえる。
けど、すぐに顔を上げると、そこには輝く笑顔があった。
笑顔以上に輝く、ちりばめられた雫と共に。
「……帰ろっか」
「そうね。すみれも気にしてるでしょうし」
戻ればきっとすみれは驚いた振りはするだろう。
しかし、それはもちろん振りであることは、鈍い僕でも分かる。けど、それを取り立てて非難するようなことは僕は決してしないだろう。
これはすみれと菊乃の利害関係を超えた、女の友情というやつなのだから。
旅館に帰ると、僕たちはすっかり元気になったすみれと眠くなるまで話し込んで、そして最低限の食事と風呂を済ませて交代制で寝ることにした。
すみれに勧められ、僕が一番最初に寝ることになる。
女子二人に見られながら就寝という、なかなかな環境だったので寝られるかどうか心配だったのだけど、幸いなことにというか残念なことにというか、すぐに眠気はやってきた。
そして当然のように、眠りに落ちる。
そして当然のように、僕は――夢を見た。
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