第一部 希——のぞむ
「あー、もう明日の終業式行けば夏休みかー。嬉しいけど、年々時間が過ぎるのが早くなっちゃってるのを実感するのは嫌だよねぇ。これが歳をとるってことなのかなぁ」
七月終盤。
憂鬱だった期末テストも終わり、どこか弛緩した空気の漂う放課後。
高校からの帰り道。
夕方になっても練習を怠らないプロの鏡であるセミの大合唱団の歌声を鑑賞しながら、すみれはそんな、それこそ地上での命が一週間しかない蝉さんに聞かれれば大激怒されそうなおっさんくさいセリフを、間延びした声で遠慮なく口にした。
最近、何故だかすみれは頻繁にこういう台詞を口にするようになった。
もともとひょうきんな性格なのでそういうキャラにはまっているだけなのかもしれないが、しかし、まだまだジャネーの法則を実感するような年齢でもないだろうに。
「あ、そうだ」
と、僕が抗議の代わりに無言で肩を竦めていると、また何か悪いことでも思いついたのか、すみれはそんな僕を無視して、相変わらずのおきゃんなコントラルトボイスを発し、普段から大きな目をさらに大きくかっぴらき、そして、それをこの夏の日差しより輝かせる。
「夏休み! 夏休みだよ! 累! 今回はどうしよっか!? やっぱりまた皆でゲーム作る!?」
「近い……」
だるまさんがころんだみたいな感じで、一文口にするごとに距離を詰めてこないでほしい。
バインバインと、バネでも仕込まれているのか、押し返しても押し返しても、すみれの白髪が垂れるおでこは何かのおもちゃみたいに跳ね返ってきて、一向に離れない。
まったく……付き合っているわけでもないのだから、そういうのを人前でしないでほしいといつも注意しているのに……馬としのぎを削り合うほどの立派な耳をお持ちなのか、改善の兆候は一切見受けられない。そりゃ、期末テストも悲惨な結果に終わるわけだ。……いやまぁ、別に僕も、そんなすみれを本気で嫌がっているかと言えば、そうでもないのだけれど……。
「二人とも静かに。周りの人に迷惑でしょ」
と、そんな風に僕達がいつも通りであってほしくない、いつも通りのじゃれ合いというか不毛な押し問答をしていると、またいつものように小さい咳払いと共に冷ややかな声音が、まるで針の孔を通すようにあまりにも綺麗に入ってきた。
さしもの太陽をエネルギー源としているかのようなすみれも、その絶対零度の声音には敵わなかったのか、僕から離れ、その声の主がいる斜め後ろを振り返る。
僕たちの後ろを歩いている三人のうちの一人。
黒髪のスタイルのいい美人――星海菊乃だ。
知的な顔立ち。
すらりと長い手足。
そして、真夏の太陽光に最も映えると言っても過言ではない艶やかな黒髪。
彼女が一歩動くたび、その切れば非常時には救命ロープとして使えそうなほど長い黒髪が、初夏の風にきらめいている。
……けど、どうしてだろう。
そんな彼女の瞳が、今は救命と言うより、どちらかと言えば命を奪いそうな眼つきで、僕を見つめているのは……。
たしかに他の歩行者の方もいる中で騒いでしまったのは迷惑だったかもしれないけれど、どっちかって言うと僕は被害者のはずなんだけれど……。
菊乃は結構長い間僕を、せっかくの娘の誕生日パーティの最中にやってきた訪問販売に父親が向けるような大変お気持ちの籠った視線で以て見つめてきていたけれど、やっと機嫌を直してくれたのか、それともどうでもよくなっただけなのか、とにかくはぁと大きく溜息を吐くと、
「まぁ、別に私はやってもいいけど。ゲーム作り。なんやかんや、去年は楽しかったしね」
わずかに口角を上げ、そう微笑む。
去年。
その言葉を受けて、僕は一つの行事を思い出す。
去年の今頃。
つまり夏休み。
僕は、僕とすみれと菊乃、そして今後ろを歩いている金髪イケメン野郎こと弓弦羽蓮と、大人しめゆるふわ茶髪少女、越谷ひまわりの計五人で冬の12月に行われるコミックマーケットに出品するべく、ゲームを作り始めたのだ。
すみれが監督。僕が編集やプログラミング。すみれがプロデューサー。小説家を目指している菊乃が脚本。ミュージシャンになるべく動画投稿サイトに曲をアップしている蓮がBGMなどの作曲。イラストレーター志望のひまわりが作画を担当した。
結果は、グループ内の喧嘩など、トラブルはありながらも無事、SFものの作品を一つ完成させることができ、ゲーム自体もかなりの売り上げを上げることができた。
コミケ後に皆と打ち上げで食べに行った焼き肉の味は、今も忘れられない。
なるほど。それを今年もやるというのは、やっぱりいいかもしれない。
僕なんかが完全に初心者でスタートした去年なんかとは違い、今年は全員がちゃんとしたスキルが備わった状態でスタートできる。
グループの仲も深まったし、去年よりももっと楽しく良いものができる――
――そう、思っていたのだけれど、
「けど、またどっかのBGM担当の誰かさんが進行を妨げてグループの空気を悪くするんじゃないか、心配ではあるけれどね」
……おっと、嫌な予感でございます。
「は?」
予感は一秒も経たないまま回収された。
僕の後ろの後ろ、つまり菊乃の後で、二人並んでいた男女のうちのロング金髪イケメン野郎、弓弦羽蓮が笑ったまま、しかし、目だけは一切笑わせることなくそう反応したからだった。
……まーた始まった。
蓮は売られた喧嘩は買うぜと言わんばかりに菊乃に詰め寄ると、
「おい、菊乃、それってまさか、俺のことじゃないよな? そーだよなー。流石に途中で脚本の変更にめちゃくちゃ時間かけて周りに迷惑かけてたやつが言えることじゃないよな」
言われ、負けじと一歩、菊乃も更に距離を詰める。
「そうね。その変更する原因になったのが、曲調をがらっと急に変えた誰かさんじゃなければね」
「は? けど、結局コミケで売った時は反響よかっただろーが。ほら、変更してよかっただろ? 俺の判断は正しかったんだよ」
「私は売れ行き云々の話をしているんじゃなくて、周囲への影響を考えてって言ってるの。あの変更でどれだけ私たちが苦労したか知ってるの? 脚本は全ての基になるものよ。おかげで累の編集も、ひまわりのイラストも、すみれの最終チェックも全てが遅れたんだから」
「お前が脚本を書くのが早ければそれで済んだことだろうが」
「は?」
「あ?」
「すとーっぷ! 二人ともすとーっぷ! かんかんかんかんー!」
まるでボクシングの試合の各ラウンド終了時に鳴らされるゴングみたいな音を肉声で再現しながら、今度は菊乃ではなく、すみれが自分の全国平均サイズの体を二人の間に割り込ませた。いやすみれ……止めてくれたのはありがたいんだけど、それだとなんだか第二ラウンドが始まりそうで怖いんだけど……。
が、しかし、流石にそこは義務教育である中学生ではなく、一歩大人の階段を上った高校生。二人とも共に元居た位置に戻ってくれる。
「はぁ……まぁ、俺もゲーム作りには賛成だ。せっかくの高二の夏休みだしな。今回は累にもすみれにもひまわりにも迷惑はかけないって誓うよ」
「私はどこに行ったのかしら?」
「ひまわりはどう思う?去年は一番の功労者だったけれど。今回も描いてくれるか?」
……この二人はやっぱり高校生じゃない気がしてきた。
本当、この幼馴染は……。
「わ、わたし!?」
上手いこと菊乃の怒りを逸らすために使われたうちのグループのメンバーの最後の一人、越谷ひまわりは、急に話を振られたことに驚いたのか、もしくはそれとはまったく別の理由か、頬を赤くしながら、自分を指差して、菊乃から関孫六くらい鋭い視線を注がれる蓮に問い返した。
おそらくは全く別の理由の方――想い人である連に見つめられ、照れている――方だったらしく、ひまわりは蓮と自分の大きく隆起した胸の間で視線を上下させながら、
「わ、わたし、は……うーん……誘ってもらえるのは、本当にうれしいんだけど……」
「無理っぽい? 何か予定ある感じ?」
蓮が通常モードである、低く落ち着いた口調でそう問いかけるも(さっきの荒々しい口調は菊乃相手の時だけだ)、ひまわりの態度は煮え切らない。
相変わらず、目玉をクロールさせる作業に勤しんでいる。
おかしいな。
ひまわりは、大人しい子ではあっても、そこまで内気なタイプではないのだけれど。照れて言葉が詰まって出てこないとか?
が、流石に目玉も泳ぎ着かれて酸素を切らしたのか、ひまわりは立ち止まり、「あ、あのね」と前置きし、すーっと大きく息を吸い込む。
そして、同じく立ち止まった僕達四人に向けてこう言った。
「まだ言ってなかったけど、実は、プロになれるかもしれないんだ。イラストレーターの。この前、出版社の人から連絡が来て、小説の挿絵を担当してみないかって……」
「マジ!?」
まっさきに飛びついたのは、幸か不幸か彼女を妹みたいに可愛がっている蓮だった。異性相手にも関わらず躊躇なく、ひまわりの両肩を鷲掴み、目を輝かせる。
「!? う、うん。まだ、返事はしてないんだけど……」
あわわと、今度は目を泳がせるのではなく目を回しながらもそう頷くひまわり。そんなひまわりに蓮は――
「おめでとう!」
――そう叫んだ。
「…………え?」
間髪入れず発せられた蓮の祝福の台詞に、何故かひまわりは戸惑いを見せる。
「? 何でそんな困惑してるだ?ひまわり。嬉しくないのか?」
「いや……うれしい、けど。でも、わたし、その仕事を受けたら、多分ゲーム、手伝えないんだよ?それでもいい、の?」
「何言ってんだよ。こんなチャンス、滅多にないんだろ?だったらそっちを優先するべきだって。みんなもそう思うよな?」
「うん。当然だよ。おめでとうひまわり」
「おめでと。本当にすごいわ」
「おめでとう」
蓮に続いて、すみれ、ひまわり、僕の順で賛辞を贈る。
たしかに、ひまわりという戦力を失うのはでかい。
ひまわりのイラストは素人の僕達から見てもトップレベルであることは明らかで、去年の冬コミでもひまわりのイラストがあったからこそ多くを売り上げることができたところがある。
けど、ひまわりは大事な戦力であると同時に友人だ。
友人である以上、僕達は彼女の飛躍を素直に応援しなくてはならないだろう。
みんなの賛辞を得られて感極まったのか、ひまわりは目を潤ませる。そしてとうとう顔を蓮の胸板に押し付けてしまった。
小さな肩が小刻みに揺れ、その肩を連が優しく撫でる。そんなドラマチックな一幕は当然衆目を集めるが、しかし、それを邪魔するほど菊乃もすみれも、そして僕も無粋ではない。せいぜいあとで僕が蓮に嫉妬のパンチを繰り出すくらいだろう。
……けど、そっか。
ひまわりはプロデビューするかもしれないのか……。
僕達の、このグループのメンバーには、それぞれに特技がある。
ひまわりはイラスト。蓮は音楽。菊乃は脚本。すみれは物語を思いつく発想力と皆を引っ張るリーダーシップ。
……一方で僕は、何もない。
確かに、僕も一応、去年はプログラムの勉強なんかをして、なんとか皆のゲーム制作の手伝いをすることはできたけれど、それでも僕はまだ、皆のように十分なスキルや情熱を持っているわけじゃない。
でも皆はそれぞれ自分の中に大切なものを持っていて、それに一生懸命向き合っている。そして、ひまわりはとうとう壁を突破し、また変化し、成長しようとしている。
すごいと思う。
尊敬もしている。
けど、皆みたいに僕は、素直に彼女を応援できているだろうか。
僕は……
「累、大丈夫?」
おそらくどこも見てなかった視界に、にゅっとすみれが割り込んできた。
僕の顔を覗き込み、ぱちくりと、大きな青い瞳を瞬きさせている。
「……いや、なんでもないよ。ちょっとぼーっとしてただけ」
「そっか。それならいいけど。けど、それじゃ、夏休み、どうしよっか? ゲーム作りは流石にイラストレーター不在じゃできないし。あ、別にひまわりを責めてるわけじゃないし、仲間はずれにするつもりもないよ? 仕事って言っても、一日ぐらい暇な日はあるでしょ。絶対何かしらには付き合ってもらうんだから覚悟してよね」
「……! うん! ありがと」
またしても感極まったのか、ひまわりは今度はすみれの控えめな胸に飛び込んだ。
「うむ。よろしいよろしい……んー、それじゃ累はどうしたい?」
「え、僕?」
ひまわりの頭を優しく撫でるすみれから、急にボールが飛んできて僕は慌てる。この流れで何故僕なんだ。
「え?だって、まだ意見聞いてなかったし。それにこういう困ったときってだいたい累に聞けば解決してたし。よろしく。うちのプルーン」
「それだと干しブドウみたいなんだけど……」
正しくはブレーンと言いたかったのだろう。プルーンだとなんだか脳みそがちっちゃいやつみたいだ。なんか見た目、脳みたいだし。まぁ、脳に良い食べ物なのは確かみたいだけど。
が、仮にすみれが僕のことをプルーンではなくブレーンだと思っているのだとしても、それは買いかぶりというものだ。
僕は頭にいいやつでも、頭のいいやつでもない。
しいて言うなら、頭の鈍いやつだ。
たしかに僕は過去、グループ内で何か問題が起きたりした時なんかには僕なりの解決策を提示することはあるにはあった。
けど、それで本当に問題が解決したのかと言えばそうでもなく、その策をリーダーシップを持つすみれが実行することで、みんなの仲を取り持つことで事が収まる、という場合の方が多かった。
つまり、僕の力ではなく、グループのリーダーであるすみれのカリスマ性の方が貢献度としては圧倒的に大きいのだ。
だからたぶん、突き詰めれば、僕は何もしていない。
「僕は……」
「うんうん。なになに?何したい?」
「……いや、なんでもない」
真っ先に頭に浮かんだ答えを、僕は結局言うことはなく、飲み込み、胃で消化した。
苦笑して首を振る僕をすみれはしばらくの間怪訝な顔をして見つめていたけれど、
「そう?うーん。じゃあ、どうしよっかなー。うーむー大陸」
すぐに腕を組んで目を閉じ、謎フレーズを呟きながら頭を左右に揺らし始める。
しかし、良質なアイディアというのは、どこかの座禅を組んで指を頭でくりくりする小坊主のように、誰もかれもがそうそう早々に出せるものではない。
結局その後皆で話し合うも、やっぱりこれといったものが出てくることはなく、とりあえずこまめに連絡を取り合い、都合が合えば皆でどこかに遊びに行くという、なんとも無難なものに落ち着いた。
ご一読ありがとうございました。
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