8
正しくは弾丸でもなくピストルでもなく、しいて言うならフィストだった。
拳。
しかしそれは言い間違いではあったけれど、言いえて妙ではあったと思う。一切の遠慮もなく抵抗もなく振るわれたそれは、空気抵抗と人を殺すことに特化したあの無情な武器にそっくりだったのだから。
「っ……!」
ノーモーションで振るわれたその殴打に、僕はぶっ飛んだ。具体的にはお高い旅館の部屋によくあるあのベランダみたいな空間ぐらいまで吹っ飛んだ。そこの椅子に頭をぶつけて僕はうずくまる。あまりにも突拍子の無いことだったからだろう。室内には僕のうめき声以外聞こえない。僕を殴った張本人である蓮もそれは同様なのか、ひたすら黙って僕を睨みつけていた。
そして時間にして一分ほど経った頃だっただろうか、ようやく、
「ちょっと蓮! 何やってんの!」
そんな甲高い楽器として有名なピッコロをはるかに凌駕するほど高いすみれの怒声が響くと同時、すみれが僕に駆け寄ってきた。
「大丈夫? 累? 意識ある?」
そう言ってペチペチ僕の頬を叩く。そのおかげで意識ははっきりとしてくるのだが、はっきりしてくる分、ビンタの痛みもより鮮明になっていく。痛いからやめてほしい。
が、そのおかげか、どうかは知らないが、ようやく正常な思考が戻ってくる。そして殴ってきた蓮に拳とはいわずとも、小1の頃、俺は将来菊乃と結婚すると豪語していたことくらいは暴露してやろうと、そう思い起き上がろうと——
「ちょ……!菊乃!?」
――した直後、再度すみれの絶叫が部屋中を震わした。
――菊乃が、蓮の頬を全力でぶっ叩いていた。
「……っ!」
「いい音鳴るわね。あなたのほっぺた。今度作曲にでも使ったらどうかしら?」
「……ああ、是非ともそうさせてもらうぜ」
あわや、殴り合い……!
と戦々恐々したが、蓮はやりかえすことなく、むしろそれで冷静になったのか、すとんと大人しく座布団の上に座る。菊乃もそれを確認し、まるで掃除でもした後みたいにパンパンと手を払いつつ正座し直すと、
「馬鹿が馬鹿な事してごめんなさい。馬鹿に代って謝るわ」
僕達に小さく頭を下げた。
「馬鹿はおめぇだろ……この馬鹿力が……」
不服そうにしつつも、菊乃の平手が思いのほか痛かったからか、それとも別の理由か、蓮の言葉にさっきまでの語気はない。……ていうか、平気な顔してたけど、やっぱり痛かったのか。まぁ、さもありなん。首が結構えぐい角度に曲がってたもんな……。ひょっとしたら僕以上のダメージを負ってるんじゃないだろうか。
尚不服そうに菊乃を睨みつけていた蓮だったが、自分も殴った負い目もあるためそこまで怒れないのだろう。ため息を吐くだけにとどめる。そして胡坐をかき、その上に頬杖をついて今度は僕を睨んできた。
「……いきなり殴っちまったことは謝る。けど、何で殴られたのか、なんて訊きやがったら今度は山に捨てるぜ」
「足手まといってことか……。それ、一番つらいな……」
なんなら殴られるよりつらい。僕は肩をすくめてから、
「分かってるよ。そりゃあ自分を差し置いて友達を、しかも女子を生贄に差し出そうって言うんだから怒られるのは当然だと思う。けど、理由はちゃんとあるんだ」
「理由だぁ?」
強烈に蓮は睨みつけてくる。思わず怯みそうになるが、ここで引いたら殴られ損だ。そんな言葉が果たしてあるのかどうかは知らないが、しかしとにかく殴られ損だ。僕は覚悟を決め、真正面から蓮を見つめ返す。
「ああ。理由は――ドッペルゲンガー個々の能力だ」
「個々の、能力?」
すみれと共に座布団に戻りながら僕が言うと、蓮は餌を持ってきた人間を警戒する野良猫のような目で僕を見てくる。
僕は顎を一センチほど引いて、
「蓮。ドッペルゲンガーに押さえつけられてた時のことは覚えてるって言ってたよね?」
「? まぁな。さっきも言ったけど、相当気持ち悪かったからな」
またしてもその時の光景を思い出したのか、ぶるっと蓮は身震いする。どうやら相当なトラウマになってしまったらしい。
「それは心中お察しするよ……。でさ、思い出させて申し訳ないんだけど、その時のドッペルゲンガーのパワーってどれくらいだったか、覚えてる?」
「パワーだぁ?」
疑問符が喋っているような声を上げた後、蓮は自らの肩をさすった。おそらくあの時のことを追体験しようとしているのだろう。十秒ほど自分の肩を撫でてから、
「まぁ、力は強かったとは思うぜ。抵抗できなかったわけじゃねぇけど、まぁまぁたっぱがある俺がトイレに押さえつけられてたんだからな」
「だよね。でさ、もう一つ聞きたいんだけど、その時、下半身に力は入った?」
「は? 下半身?なんだよ。急に下ネタか? ……あぶっ!」
「黙りなさいこの変態」
「そういうのは男同士でやること」
「何で俺だけ……」
机から身を乗り出した菊乃とすみれに丁度半分ずつ頭を引っ叩かかれた蓮が頭を押さえ、うずくまった。……いや、俺だけって言うけど完全に今のは連だけが悪いと思うんだが。なぜ下半身と言われてそれしか想像できないのか……。
僕は気を取り直すように一度咳払いしてから、
「そっちじゃなくてさ、えっと……そう、足。あの時さ、お腹から下は消えてたわけだよね?けど、その時って足に力は入ったの? トイレの中にダイブしたり、外に転げ落ちてはいなかったから、座れてはいたんだと思うんだけど。押さえつけられて、抵抗してる時、足の踏ん張りは利いたの?」
「踏ん張り……」
蓮はさっき肩をさすったように、今度は足をもんだり伸ばしたりした。また十秒ほど触ってから、
「いや、多分踏ん張りは利かなかった、と思う。正直あん時は必死だったからあんま覚えてねぇんだけど、もし利いてたら立ち上がるぐらいはできたはずだ。何つーのかな、下半身はあるにはあるが動かせはしねぇ感じだったんだと思う。言い方はわりぃけど、不随になっちまった感じだ」
ビンゴだ。
僕は内心ガッツポーズをした。いや、そんなポーズをしている状況じゃないことは分かっているけれど、しかしもし、蓮の体験と僕の推測が正しければ、まだ勝機はある。
「で、それがなんだってんだよ」と問うてくる蓮に僕は気持ち近づく。
人差し指を立て、訊いた。
「じゃあさ、こうは考えられない? 蓮は下半身の機能を奪われながらも、それでもドッペルゲンガーに少しは抵抗できたんだって」
「……!」
「……なるほどね」
「……?」
おそらく二人には伝わったのだろう。蓮は驚愕の表情を、菊乃は人差し指と親指で顎をつまんでそれぞれ理解したという旨のポーズをとる。が、そんな二人とは対照的に一人だけ、すみれはぽかん、と頭上から?マークを浮かべていた。そして僕が見ていることに気が付くと、さもほんとは分かってますよーと言わんばかりに得意顔で頷く。うん、大丈夫。たぶんこの後菊乃あたりが説明してくださるので……。
その期待通り、菊乃は顎をつまみながら顔を上げると、
「つまり、こういうことね。オリジナルを消す力を持っているだけで、ドッペルゲンガーの純粋なパワーそこまででもない。オリジナルと同等、もしくはそれ以下。そしてそれならば、男のドッペルゲンガーより、女子のドッペルゲンガーの方が力が弱い分、捕まえやすくなる。だから累は囮役に私たちを推薦した、そういうことね」
「うん」
実はさっきのビンタの威力を見た後ではいささかこの説も自信がなくなってくるところではけれど……が、まぁ、あれは火事場の馬鹿力とか、そんなものの類であるだけで、僕や蓮のような男よりはまだマシだろう。そう思いたい。
「…………」
僕はちらっとすみれを見た。
僕の視線の意図に気付いたのか、すみれはムーっとどんぐりを詰め込んだリスみたいな顔になる。『馬鹿にしないで!』のジェスチャーだろう。ごめん。でも、ほんとに心配だったから……。
「…………」
が、すぐに僕はそんな心配をしている場合ではないと思い直す。そうだ。今僕はものすごく非情で常識外れな決断を迫っているのだ。
静寂が音を殺戮する。
菊乃は凛とした正座のまま目を瞑り、蓮は僕を品定めでもするかのように机に肘をついてこっちを睨みつけている。僕は緊張に胸を詰まらせつつ、そんな二人を見つめ返し、そしてすみれはじっと、ただ、じっと、そんな僕達三人を見守っていた。
そしてどれくらい時計の分針が右方向に動いただろう。体感時間にして一時間程、張りつめた糸のような静寂に縛られた僕の首が、苦しさに声を漏らそうとした、
「確かに、作戦はいいと思う」
が、その瞬間、頬杖を止めて、目を瞑り、代わりに修行僧のような姿勢になった蓮がそう言った。その言葉に、僕は胸をなでおろす。
「だったら――」
「けど、俺は反対だ」
「……え?」
しかし、なでおろして隙だらけになったその胸には、すぐさまカウンターが飛んできた。
もろに食らった僕に、蓮は歴戦のボクサーのごとくさらに畳みかけてくる。
「確かに作戦はいい。けど、どうしても俺は女子を囮に使うことは許容できねぇ。だから、どうしてもやるってんなら、囮役は俺がやる。不本意だが、一回実験役にもなってるしな。それが、この作戦を受ける条件だ」
「蓮……」
名前を呼んでも蓮が口を開くことも、目を開くこともなかった。
ただ黙って目を閉じている。
これ以上議論はしない。
僕が蓮の言うことに従うか、そもそも別の作戦を提案するか。それ以外の台詞に返事をすることはない。そういう合図だろう。
……やっぱり、無理があったか。
うすうす分かっていたことではある。
トイレで自分が襲われていた時だって自分よりも僕の命を優先しようとした蓮だ。飄々としているようでいてその実、一番グループ思いだったりする蓮だ。そんな蓮がこの作戦を、それも女子を囮役に使おうなどというものに賛成などするはずがなかった。
僕は聞こえないくらい小さく溜息を吐く。
ここは最善ではないかもしれないが、蓮の言う通りにするしかないだろう。無理矢理強行する作戦もないではないが、きっとそんなことをすれば蓮は妨害してくるだろうし、それにチームに亀裂を入れるのは僕とて本意ではない。
迷ったが、僕は蓮の言葉の通り動くことに決める。
そしてその旨を伝えるべく、蓮の名前を呼ぼうとした、
「れ——」
「蓮」
その直前。
その直前で、決して大きな声ではない。しかし、不思議と絶対にどこまでも聞こえそうな力強い声が聞こえてきて、僕は続きを発することができなかった。
いつもの、人を自然に元気付けたり笑わせたりするものとは違う、凛とした厳しい声。
しかしそれは紛れもなく、僕達のリーダー、佐倉すみれの声だった。
「……んだよ……すみれ」
流石にそんなすみれの言葉を無視することはできなかったのか、蓮は声を詰まらせる。静かで綺麗に見えるが実は最も激しい青色の炎のような視線に見据えられ、目こそ合わせているものの、時々眼球が逃げ場所を探すように動いている。
しかし、そんな風に狼狽しているのは蓮だけではない。僕と菊乃も同じだった。
すみれがこんな風にきつい口調を使うことはほとんどない。蓮と菊乃の喧嘩を仲裁する時だけは多少語気を強めることはあるけれど、今回のはそれとも一線を画すものだ。
そして、そんなすみれが次に発した台詞は、
「私、蓮のそういうところ、とってもいいと思う」
「…………は?」
蓮のその一言が、すみれ以外の僕達三人が抱いた気持ちの全てだった。
訳がわからなかった。きつい口調で名前を呼んだと思えば急に真面目な顔で褒めて。いったい何がしたいのか。すみれは。けど、次の一言でその謎も解けた。結局すみれはすみれだったということだ。
「そういう飄々としているようでいて、すごい友達思いなところ。菊乃と喧嘩した日の夜、私に電話かけてきて「なぁ、菊乃のやつどれくらい怒ってた?」とか訊いてくるところ」
「な……ちょ……!」
おお、すごい。瞬く間に蓮のほっぺた産のトマトが熟していく。フルーツトマト越えのお値段がつきそうだ。
「実は遊ぶ時も一番最初に集合場所についてるところとか。ひまわりの誕生日プレゼント選ぶためにわざわざ一から絵の勉強始めたりとか。実は未だに隠れて菊乃のお母さんと仲がいいところとか」
「おい! すみれ! そういうのは黙っておいてくれって言っただろ! て、おい累! 何だよそのアルカイックスマイルは! 菊乃! お前も顔を赤くしつつもスマホのカメラをこっちに向けんじゃねぇ!」
いやぁ、これはダメですよ。ダメっていうか反則だと思います。蓮がそういう奴だというのは昔から知っていたが、まさかここまでだったとは。もはや死語に近いとは思うけれどあえて言わせてもらおう。ツンデレであると。
しかし。
「――でもね」
そんな、殺してくれ、と一人に机に突っ伏して悶絶するイケメンを除いて、ほっこりとした幸せな気分に浸っていた最中。
さっきの真冬の凍った池みたいに冷たく張りつめたすみれの声音が響いてきて、それこそ僕達は凍ったように動きを止めた。突っ伏すだけでは飽き足らず、両耳を両手で塞いでいた蓮も「え……?」と顔を上げる。
すみれは、言う。
「そんな気持ちを蓮が持つように、私たちにも私たちの気持ちがあるんだよ。それを、蓮は考えてくれたのかな?」
「っ……!?」
弁慶の泣き所を槍で突かれたような顔を蓮は浮かべた。しかし、それは痛いところを突かれたと言うよりも、すみれのその顔と声によるものが大きいだろう。こんなすみれを、激怒するすみれを、僕達は見たことがなかったから。
「さっきも言ったけど、蓮のそういうところはすごい良いと思う。すごいグループ思いなところ。でもね、蓮。私たちのことを考えて発言することは、必ずしも私たちの気持ちを考えていることにはならないんだよ。それは決めつけだよ。だって蓮は私たちがどうしたいか、聞きもしなかったでしょ?」
「……! それは……まぁ、そうかもしんねぇ、けど……てことは、お前は自分が囮役を務めたいってことなのか?」
「うん。そうだよ。菊乃も、そうだよね?」
「ええ。同じよ」
「っ……!」
まさか菊乃までそう言うと思っていなかったのか、蓮はギリと奥歯を嚙み締める。それでも簡単には納得できないのか、視線を逸らし、呻く。
「いや……けどよ……」
「蓮」
しかし、それをすみれが許すことはない。怒るでもない。憐れむでもない。ただ願うように名前を呼び、無理にでも自分に顔を向けさせる。
「蓮の心配してくれる気持ちも確かに分かる。そして、私たちが囮役になりたいという気持ちも、ただの押し付けかもしれない。でもね。分かってほしいんだよ」
「……何を?」
「私たちだって、仲間が囮役になるのをただ見守るのは、辛いんだよ?」
「――――!」
バッ、と蓮は顔を上げて、僕らを見た。同時に、僕らは頷く。
「だからね、お願い。私たちにも手伝わせて。見てるだけってやっぱり辛いんだよ?」
そこで、何故かすみれはちらっと僕を見た。何だろう。僕は蓮みたいな立派なことをしたことはないつもりなんだけれど。……それとも、もしかしてあったのだろうか。過去に僕がすみれにそんな思いをさせたことが。……あったかもしれない。けど、僕はそれに気が付かなかっただろう。僕は、そういう奴だ。
「……分かったよ」
三人分の熱視線を浴びれば流石の蓮も気持ちを暖和せざるを得なかったらしい。そう呟き、若干頬を赤くし、苦笑する。
「けど、一分に一回、目視で無事であることを確認させてくれ。そうすれば仮に何かしらでこっちに連絡できなくなって消されそうになっていたとしても、誰かがドッペルゲンガーを見ることでそれを帳消しにできる。累の説によればオリジナルとドッペルゲンガーは第三者に見られれば、消すことができるからな。それが絶対条件だ。それだけは譲れない」
僕とすみれと菊乃は顔を見合わせた。そして同時に言う。
「過保護」
「……!うっせえ!」
今日初めて、僕達は声を上げて笑った。
ご一読ありがとうございました。もしよろしければ感想等いただけますと幸いです。




