7
時刻は午後八時を迎えようとしていた。
山の中。そして観光シーズン直前ということもあって旅館はとても静かだ。
しかし、ことこの部屋に限っては、その静寂はそんな立地条件に起因するものではなかった。
「えっと……累、聞き違いだったらすまねぇ。お前、今、ドッペルゲンガーを捕まえるって言ったか?」
僕がドッペルゲンガーの捕獲宣言を出してから、一分ほど経っただろうか。
僕の発言は、音楽家として最も大事と言っても過言ではない、その耳を疑うくらい発言だったらしい。蓮は一方の手で顔を覆い、もう一方の手をこちらにかざしながらそう言ってきた。
「聞き間違いじゃないよ。僕はドッペルゲンガーを捕まえたいって言った」
「頭くるくるぱーになったんかお前」
……生涯聞くこともないような、ぶっとんだ侮蔑の台詞だった。くるくるぱーって……。
蓮は二十センチほど僕の方へ膝行って、そして語気を強くすると、
「捕まえるったって、何のためにそんなことしなきゃなんないんだよ。それが何かの役に立つってんだ」
僕は言う。
「情報収集のためだよ」
「情報収集ぅ?」
目を細める蓮に、僕は頷いて、
「蓮。僕達には圧倒的に情報が不足している。そう思わない? 何で僕達は襲われないといけないのか。一応ドッペルゲンガーってことにしてるけど、あれの正体はそもそも何なのか。消えちゃうと僕達はどうなるのか。ひまわりを戻す方法はあるのか。まだまだ他にもわかってないことだらけだ」
「だから捕まえて話を聞こうってのか? けど、捕まえたところで、あいつらが正直に話すと思うのか?それに、お前の話じゃあ、さっきトイレで俺のドッペルゲンガーに話しかけた時、あいつはお前の問いかけに一切答えなかったって話だったじゃねぇか。つまり、言葉も通じるかどうか怪しい。だったら捕まえたって意味ねぇじゃねぇか」
「それだって本当かどうか分からない。そもそも本当にドッペルゲンガーかどうかも怪しいんだ。確かにトイレの時はあいつは口を利かなかった。けど、それだって単に無視してただけかもしれない。いずれにせよ、捕まえて話してみれば物理的に会話できるかできないかくらいのことは分かるかもしれない」
「いや……けどよ……」
蓮は押し黙った。まぁ乗気にならないのは分かる。誰だってあんな化け物と相対などしたくない。むしろ積極的に避けたいところだろう。しかし避けるにしたって技術と知識がいる。敵を知り、己を知れば百戦危うからずと言うけれど、まず敵を知らなければ戦いの土俵にすら上がれない。
「ドッペルゲンガーを捕まえて話を聞きたいっていうのは分かったわ」
と、蓮以外の反応はどうだろうと目を向けたタイミングで、丁度菊乃が声を上げた。そして普段から慣れているのか、美しい正座を一切崩さないまま続ける。
「けど、今までの話を聞いている限り、それは物理的に不可能よ。それは分かっているのよね?」
「不可能? 何で? 累の話なら、肉体はあるんだから、捕まえられなくはないと思うんだけど」
体を菊乃の方へ向け、すみれが首を傾げる。
「さっきも言った、世界の法則よ。今までの話に乗っ取れば、ドッペルゲンガーはオリジナルと二人でいるところを第三者に見られれば、姿を消してしまう。だから複数人で捕まえて話を聞くことは無理。だったらオリジナルが一人で捕まえればいいってことになるけれど、そんなことをすればオリジナルの方が消えてしまう」
「……ああ! そっか!」
理解が追い付くまでに時間がかかったのか、しばらくの間天井をにらんでいたすみれだったけれど、ようやく追いついたらしい。またしてもあのわざとらしい掌に拳を乗っけるポーズをとる。が、すぐに新たな疑問が湧いてきたのか、また天井を睨みつけながら、
「あれ? でも、それじゃあ、絶対捕まえられないってこと?」
と、小さく呟いた。その言葉に、僕は返事をする。
「たしかに法則上ではそういうことになるかもしれない」
「それなら――」
「だから、ドッペルゲンガーが消える間の時間を利用する」
「……消える間の、時間?」
「うん」
視線で返事を要求してくる菊乃。が、その視線はいったん置いておいて、僕は別の人物との会話を試みることにした。
「蓮、一つ聞きたいんだけどさ」
「あ? なんだよ。そこの、無視されてSFオタクらしく目からライ●セーバー放ってる女放っておいてまで聞きたいことなのか?」
「出してない!」
「後で謝っておくさ……それより蓮、僕がさっきトイレによじ登って蓮とドッペルゲンガーが二人でいるのを見た後のこと、覚えてる? その時、ドッペルゲンガーが消えるまでに時間がかからなかった?」
「あ?」
尚も菊乃のことが気がかりな様子の蓮だったが、当時のことを思い出すためか、目を瞑って数度頭を揺さぶる。そして、
「……ああ。そうだ。そういやそうだった。男に、しかも自分と同じような見た目の奴にずっと押さえつけられて気持ち悪かった記憶があるから覚えてるぜ。累がトイレの蓋持ってくる直前まで、あいつは消えなかった気がする。時間にして大体7秒くらいか」
「それは……なかなか、貴重な体験だったね……」
貴重というか、どっちかって言うと異常な体験だが。なんでも経験だとは言うけれど、これに関しては全く経験したくない。
が、蓮にとっては異常でも、僕達にとっては貴重な情報だ。
7秒と言うと、一番最初に教室で出会ったときよりも随分滞在時間が長いようにも思うけれど、しかし、あの時は、互いが互いを見つけて動き出すまでの無言の時間が数秒あった。それを含めると、同じくらいと言っていいだろう。
「ってことらしい」
無事、自分の考察が合っていたことが分かり安堵した僕は、そう言って菊乃の方を向いた。
これだけで菊乃ならあらかた察してくれると思ったからだ。
まださっき無視してしまったことを根に持っているのか、いささか不満気な顔をしていたけれど、今はこっちの話の方が優先順位が高いと判断してくれたらしい。菊乃は大きく溜息を吐くと、予想通り、正解も吐き出してくれた。
「……つまり、誰か一人を囮にしてドッペルゲンガーを呼び出し、そしてドッペルゲンガーが出現すれば、その囮に、繋いだ状態の電話なり大声なりで、出現したことを教えてもらって、後は皆でそれを拘束し、消えるまでの僅かな時間に話を訊く。そういうことね?」
「な……!」
「え……!?」
おそらく、『囮』という言葉に反応したのだろう。蓮とすみれが寸分の狂いもなく同じタイミングで驚愕の表情を見せた。
「え、えっと……」
そして、僕が菊乃の確認に反論しないのを見て、すみれは顔を陰を落とす。そして、ぽつぽつと消え入りそうな声で、言った。
「えっと……その囮作戦がいい作戦ってことは分かったよ。今のところ確認されてるドッペルゲンガーはひまわりと蓮のものだけだけど、それ以外もいるのか、確認する手段にもなるかもしれない。けど、やっぱり危なすぎるよ。相手は人を消しちゃうような存在なんだよ。それにそんな存在相手に誰が囮になるって言うの? 今ドッペルゲンガーがいることが分かっている蓮? ううん。違う。ドッペルゲンガーは今の所はひまわりと蓮だけのがいることしか確認できてないっていうだけで、他にいる可能性はある。だからきっと、優しい累は……」
そこですみれは言葉を切った。その続きは言えなかったからだろう。その理由はすみれだけでなく、同じような表情をしている菊乃からもなんとなく察することができる。蓮も顔には出さないが、同じような気持ちでいてくれているに違ない。
けど、だからこそ、僕はこの言葉の続きを発しづらくなってしまった。
いや、自分が囮になると、そう言いたかったから、言い出しづらくなったわけじゃない。むしろそれくらいなら、僕は悠々と口にしていただろう。僕が犠牲になるくらいで皆が助かるなら安いものだ。
だからこんな風になってしまっているのはもっと別の理由。僕が犠牲になること以上に非情な決断を、僕はみんなに要求することになるからだ。
僕は、さっきドッペルゲンガーを捕まえると宣言した直前と空気が似ていることを自覚する。が、そのときの比にならないほど、僕の心臓の早鐘を打っていた。中からぶち破られて死んでしまいそうだ。そしていっそそれもいいかと思ってしまうほど、僕がこれから告げようとしている台詞は非人情的だ。
「……累?」
傍から見ても、僕の状態が正常ではないことを理解できたのだろう。すみれが不安げに、僕の名前を呼んでくる。
罪悪感で胸が締め付けられる。やっぱりこのまま言わずに別の作戦を考えようかとも思う。そっちの方が温和に事を進められるし、なにより僕らしい。
小心者の僕らしい。
けど、何故だろう、今回だけは。
今回だけは。
僕の口は、そんな僕とは真反対の台詞を口にした。
「いや、僕はその囮役を、菊乃かすみれにお願いしたいと思ってるんだ」
刹那、横から弾丸が僕のほっぺたに飛来した。
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