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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第3章:山悟荘の創造
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第28話「沈黙の青と、見果てぬ雪の妖精」

 大家さんの愛機「雪鯨号(ユキクジラ)」のエンジンが唸りを上げ、キャタピラが雪面を噛む。

 私たちは今、札幌から羊蹄山(ようていざん)方面へと向かう、冬の難所・国道230号線を走っていた。


 助手席には、いつものオレンジ色の特注ダウンを着たビリー君。

 そして今日は、もう一人( 一羽)の相棒がいる。

 ビリー君のダウンのフードの中に埋まるようにして、真っ白な顔をひょっこりと出しているシマエナガだ。


 シマエナガの毛玉ちゃんは時折「ジュルッ」と鳴き、流れる外の景色に興味津々な様子を見せている。

 ヒグマ事件以来、温かい家から出ない彼が、今日はなぜか自分からついてきたのだ。


「うーん、前が見えない」

 私が独り言ちるほど、外は猛烈な吹雪だった。

 カレンダーは4月の終わりのゴールデンウィーク中だというのに、視界ゼロのホワイトアウト。上下左右の感覚すら喪失する白闇の中、頼りになるのは雪鯨号(ユキクジラ)のナビシステムだけ……と言いたいところだが、この磁気嵐のような雪雲の下ではGPSも心許ない。


「ビリー君、出番だ。鼻を使え」

 私が命じると、ビリー君は「Kururu(クルル)(任せな、僕ちゃんの鼻はレーダーより優秀だぜ)」と頷き、窓を数ミリだけ開けて鼻先を突き出した。

 彼が探知するのは、獲物でも敵でもない。この峠を越える道民にとっての命綱――「揚げたジャガイモと甘い衣の匂い」だ。


 数分後、ビリー君が「Vamoose(ヴァムース)(ビンゴ〜! あっちだ!)」と右斜め前方を指し示した。

 ハンドルを切ると、白い霧の向こうに、道の駅「望羊中山」の灯りがぼんやりと浮かび上がった。ここに立ち寄らずして、峠越えは語れない。


「着いたぞ。道民のソウルフードの時間だ」

 私は猛吹雪の中、売店へとダッシュし、黄金色に輝く「あげいも」を買ってきた。

 割り箸に刺さった、ジャガイモのドーナツ揚げが三連。ほんのり甘い衣と、ホクホクの男爵イモ。これぞ中山峠の王様だ……はて、子供の頃に食べた「あげいも」はもっとイモが大きかったような気がしないでもないような……いや、イモが小さくなったのではなく私がデカくなっただけだろう、多分。


 車内に戻ると、甘く香ばしい匂いに、ビリー君とシマエナガが同時に反応した。

Vamoose(ヴァムース)(クゥ〜ッ、美味そうな匂い! 早く寄越せ!)」

「ジュルルッ!(僕にもちょうだい!)」

 ビリー君が一番上のイモにかぶりつく。外側のサクサクした衣と、中の熱々のイモのコントラスト。


 彼は「ハフッ、ハフッ」と白い息を吐きながら、至福の表情で咀嚼している。その口元から落ちた衣の欠片を、シマエナガが嬉しそうについばむ。

 恐竜と小鳥が、一つの串を分け合う平和な光景。私は二つ目のイモを頬張りながら、この温かい時間がずっと続けばいいと、ふと思った。


 腹ごしらえを済ませた私たちは峠を下り、美笛峠へ進路を変え支笏湖(しこつこ)方面へと向かった。

 本来なら「日本最北の不凍湖」と呼ばれる深い青色の湖だが、この「終わらない冬」においては例外だった。眼下に広がっていたのは、見渡す限りの「白」。湖は分厚い氷と雪に覆われ、巨大な白い平原と化していた。


「……Vamoose(ヴァムース)(すっげぇ広いや!)」

 ビリー君が感嘆の声を漏らす。

 私たちは湖畔に車を停め、誰もいない氷の大地へと降り立った。

「よしビリー君、ここでのミッションは一つだ」

 私は空のクーラーボックスを叩いた。

「留守番している大家さんのために、最高の酒の(さかな)を持って帰るぞ」


 大家さんは今頃、山悟荘(さんごそう)台所(だいどころ)で天ぷら鍋を磨いて待っているはずだ。「ワカサギの天ぷらで熱燗をやりたい」という彼のささやかな願いを叶えるのが、店子(たなこ)としての務めである。


Vamoose(ヴァムース)(任せとけ、大漁旗を掲げて帰るぜ!)」

 ビリー君はシマエナガをフードから私の肩へと移すと、氷の上へと躍り出た。


 ここからは、白亜紀のハンターによる「氷上ワカサギ乱獲祭り」だ。彼はドリルも釣り竿も使わない。鋭利な鉤爪で氷に小さな穴を開けると、じっと水面を睨みつける。

 ラプトルの動体視力が、氷の下を泳ぐ銀色の魚影を捉える。

 シュバッ!

 目にも止まらぬ速さでピンセットのような爪を突き入れ、弾き飛ばす。ピチピチと跳ねるワカサギが、次々と氷の上に積み上げられていく。


 ワカサギ釣りはビリー君に任せて、私は全身ストレッチに励んでいると、氷の平原の向こうから、ずんぐりとした丸い毛玉のような動物が、トコトコと近づいて来るのが見えた。


 目の周りが黒く、短い足で雪を掻き分けている。

 タヌキ……いや、「エゾタヌキ」だ。

 札幌の市街地(特に私の住む南区など)では、ゴミステーションを漁るキタキツネはしょっちゅう見かける。だが、野生のタヌキにお目にかかるのは、私の55年の人生でも初めてだった。


 エゾタヌキは北海道の固有亜種だ。本来は秋に脂肪をためて冬ごもりをするはずだが、この異常に長い冬のせいで備蓄が尽き、やむを得ず餌を探しに出てきたのだろう。


 冬毛でもっこりと着膨れしたその姿は、キツネのシャープさとは対極にある、ユーモラスな愛嬌があった。

「キュゥ……」

 タヌキが短く鳴き、魚の山へずんぐりした鼻先を伸ばそうとした。


Gurururu(グルルル)……!(おいおい、それは僕ちゃんの獲物だぞ。泥棒はお断りだよ!)」

 ビリー君が低く唸り、鉤爪を氷に立てて威嚇した。


 タヌキはビクッと丸い体をすくませたが、空腹には勝てないのか、諦めきれない様子でその場にペタンと座り込んでしまった。黄金色の鋭い瞳と、タヌキの困ったような丸い目がじっと睨み合う。

 すると、私の肩にいたシマエナガが不意に飛び立ち、ビリー君とタヌキの間に降り立った。


「ジュルッ! ジュルルルッ!」

 シマエナガは羽を大きく広げ、ビリー君に向かって何事か熱心にさえずり始めた。「まあまあ、少し分けてあげようよ」と説得しているかのようだ。

 小さな毛玉の堂々たる態度に後押しされ、タヌキはモジモジしながらビリー君に近寄ってくる。


 ビリー君は呆れたように鼻を鳴らすと、足元に落ちていた一匹のワカサギを、脚で器用にタヌキの方へと蹴り飛ばした。

「……Vamoose(ヴァムース)(しょーがねぇな。ほら、持ってきな。僕ちゃんたちはもう十分だ)」


 タヌキは雪に顔を突っ込むようにしてそのワカサギを咥えると、何度もこちらを振り返りながら、雪原の奥へとトコトコと走り去っていった。

 シマエナガが「ジュッ」と誇らしげに鳴き、ビリー君のフードの中へと凱旋する。


「よし、大漁だ! 撤収!」

 私が声をかけると、ビリー君は満足げに爪を雪で拭った。

 数十分の狩りで、クーラーボックスは銀色の魚で満たされた。


 雪鯨号(ユキクジラ)は再びエンジンを轟かせ、次の目的地、羊蹄山(ようていざん)の麓へと向かった。


 そこには、本当の野生が待っている。シマエナガの「本能」を呼び覚ますような、広大で厳しい世界が。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ビリーと過ごす北海道の冬の情景が、少しでも皆様の心に届けば幸いです。

もし作品を気に入っていただけましたら、ページ下部のブックマークや評価などで応援をいただけますと、執筆の大きな励みになります。

次話も、山悟荘でお待ちしております。

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