第120話(最終話)「白亜紀の初日の出」
ヴェロキラプトルという恐竜を知っているだろうか?
ラテン語で「素早い泥棒」を意味する名を持つ、白亜紀後期のハンター。体長は約2m。最新の研究ではその全身が羽毛に覆われていたという説が有力だ。後肢の第2指には巨大な「鎌状の鉤爪( シックルクロー )」を備え、それは獲物の急所を一突きで貫くために進化した、自然界が生んだ最も鋭利なナイフのひとつである。
知能も極めて高く、群れで高度な連携を取り、獲物を追い詰める。そんな冷徹な「完成された捕食者」……それが、一般的なヴェロキラプトルのイメージだ。
だが、私の隣にいるのは、図鑑の記述とは少し様子が違う。
体長1.5mほどの小柄な全身を覆う淡いアンズ色の美しい羽毛が、暗闇の中でぼんやりと光を放って浮かび上がっている。どこか愛嬌すらある、光るゲーミング恐竜だ。
大晦日の夜。
地上では除夜の鐘が鳴り始めている頃、私とビリー君は、なんとなく地下100mの『地底湖( マリモモドキの泉 )』へと向かっていた。地上の厳寒から逃れるため、そして、激動の一年を静かに締めくくる場所として、ここを選んだのだ。
目の前には、地底湖の水を吸って上品なエメラルドグリーンに輝く巨木『クロノス・エルム( 新生・時空ニレ )』が、呼吸するように静かに脈動している。
「なあ、ビリー君。今年は色々大変な一年だったねぇ」
私たちは隣り合って座り、静かな水面をただ眺めていた。
***
【未来の管理者( 1056歳のアキラ )の独白】
私はアキラ。
長年相棒であったヴェロキラプトルのビリー君が天寿を全うしてから、気が遠くなるほど長い時間を私は時空ニレの管理者として過ごしてきた。今の私の年齢は1056歳。札幌市の天空を覆う時空ニレと、老いることのない私の存在は既に世界的に知られるところとなっていた。
時空ニレの研究が進められる中、人類は時空間制御技術を手に入れた。地球政府は「地球史サンプル収集計画」という壮大なプロジェクトをたちあげていた。その根底にあるのは「種の起源」だ。我々は何処から来て何処へ行くのか……1000年経った今も解決できないミステリーなのだ。
「地球史サンプル収集計画」はあらゆる時代に16人ずつ配属されている。現地に配置された16人からなるグループは、その時代の調査とサンプリングにあたり、収集されたサンプルはAIによって厳しく精査される。些細なミスでも未来への影響は計り知れないからだ。危険を冒してまでサンプル集めをする必要があるのか? と思うだろう。だがしかし、彼らは「種の起源」を模索し、解明しようとし続けているのだ。
かつて、オーパーツと呼ばれたものは各時代に配属された、彼らの「落とし物」として記録されている。
ここでの私の役割は、この時空の外側「亜空間」と呼ばれるスペースにあるラボで、各時代から送られてくるサンプルを査定するAIを管理する事である。このAIは時空ニレの研究から開発されたシステムで、どういうわけか時空ニレの管理者である私が、このAIの管理者として選ばれた。まあ、1000年に及ぶ私と時空ニレの関係を言葉で表すことは難しい。
さて、主に私が注視しているのは、管理人である私の直属の部下、明治の開拓時代へ配属された16人だ。
彼らが向かったのは、明治9年( 1876年 )。山鼻兵村( 現在の中央区 )に入植予定の屯田兵に紛れてこの時代に侵入した。この時代は調査員たちが配属される最後の時代だ。私にとっても、多分、時空ニレにとっても重要な時代であるに違いない。だからここに配属されている16人は部署の中でも最高の人材が選ばれている。
彼らの最初の仕事は、彼の地に『時空間トンネル用ゲート( かつての我々がトロゲートと呼んでいたゲート )』を設置することだった。
これにより、未来の中央司令所との通信が可能になるし、時空間移動もスムーズになる。質量の転移には緻密なプロトコルが必要で、少しの計算ミスが時空間を崩壊させかねないのだが、ゲートさえあれば簡単に事は進むのだ。
そして、この時代ではゲート設置場所が、後に「壱拾六軒町内会」と呼ばれることになるのである。何かしらの理由で彼らはゲートを地中深くに隠し、この地に残ることを決めた。
ところで、なぜ私が不老不死の身の上になったのか……話せば軽く1000年はかかるしどうでも良いことだ。あの大家さんが言うには、細胞の修復がどうとか、テロメアがどうとかこうとか……。つまり私は年を取らないし、自然には死なない。水槽の中のプラナリアを想像してみるのも良いが、私は切り刻んでも増えるわけではない。
ハエトリグモのアダンソン先輩もハエトリグモとは思えないほどの長寿で、最終的には35mmというあり得ないサイズになっていた。
先輩の亡骸はサッポロカイギュウ広場にある春楡の木の下に埋葬した。ビリー君がコレクションしていたアダンソン先輩の脱皮殻は、今もビリー君の白亜紀ジオ・フロントに大事に飾られている。
ふと、私は胸にぶら下げている「真鍮の鍵」を握りしめた。これは彼が遺した唯一の形見だ。正確には2人で掘り出したアンモナイトは山ほどあるのだが、何故かこの真鍮の鍵だけは、私にとって特別なものとなっていた。
――ではそろそろ仕事に取り掛かろう。
部下たちを明治に残し、今の私の仕事場となっているこの亜空間スペースにある施設は時空のバックヤードみたいなものだ。
ここではAIがサンプルを事細かく精査し、その下でロボッツたちがサンプルのお世話をしている。見たことのある奴らだ。かつてビリー君とアダンソン先輩によって、ワチャワチャのゴニャゴニャに粉砕された、あのポンコツロボットたちと同型だ。
サンプルは透明でプルンプルンとしたカプセルに入れられてやってくる。
ボヨンボヨンと運ばれてきては、未来へ送られる者、元の世界へ戻される者に分けられる。
そして、私はずっと待っているのだ。
アンズ色の羽を持つ、あのヴェロキラプトルが現れるのを。
とある日も、サンプルの入ったカプセルがボヨンボヨンと運ばれてきた。
ロボッツが認識番号なんたらと機械音声で報告している。今度は何が来たんだい? と覗いてみれば……。
なんとヴェロキラプトル!
ビリー君ではないか!
久しぶりの再会に私の心は激しく躍った。
しかし目の前にいるビリー君は、まだ幼く、不安げで弱々しく見えた。
こんなに小さかったかな。私が知っている彼は、もっとドッシリとして、ふてぶてしく、冷蔵庫のプリンを勝手に食べるような男だったはずだが……そうだ、これは「私と出会う前」の彼なのだ。
それからの私は、仕事の合間をみてはカプセル内にいるビリー君と共に過ごした。目の前のビリー君には私の言葉は全く通じていないようだが、私には彼の「言葉」がちゃんと聞こえている。
ある時、ビリー君は私の首からぶら下がっている真鍮の鍵を興味深そうにみつめていた。
「ああ、これかい? これは君が私に残してくれた物だよ……」
私は言ったが、ふと手が止まった。はて、ということはこの鍵はビリー君と私の間を無限に行き来しているのではないか、ということに今更気がついた。鍵のボロくささがエントロピーの増加を物語っているのではないのか?
鍵はこのまま大家さんのオヤジさんの時代へ行き、ビリー君は2025年の壱拾六軒町内会へと飛ばされる予定だが……。あれ? 何か1つ忘れているような……まあ、とにかく彼を無事に2025年に送り届けるため私は日夜計算を繰り返した。なぜなら昔々我々が訪れた未来ラボのAIの解析では、この施設で不慮の事故が起きた、とされていたからだ。
あらゆる事態に対処できるよう準備しておくのがプロの流儀だ。
その時だ。
『判定:対象B-1107をデリート( 消去 )します。元の時代へ戻すことは、歴史へのリスクが高すぎます』
AIの冷徹な声が響く。『ロボッツは直ちに行動を……』
予想外だった。「消去」なんて話はこれまで聞いていない。無機質な駆動音を立てて、ロボッツがフロアに集結してくる。私はAIの決定を管理者権限でキャンセルしようとしたが、どういうわけか命令を受け付けないのだ。
事は急を要した。
私は迷わずロボッツたちをなぎ倒し、真鍮の鍵がぶら下がっているクロムハーツのチェーンを自分の首から外し、ボヨンボヨンカプセルに太い腕をぶっ刺した。そして、怯える幼いビリー君の首にそれをかけ、優しく語りかけた。
「大事にするんだよ。これは君にとって、とても大切なものだからね……」
私は緊急排出ボタンを、拳で力強く叩き込む。
警報音が鳴り響く中、ビリー君を乗せたカプセルが亜空間から2025年の札幌へと射出される。ビリー君は間違いなく、あの日のあの場所に届くはずだ。
チーン、と電子レンジの解凍完了のような、やけに生活感のある音がした気がした。
ああ、しかし。
その瞬間、凄まじい衝撃がラボを襲った。
質量保存の法則だ。ひとつの命を無理やりあの時空間に押し込んだ反動で、今度は私のいる亜空間に、時空の激しい衝撃波が押し寄せてきたのだ。
私は不思議と冷静だった。伊達に千年も生きてはいない。既に精神は仙人の域に達していると言っても過言ではない。
ビリー君が私に残したあの真鍮の鍵。それを今、私は過去の彼に渡した。私は私の自由意志でそうしたのだが、これはいわゆる「ループ」ってやつだ。
あの冬の灯籠の前で出会ったビリー君は、今の私を覚えていたのだろうか?
せっかく会えたのに、もう少し一緒にいたかったな。しかし、そもそもあの鍵はどこから来たんだ? そうだ思い出したぞ。あのクロムハーツのチェーンネックレスは……まあいい。
時空の衝撃波で、私の体は崩壊し、陽子と電子に変換されていく。
痛くはない。ただ、光になるだけだ。
その時。
何かが、私の散らばった粒子を一粒、ピンセットのような鋭利な爪でそっとつまんで、頬袋に隠してくれたような気がした……。
***
【現在:地下100m、地底湖のほとり】
「Vamoose?( なあ!どうしたんだいパパさん?)」
隣でビリー君が、不思議そうに私を見上げている。
その首元には、私が磨いたクロムハーツの鎖に繋がれた、古びた真鍮の鍵が揺れている。
「……いや、なんでもないよ。ちょっと静電気が起きたみたいだ」
ビリー君が、私の太い手にそっと自分の前脚を添えた。
ゴォォォォン……。
地上の除夜の鐘が、地下深くまで微かな振動として届いたかと思うと、クロノス・エルムがひときわ強く輝いた。
手元のタブレットに、緑色の文字列が一斉に流れ込む。
『システムクロック:2027年1月1日 00:00:00』
『グローバル・オプティカル・メッシュ、物理同期完了』
『生体量子ネットワーク、全世界エリア・アクティブ』
『時空定礎プロトコル・グリーン。これより恒久稼働へ移行』
光が空間を満たし、洞窟の硬い岩壁が、透き通るように溶けて消えていく。
私たちの目の前に広がったのは、地下の岩肌ではない。
荒涼と広がる乾燥地帯に、奇跡のように広がるオアシスの水辺。
湿った土の匂い。
遠くで響く、巨大な生物たちの地鳴りのような鳴き声。
そして、真っ平らな地平線から昇る、力強くも美しい太陽。
それは、世界を繋いだ時空ニレが見せてくれた、ビリー君がかつて生きていた白亜紀の夜明けなのだろうか。
「……ワイルドだなぁ」
「Vamoose……( ああ、最高の景色だぜ)」
ビリー君が、金色の瞳を細める。
彼の温かい手は私のゴツい拳を握りしめたままで、私はその幻影の太陽を見つめた。私はふと、彼に聞いてみたくなった。
「なあ、ビリー君。……家に、帰りたいかい?」
帰る方法もわからないのに、軽率だったかな。そう後悔しかけたが、ビリー君は迷うことなく即答した。
「Namoose。( ノーだね。帰ったら、僕ちゃんの大好きなセコマのプリンもベビーカステラも雪見だいふくも食べられなくなるじゃん?)」
私は、思わず吹き出してしまった。
まったく、食い意地の張ったたくましい恐竜だ。でも、それでいい。
「そうだな。上に戻ったらセイコーマートのプリンでも食べようか」
遠くで、新しい年を告げる除夜の鐘の音が、微かに聞こえた気がした。
そう、気がしただけだ。
ここは札幌市南区壱拾六軒町内会、地下100m。
静かな地底湖のほとりだ。
『ラプトルの鉤爪』完
最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。




