第90話 売られた先
船の食堂のドアを開けたスヴェンと、サラは目があった。
双子はスヴェンに元気に「はーい!」と声を揃えて返事をし、見張り台へ行ってしまった。スヴェンはサラの斜向かい、アベルの向かいに座った。
「今サラに作戦のこと話してたんだ。俺、船の進路確認してくるね」
立ち上がるアベルにスヴェンはかすかに頷いた。アベルが閉めたドアの軽い音が響く。もう本人に聞いていいだろうと、サラは口を開いた。
「……お前、空軍に目を入れ替えられてるのか」
今度はサラに向かって、スヴェンはかすかに頷いた。そしてふと何かに気がついたかのように、ピクリと眉を動かした。
「『空軍に』って言ったか。こうなった経緯を知っているのか?」
サラは空軍の秘密の書庫で見たものや看守長の瞳の色について話した。
「ジェイの名前が資料の中にあった。あいつの論文のおかげで、胸糞悪い研究は凍結になったって書いてあったぜ」
「それは……」
スヴェンは軽く額に手を当て俯いた。数秒して上げた顔には自嘲気味な笑みが浮かんでいた。
「俺は、奴に謝らなくてはいけないな」
以前ジェイのことがどうしても許せない、とスヴェンは言っていたが原因は論文だったのだろうか。そこでサラは気付いた。ジェイも右目を覆っている。眼帯ではなく片眼鏡で、だが。
「もしかして、ジェイも目を?」
「お前の推察通りだ。ジェイと俺は子どもの頃空軍の研究施設にいて、実験体にされた。その施設を破壊して助け出してくれたのがダミアンだ」
突然出てきた父の名に、サラはどう反応すればよいのかわからなかった。しかし、スヴェンの目には戸惑うサラはすでに映っていなかった。
口を結び、俯くスヴェンの見えているものは、そう遠くない記憶。忘れたくても忘れられない、辛い実験の日々とその後の大きな幸せ……そして喪失。
暗い牢屋だった。自分と同じくらいの年齢の子どもが五、六人詰め込まれている。全員、白い服を着せられていた。
最後に見た父親は笑顔だった。空兵から得た金を、ポケットにジャラジャラ言わせて去っていった。どうせまた賭け事ですぐになくしてしまうだろうに。
「お前も誘拐されたのか?」
突然話しかけられ、スヴェンは嫌悪感を湧き上がらせる回想から我に返った。声の主を横目でちらりと見た。銀髪の男の子だった。
「誘拐なら良かったかもな。俺は親に売られたんだ」
「……そうか」
それきり、銀髪の男の子は黙ってしまった。何だか悪いことをした気分になってきたスヴェンは、今度は顔を向けて自分から話しかけた。
「俺、スヴェン。お前は?」
「俺はジェイ」
ジェイの左目は碧かった。もう片方の目を見たスヴェンはぎょっとした。
「怪我したのか? 痛くねぇのか?」
ジェイの右目の上下のまぶたは縫い合わされていた。目を開けることができない状態だった。
「これは、実験だ」
「実験?」
「お前もすぐわかるよ」
それ以上右目のことについてジェイは話したくなさそうだったので、スヴェンは碧瞳族について尋ねた。ジェイは碧瞳族のことはもちろん、他の種族についても知っていた。
「ここにいても、やることがなくて。話す以外は。それにしても、お前……」
「なんだよ」
ジェイは首を傾げスヴェンを見つめた。
「変わってる。普通はここがどこかとか、自分がこれからどうなるのかとか聞くだろう?」
そんなことか、とスヴェンは壁に預けていた背中を更に下へとずり下ろしだらしない姿勢になった。
「言っただろ、俺は売られてきた。俺の親父が俺を良いところに売るわけねぇ。俺はなにかの実験体にされる。お前さっき『実験』って言ってただろ。それに、ここにいても、今まで嗅いだことのない薬品っぽい匂いがしてくる」
ため息をついてスヴェンは続けた。
「あと、こんな雑に牢に入れられてるのに、お前も他の奴らも髪があまり伸びてないしそこまで脂じみてねぇ。俺たちを丁重にもてなす気はさらさらないのに、汚い奴がいないってことは……わかんねぇけど、すぐ死ぬんじゃないか、俺たち」
スヴェンのネガティブな推理を、ジェイは目を丸くして聞いていた。
「やっぱり変わってる。そんなこと普通は平気で言えない」
「現状把握しただけだ。それを受け入れるとは言ってねぇ」
生まれた年月日が不明なので正確にはわからないが、スヴェンは今年で十歳くらいだった。母親はいない。飲んだくれで賭け狂いで暴力的な父親と貧民街で過ごしてきた。周りの大人もみんな同じようなものだった。そこで生き残るには、目聡くならざるを得なかった。
「あなた、随分と鋭い観察眼をお持ちなんですね」
牢屋の暗がりから、クックックッと笑う声が聞こえた。
「誰だよ?」
スヴェンは体を起こし、睨みつけた。相手は少しスヴェンたちににじり寄ってきた。顔が見えた。ジェイと同じ碧瞳族で、右目は縫われている。
「11464番です。以後お見知りおきを」
右腕に入れられた焼き印の番号を見せながら、彼は名乗った。スヴェンよりは年上に見えた。誰もが右腕に識別番号を持っていたが、それを名前のように自身を表すものとして使っているのは彼だけだとジェイが後にスヴェンに伝えた。
スヴェンは牢の外の様子を何日かじっと観察したが、脱出できそうな手がかりは見つからなかった。そのうちスヴェンが話していない男の子三人――話していないというよりはほとんど意識がないので話せない――は、別の三人に入れ替わった。
一週間も経たないうちに、ジェイの言っていた実験をスヴェンも体験することとなった。右目を他種族のものと入れ替えるというものだった。術後、目を覚まして一番最初に見たのは、ジェイの心配そうな顔だった。
「目覚めたか」
「みたいだな……うぅっ……」
硬い床から起き上がろうとして、あまりの頭痛にスヴェンはまた倒れ込んだ。
「その痛みは、一週間は続くだろう。今はまだ寝ておけ」
ペラペラの薄汚れた毛布を、ジェイは自分の分もスヴェンにかけた。次にスヴェンが目を覚ました時、ジェイは牢の中にいなかった。代わりに別の子どもが来た。次は自分の番かもしれない、と固い床に爪を立てスヴェンは思った。




