第89話 ラッキー
なんとか洋が隊の全員を乗せてたどり着いたのは、幸か不幸か無人島だった。昔は人がいたようで、まだ使えそうな空き家があった。かなり埃っぽかったが、雨風は凌げそうだったのでそこを当面の生活拠点とすることにした。紫苑たちは使えそうな布や自分たちの制服などを敷いて寝床代わりにし、洋とノアを横たえた。彼女たちは洋とノアの看病と食料確保に奔走した。
「夏で良かった。木の実がふんだんにある。それに、昔畑だったと思われるところに野菜が自生していた」
「早々に泉も発見できたし、しばらく生きられますね」
空き家の中で、紫苑の手渡す果実にケイリーはかぶりついた。空軍のサバイバル訓練が、空軍から逃れ生き残るのに役立つとは皮肉なことだと紫苑はこんな時なのにおかしく思った。
「ここで暮らしていくことも、不可能ではないってことね」
ビアンカの言葉には、そんなことしたくはないという響きが籠もっていた。そんなビアンカの気持ちを感じ取って、紫苑は軽くため息をついた。
「洋が回復するまでは、ここで暮らすしかないな」
洋はあの怪我からは信じられない程の距離を四人を乗せて飛行した。元少将だったのは伊達ではない、と紫苑は彼に対する自分の認識を改めた。紫苑は彼が死に物狂いで稼いでくれた距離と時間が無駄にならないことを祈った。
無人島に着いて二日目の夕方、例の空き家で紫苑とケイリーは火を起こし夕食の準備をしていた。ビアンカは濡らした布でノアの顔をぬぐっていた。目元をなぞるように布でふき取った瞬間、彼は目を覚ました。
「サラは!? ……うっ」
ノアはビアンカの手を跳ねのけるかの勢いで起き上がり、顔をしかめてまたすぐに倒れた。
「まだ動かない方がいいわよ。傷口が開くわ……フフ」
体の痛みとビアンカの不敵な笑みにより、ノアの顔は青くなる。紫苑は彼の顔を覗き込み、サラは仲間の助けにより無事逃げたことを伝えた。また、自分たちの今の状況も説明した。なぜ、ノアが突如として投獄されたのかも含めて。
「サラは、俺たちがこうして隠れていることを知らないんですよね?」
「これだけの騒ぎだ。おそらく新聞には事の顛末が載るだろうから、私たちが捕まっていないことはそこから知るかもな」
妹の無事に一安心しつつも、まだ不安の拭いきれない表情のノア。左手で顔を覆い、力なく思いを吐き出す。
「サラは、また探しに来てしまうかもしれない」
「だったら、また会えるかもしれないからいいじゃないですかぁ」
いつもの調子のケイリーの言葉に、ノアは首を振る。
「俺たちの方が空軍本部には近い位置にいるだろうし、軍に残された何かしらの生体情報ですぐに見つかってしまうかもしれない。軍は……結局鍵が見つかるまで、あきらめないんでしょう? 今来たら、サラまで危険に晒される。頼りになる仲間がいるんだったら、俺のことはほっといていいんだ」
今回のことが余程応えたのだろう、と紫苑はノアの弱り切った姿に胸が痛んだ。最愛の家族との再会が、その人を失う可能性を著しく高める。紫苑はノアの怪我をしていない方の肩にそっと手を置いた。
「とにかく、今は休め。何をするにせよ、体が動かなくては話にならない」
「そうですね……あ、隊長!」
ノアが顔から離した自身の左手を見つめる。何かが引っかかっていた。一本の金色の髪の毛。
「最後に頭を撫でたとき……? サラのかも……! 隊長、伝心の術使えますか?」
興奮気味に目を見開くノアに、落ち着け、と紫苑は掌を向ける。伝心の術は離れた相手に言伝する無系統の術だ。確かに相手の体の一部があれば使えるが、風属性の紫苑は得意ではない。
「やってみるが……あまり期待しないでくれ。あと、お前も協力してくれ。血縁者の方が成功率が高い。私が術を発動させるから、お前が言葉を念じるんだ。術名を唱え終わったら、何度も同じ言葉を頭の中で言い続けるんだ。できるだけ短い言葉にしろ」
ノアは横たわったまましっかりと頷く。紫苑は右手の人差し指に金色の髪の毛を結び付け、自分の右腕をノアに掴ませた。頭の中にしっかりとサラの顔を思い浮かべ紫苑は指を何通りもの複雑な形に組み合わせ「伝心の術!」と唱えた。瞬間、右腕を掴むノアの手から力が抜けた。離してしまわないよう、紫苑は左手でそれを抑える。ノアは目を閉じて眠ってしまったかのようだった。数秒後、激しい呼吸と共にノアが目を開いた。
「不思議な感じ、ですね……。サラの声が返ってきた」
「それなら、成功だ。もう、休め」
紫苑が言い終わらないうちに、ノアは気絶するように眠ってしまった。安心と術による消耗。紫苑は少しでもノアの不安を取り除くことができ、心が軽くなった。見守っていたケイリーとビアンカとともに夕食づくりをしようと立ち上がったが、眩暈がしてその場にしゃがみ込んでしまった。
「無茶するからよ」
「隊長も、ノアと洋さんと仲良く休んでてください」
笑顔の二人に礼を言い、紫苑は座って穏やかなノアの寝顔を見守った。
紫苑たちが無人島に来て三日目の朝、洋の意識は戻ったが、上体を持ち上げることさえできなかった。洋は申し訳なさそうに眉間にしわを寄せた。
「悪いな。すぐにでも乗せて飛んでやりたいんだが……」
「何言ってんですかぁ。洋さんのおかげで私たちみんな下海に落ちずにすんだんですよ」
二人が摂取できるように木の実をぐちゃぐちゃにすり潰しながら、ケイリーは言った。紫苑とビアンカは食料と水の採取に行ってしまっていた。
「そうですよ。俺なんて妹におぶわれてただけですからね。それで今も動けないんだから、木偶の坊もいいとこです」
そう言うノアに、うんうんその通り! とケイリーが大きく頷いた。
「ちょっと、そんなに同意されると傷つきます……」
と落ち込むノアの様子を見て、洋は思わず吹き出した。吹き出した反動で折れた肋がひどく痛み、洋は締められた鶏のような悲鳴ともなんとも言えない声を上げた。
「大丈夫ですか!?」
寝床で座っていたノアは慌てて洋の方へ身を乗り出し、うっかり斬られた方の肩へ体重を乗せてしまい痛みで呻き不格好に寝床に崩れ落ちた。
「な、何やってんですかぁ、ふ……二人共」
可哀想な怪我人のはずなのに、あまりに滑稽でケイリーは気遣う言葉の裏に笑いを隠しきれていない。
「何、この状況? 楽しそうね」
扉を開け入ってきたビアンカがいつも通りの笑みを口元に浮かべた。ビアンカと一緒に戻ってきた紫苑は一瞥し全員の状態を素早く確認し、緊急性のあることが起きたのではないと把握した上で話しだした。
「朗報だ。たった今船が手に入った」
「え、すごっ。どういうことですか」
ケイリーは目を丸くした。紫苑は表情を変えない。
「ここは空賊の隠れ家だったらしい。先程この島にやってきた奴らの船をいただいた」
「隊長と私で、乗組員全員戦闘不能にしたの」
「え、すごっ……っていつも通りか」
ケイリーは一人納得し、軽く手を打ち合わせた。
ノアも洋も限られた道具と薬とでしか、怪我の処置をされていない。早くまともな治療をした方が良いのは明らかだったので、船が手に入ったのは紫苑たちにとって非常に幸運なことだった。
今後のことは、船に乗ってから考えよう……紫苑は軽く頭を振り乗船準備を進めた。




