第86話 囲まれる
これ以上船のスピードは上げられない、と首を振るサラを見て、紫苑は渋い顔をして俯いた。
「追手なんて蹴散らせばいいだろ。お前とこいつはほとんど無傷じゃねぇか」
顎で指し示したビアンカに腕を縫われながら言うサラの言葉に、紫苑は顔を上げた。
「そう、こちらの戦力はビアンカと私の二人。対して相手は――赤い狼煙を上げたということは、この規模の船が十隻は一気に来る」
サラは言葉に詰まった。この規模の船とはつまり五人は乗れるということだ。単純計算で五十人は来るということである。
「船によってはこれより速いから、追いつかれて交戦してる間に他の船も追いついて囲まれちゃうっていうのが最悪のシナリオ」
ケイリーは淡々と恐ろしいことを言う。紫苑は厳しい顔をしたままだ。
「はい、できたわ」
ビアンカははさみで糸を切り処置を終えた。サラの縫ってもらった腕は、もちろん治ったわけではなく、ほとんど動かない。焼かれているような、棘を刺され続けているような、とにかく通常とはかけ離れた感覚だった。縫われてる間も麻酔と消毒効果のある液体をかけられていたとはいえ、かなり痛んだ。今の状態ではかろうじて弾の補充はできるかもしれないが、安定して射撃をするのは無理だった。そもそも、縫われたのなら基本的には絶対安静である。
戦力差は歴然だった。
「ケイリーの言う通りだ。だが、こちらのできることは結局、サラの言ったことだけだ」
毅然とそう言うと、紫苑は刀を抜いて立ち上がった。これは傷口が開くなどと弱音を言ってはいられなさそうだ。サラも銃を構えた。
「あなた、こっちも使える? ノアはどちらかと言うとこっちをよく使ってたわ」
ビアンカが船の物入れから筒の長い銃を取り出した。
「兄ちゃんの方が遠距離射撃は得意だから、どうだろうな……」
扱えないわけではないので、サラは一応受け取った。弾を確認し照準器を覗き込む。手入れはきちんとしてある。
船から見るロンシャス島は、サラの拳程度の大きさになっていた。
「……来たか」
紫苑の呟きでサラたちの乗っているものと同程度の大きさの船がぐんぐん近付いているのに、サラも気が付いた。
「もう、位置を特定されたのか」
「探索得意な人が乗ってると思う。私たちの術は見切られちゃう」
ケイリーは、首からぶら下げているネックレスを眺めている。グンター少将との戦闘中には気が付かなかったが金属のタグがいくつかついており、そこに魔法陣が描かれている。リアムはサーベルに刻んでいたが、こんなタイプもいるんだなとサラは興味深く思った。
「とりあえず、目眩まし!」
ケイリーは、幅三十メートル程度にわたって大量の雪を降らせた。相手からこちらの正確な位置は見えなくなった。しかし――
「おい、射撃できねぇよ」
こちらからも見えない。サラに言われてケイリーは「てへっ」と舌を出した。サラは思わず舌打ちしてしまった。
「ノアと全く同じ反応するのね」
フフフ、とビアンカが笑う。こいつら、置かれている状況がわかっているのだろうか。サラは頭まで痛くなってきた気がした。
「サラ、船の進路を二時の方向へ。雪がやんだらできる限り遠い状態で相手を撃ち抜いてくれ」
紫苑は慣れているのか、ケイリーとビアンカのやり取りを全く意に介していない。サラは船の進路を調節してから船縁に体を固定し銃を構えた。
ケイリーが雪雲を散らす。止んだ雪。晴れた視界。
空気を切り裂く、鋭い銃声が走る。
「血筋なのか……さすがだな」
紫苑が珍しく目を見開いている。サラは追手の船のマストに結ばれた紐を撃ち抜いたのだ。畳まれていた帆が風に煽られ、船は安定しなくなりがくんとスピードが落ちた。
「撃った後、髪をかきあげるのも同じだね」
ケイリーは、面白がっているようだった。サラの頬が赤く染まる。
「……兄ちゃんだったら、倍の距離でも当てる」
サラは目を合わせずに言い、次の射撃に備えた。縫われた傷口から早速血が滲む。ビアンカが嬉しそうな顔をしているのは気にせず、ボルトを引き薬きょうを排出する。
次の瞬間、ガタンッと船が左に大きく傾いた。
「魔法で気配を……! 先に回り込まれてたんだ」
ケイリーがそう言い終わらないうちに、右側にぶつかってきた船から空兵が跳び乗ってくる。それに紫苑が応戦する。ビアンカも斧を振るう。サラはそちらに参戦せず遠くの船を狙って撃ち、できる限り近づかせないようにした。
紫苑とビアンカがそれぞれの武器を振るう度、呻き声とともに赤い閃光が宙を舞う。空兵の中でも二人の強さは異様なのだ、とサラはごくりと唾を飲みこんだ。
しかし、すぐに他の船も近付いてきた。敵がどんどん増えていく。今横付けしているのは一隻だけだが、あと四隻がほんの十メートルほどの距離だ。
ケイリーの言っていた最悪の事態になってしまった。囲まれ、捕らえられてしまう。サラは船縁に背を預け、ぐったりとしている兄をちらりと見た。せっかく会えたのにまた離れ離れになるのだろうか。あの父親の子どもだというだけで……
突然の爆発音に、サラの思考はそこで停止した。




