第82話 脱出
監獄の中央は、看守たちの執務室だ。その上に展望台があり、他の建物より少し高くなっている。監獄全体とその周辺を見張るためのものだった。
それが今、見事に砲撃が当たり豪快な音を立てて崩れ落ちていた。あまりにも予想外の出来事に流石の看守長も一瞬気を取られたようだった。その隙にノアは身体に無理をきかせ立ち上がり、看守長の後頭部を思い切り殴りつけた。
看守長は意識を失いその場に崩れ落ちた。と同時にサラを拘束していた木はしなしなと枯れていった。
サラは再び膝をつく兄に駆け寄った。借りている空軍の制服をナイフを使って裂き、包帯代わりにして兄の右肩にギュッと巻き付けた。ノアは短く呻いた。顔色は蒼白で、体全体に力が入らないようだった。
何が起きたのかよくわからないが、とにかく打ち合わせた通りの場所を目指さなくては……とサラはノアをおぶった。火事場の馬鹿力かなんなのか、とにかく必死過ぎてサラはノアの重さを感じなかった。
「中庭の塀を越えた先にある桟橋を目指す。そこに船が来てるはずなんだ」
サラはノアの意識を遠のかせまいと話しかけた。苦しそうな息遣いだけが聞こえた。ロープを隠し持ってきてはいるが、果たしてノアを担いだまま塀を越えられるだろうかとサラは眉間にしわを寄せた。
呻く囚人たちをよけたり時折踏んづけたりしながら、サラは塀の元へとやってきた。直ぐ側で見る塀は、思っていたよりもずっと高かった。垂直で滑らかな表面。塀の上には有刺鉄線が張られている。
サラは鉤爪付きロープを上に放り投げ、有刺鉄線にひっかけた。良くも悪くも有刺鉄線は頑丈で、しっかりと鉤爪がひっかかった。これで塀の上まではロープを使って登れる。乗り越えて反対側に行く際に多少手足がずたずたになるだろうが、この際どうでもよいとサラはやけになりながら考えた。
問題は兄だ。サラはロープで自身とノアとを結びつけ、ノアをおぶったまま腕に力を入れ塀に足をつけた。
「ぐっ……」
自分の筋力のなさに嫌気が差す。一人だったらするすると登れるのに、倍以上の重さになると途端に動けない。屈強な何者かに地面に引っ張られているかのようだ。
それでも兄を救うためと思い、サラはロープから手を放さず少しずつ上へと移動していった。カタツムリのようにゆっくりゆっくりと、塀を上っていく。あと数十センチで有刺鉄線まで届く……そこまで来てサラの足が滑った。もともと何のとっかかりもない塀だ。ここまで上手く踏ん張れてきた方が奇跡かもしれない。サラ一人の体重ならば腕の力だけでロープにぶら下がれたが、ノアの分も加算された今、サラにはそれは不可能だった。
ロープは摩擦の熱を帯びながら、サラの握りしめた拳の中を滑っていった。地面に着地した時に、サラは右足首に違和感を覚えた。
「ちくしょっ……」
捻挫したようだ。悪ければ折れているかもしれない。これでさらに踏ん張りはきかなくなった。塀を越えることはサラには絶望的に思えた。
どこか別の出口はないものかと、サラは自分が通ってきた道筋を思い返した。囚人たちの収監されている部屋、食堂、中庭、独房……どこも外へつながっている様子はない。始めに入ってきた入り口には戻れない。それまでに他の看守に見つかってしまう。
背中の兄はぐったりとしている。早く適切な処置をしないと、命も危ないかもしれない。サラはひたすらに焦った。どうする、どうする……
「サラちゃん、そこにいるのぉ?」
塀の向こう側から場違いなのんきな声が聞こえた。この声は……
「ケイリー……?」
サラの耳元で微かにノアが呟いた。そうだ、紫苑の隊の翠瞳族の隊員だ。本来ならば船で待っているはずだった。しかし、助かった。
「いる! 兄ちゃんが怪我してるんだ。塀を越えられねぇ」
サラは叫んだ。必死過ぎて声が涙交じりになる。情けない。
「ちょっと待ってね」
サラにはよく聞こえなかったが、ケイリーは呪文を唱えたようだ。突然、サラの周辺だけパラソルをさしたように日陰になった。見上げるとそこには、灰色の塊があった。直径二メートル程度の分厚い雲だ。
「少し下がった方がいいかも〜!」
塀の向こうのケイリーの声に従って、サラは塀から距離を取った。次の瞬間、ドカッと大量の雪が雲から降ってきた。一気に冷気が立ち上がる。あまりにも多いので降ったというより塊が落ちたような感じだった。「下がった方がいいかも〜!」なんて呑気な忠告では、足りない質量だ。
「それ使って登れるー?」
雪は塀に向かって坂道を作っていた。どうやらケイリーは、雪を好きなように降らせられるようだ。サラはノアをしっかりと背負い直し急な雪の斜面を登った。ザクザクと足が沈み込むが、ロープを使って登るよりずっと楽だった。
塀を越えた反対側は、すべり台のように滑っておりた。一番大きな関門は超えた、とサラは長く息を吐いた。




