第70話 大型船
サラが仲間たちから離れる前の日、空軍本部では――
丸一日以上の長い尋問が終わり、紫苑はコキコキと肩を鳴らしながら廊下へ出た。尋問される側でこの部屋を使ったのは初めてだ……と空賊に少し同情しそうになって、より嫌な気分になった。
「よぉ、終わったか」
壁にもたれた洋が軽く手を挙げる。
「お前も取り調べか?」
洋はうなずきながら伸びをし、紫苑と横に並んで歩いた。
空軍本部の本棟は地上三階、地下二階建ての石造りの建物だ。島にはこの他に訓練所や宿舎や監獄、それに定食屋に武器屋などがあったが、全て空軍が運営していた。
紫苑たちが歩いているのは地下一階の廊下だ。取調室や留置所がある。さらに下の階は非常食や備品などの倉庫だ。
「無罪放免ってわけか?」
「元々、何も疑わしいことはしていない。ルイのことは、私は何も知らなかった」
紫苑は地上へ続く階段を登る自分の足をやけに重く感じた。ルイ……今となってはノアと呼ぶほうが正しいのだろうが、とにかく彼は紫苑の愛すべき部下だった。
どこか冷めた目をしつつも真面目に任務をこなした。空軍の兵に似付かわしい、空賊に対する憎しみを心の中に宿していた。彼の冷静な判断と射撃の腕にどれだけ助けられたか分からない。
彼は自分のことを上官として慕ってくれていた……と思うが……。
また私は見誤ったのだろうか。また裏切られたのだろうか。
長い黒髪とともにバッサリと切り捨てたはずの、甘く切ないと同時に鋭い痛みを伴う感情が頭をもたげた。
「あいつが空軍にあだなす存在だとは、俺は思えないんだけどな」
紫苑が呪いのように囚われていた思考は、洋の言葉に遮られた。階段を登りきった先にあるエントランスにはケイリーとビアンカがいた。
「隊長、あいつどうなっちゃうの?」
「あんな不器用な人に、スパイ行為なんてできると本気で思ってるのかしら?」
過去の感傷に自分は囚われすぎている、とただただ彼を信じ彼の身を案じている部下たちを見て紫苑は反省した。自分の経験の限定的な部分だけを振り返ってはいけない。
初めて会った日の彼を思い出した。
「空賊が嫌いだ。あと、会ってぶん殴ってやりたい奴がいる」
ギラギラと視線を尖らせ吐き出した少年のあの言葉が嘘ならば、何が真実足り得るのか。
「……とにかく、この島で待機だ。宿舎に行くぞ」
いつもよりすんなりと、部下たちは紫苑の言葉に従い後に続いた。暗い地下に慣れてしまった目に突き刺さる夕日に紫苑は目を細めた。
時は戻り、サラがアベルから逃げるようにして離れて行った後――
すぐに島を離れ、別の碧瞳族の島へサラは渡った。そこで物資を買い揃えた。見つからないようとにかく痕跡を残さず、素早く移動するのだ。
空軍本部へは自分ひとりで行くと、はじめから決めていた。仲間に迷惑はかけられない。何より、彼らには生きていてほしかった。
自分は良い。元々兄を探す旅をしていたのだ。彼がこの世からいなくなってしまう可能性があるのなら、命をかけてでも何かするべきだ。
それに、兄と別れてからスヴェンたちに会うまで一人でやってきた。商船、空賊船、野党の根城……様々な場所に潜り込み生きながらえてきた。今更一人に戻ったところで大したことはない。
「そう、前に戻っただけだ」
当時の感覚を思い出そうと、自分の半生を振り返った。大丈夫だ、大丈夫……頭の中に「サラー!!」と叫ぶアベルの声が割り込んで来た。唇を噛み、その響きを頭から追い払った。
港に行くと、空軍の船がとまっていた。巡回船ではなく、五十人は乗れそうな大型の船だ。よほど大きな事件があったか、重犯罪を犯したものを護送しているのか、とにかく通常では見ないサイズだ。
船がすぐに出航する気配はなかった。サラは繁華街の酒場や食堂をチラチラと覗いた。白い制服姿が数人見える店に入る。カウンター席で普段飲まない酒を注文した。
「昨日本部を出たばっかりだってのに、もう戻るのかぁ」
空軍の制服を着た若い男がサラのすぐ後ろのテーブルでぼやいた。やはり……サラは自分の目論見が当たったことに少し安堵する。休憩の者は船外で食事をとっていた。コップを置く音がし、今度は若い女が口を開いた。
「仕方ないでしょ。緊急招集なんだから。空軍本部にあの最悪の空賊、ダミアンの一味が来るかもしれないのよ」
サラは振り向かず、集中して耳だけ澄ませた。大型の飛空艇はこれから何かの任務に向かう途中だったようだ。兄の正体を公表した件は、空軍としても予定外の出来事だったのだろうか。空軍内部の指揮系統や各部署の連携についての仕組みをよく知らないので、サラには考えてもよくわからなかった。
なんにせよ、今そこはどうでもよかった。とにかく、あの大型船は空軍本部へ向かうのだ。乗り込むことができれば定期船を乗り継いだり割高なレンタル船を利用するよりはるかに手っ取り早く、目的地へたどり着くことができる。
しばらく二人の若い空兵の会話をサラは聞いていた。船は数時間後には本部へ向けて出発するらしい。それまでに上手く潜り込みたいと、サラは方法を必死になって考えた。本部から出てきたばかりということは、食料や水は足りているだろうから物資の調達はしないだろう。荷物に紛れて乗り込むのは無理そうだ。
……いや、待て、だったらなぜ空軍本部に近いこの島にあの船は停泊しているのだ。緊急招集ならばすぐ戻れば良いではないか。サラは考えるのを一旦やめた。もう一度二人の会話に集中した。
「俺の彼女がこの前仕事と私とどっち大事なのよって言ってきてさ」
「相当怒ってたのね」
ダメだ、全然関係ない話をしている。すごく興味がない。サラはため息をついた。
「長い任務の予定だったからな。結局今回はこの島で引き取るだけだったけどさ」
「予定では十以上の島から空賊の引き取りだったもんね。私が彼女でも、ちょっと怒るかも」
「でも、たまに各島の警備隊とかからお礼もらえたりするらしいじゃん。空賊討伐より安全で良い任務だと思うけどなぁ」
失せた興味が再び湧いた。なるほど、あの船はやはり護送船だったのだ。予定を変更してこの島でのみ空賊の引き取りを行うということなのだ。
サラは口をつけていないグラスを残し、酒場兼食堂を後にした。




