第69話 別れて
サラたち一行がリーミン島を離れ行先を決めた次の日、ロンシャス島監獄内――
夏間近とはいえ、朝方の牢の中は冷えた。薄っぺらい布切れしかかけるものがないのだから、当然といえば当然か、とノアは硬い寝台の上に起き上がった。
簡素な部屋だ。寝台と流しと鏡、あとは便器があるだけだ。壁も床もひんやりとした石でできており、中の者を絶対に出さないという強固な意思が感じられる。
鉄格子のはまっている小さな窓から白んできた空を眺めながら、ここ最近の出来事をノアは思い返した。
あれは二日前夕方、船のメンテナンスのために本部へ久々に寄った時だった。紫苑隊長に続き船から降りた瞬間、
「ノア・シルヴェストル、空賊行為の幇助及び密偵の疑いで拘束」
本部の燗流中将に無言でそう書かれた命令書を見せられ驚きのあまり抗議の声さえ出せないうちに、手錠をかけられ両側からがっちり抑えられてしまった。
「な……どこにそんな証拠が! いくらなんでも横暴です」
中将もノアを押さえるその部下も、ノアの反論に全く聞く耳を持たない。紫苑が中将の肩を掴んだ。
「ルイの言う通りです。こんな形で連行するのはおかしい。まず彼直属の上官である私に話を通し……」
中将は何も言わず首を振り冷たく紫苑の手を払いのけた。中将を睨みつける紫苑を後ろに残し、ノアは独房へとひきずられるように歩いて行った。
それからずっと、ノアはこの牢に入れられっ放しだ。見張りのものが時折回ってくるが、何ひとつ喋らない。日に二度来る食事運び担当の者も、何も言わない。食事は毎回、味のしないドロドロのスープと中がすかすかの硬いパンだけだった。
ずっと、なぜこんなことになってしまったのか考えていた。自分の正体がなぜばれたのか。知っているのは妹のサラとろくでなしの父親だけのはずだ。サラも父親も、わざわざ空軍に自分の正体をばらすわけがない。
では……どこから?
堂々巡りだった。答えが出ないとわかりつつ、ノアは考えるのをやめることができなかった。
今後の自分の処遇についても不透明だった。過去の似たような事件の判例を思い出してみたが、救いはなかった。同じように気の滅入るような処分が下されないことを祈るしかなかった。
これまで自分が空軍で上げてきた功績は、無意味なのだろうか。貢献してきたこと全てが、スパイとして信用させるための行為だと見なされてしまうのだろうか。何がスパイだ。一度だってあんな父親のために情報を流したことなどない。
このままでは気が狂うと思った。ノアは情報が欲しかった。希望も絶望も見えないこの状況が、何よりも彼を苦しめた。
リーミン島から最短距離を行くとおよそ五日で、空軍本部のロンシャス島だ。船をノンストップで向かわせるとスヴェンは言ったが、サラは反対した。
「一度碧瞳族の島に寄りたい。銃弾を補充しておいた方が安心だ」
「デメホン島は紅瞳族の島ですから、そういう類のものはありませんでしたね」
なるほど、と頷くリアム。さして回り道にならないところに碧瞳族の島を見つけ、サラが良いのならと一行はリーミン島を出た次の日の夕方に寄港した。
必要最低限のものを素早く調達するために、船からはアベルとサラだけが降りた。
雨が降っていた。アベルとサラはフード付きのマントを羽織った。しとしとと降る雨は、フードの隙間から入り込みサラの髪を少しずつ濡らし重くしていった。
人通りの多い商店街へ出たところで、サラは首に巻いていたバンダナを解いた。唇を噛み、痛みとともに覚悟を固めた。
「どうしたの、サラ? 何か……うわっ!」
隣を歩くアベルの顔にバンダナを投げつけた。そして素早く人混みに紛れ路地へ入り込んだ。船のある港とは違う港へ駆け出す。
「サラー!?」
叫ぶアベルの声が背後に聞こえたが、無視して走り続けた。足元の水たまりから泥水が跳ねる。
「サラァァ!!!」
聞いたことないほど必死なアベルの声。それでもサラは振り向かない。視界が滲むのは雨のせい、胸が苦しくなったのは全力で走っているせいだと自分に言い聞かせた。
仮面の男――仔空と名乗っていた男――には船がどこに向かっているのかいまいちわからなかった。が、リーミン島を離れてすぐダミアンの息子のニュースを知って納得がいった。
「さしずめ、妹ってところでしょうか。助けに向かうなんて、健気ですねぇ」
ひとり乗りの船の底で仮面の男は寝そべった。眼帯の男たちを追うのを一旦止めることにした。うまく行けば勝手に空軍に潰されてくれるかもしれない。手間が省けるというものである。それに、空軍本部には近づきたくない。
「会いたくないですからねぇ……」
己の正義を語る凛とした声、長く滑らかな黒髪、揺れる紫の瞳――
先日彼等を取り逃がした際に感じたような、吐き気を催す敗北感のようなものを思い出す。同時に彼女を手に入れたいという、相反する制御しがたい焦がれるような感情が湧き上がってくる。仮面の下でどんな表情をしていたのかは、本人にもよくわからなかった。




