第7話 紅瞳族
スヴェンは隠し持っていた手甲鉤を素早く両手に装着した。その切先は、頼りない蝋燭の灯りを密やかに反射する。
「へぇ、変わった武器だな。俺の相棒とは相性が悪いんじゃねぇの?」
隊長はまた勢いよく鉄球を振り回した。むき出しの石の床に直撃する鉄塊。鈍く重たい音とともに削れた小石が飛び散る。隊長は間髪入れず鎖を引き、凶暴な武器を操る。
鉄球がスヴェンの右耳を掠めた。温かい、血の流れる感触。痛みに構わず隊長へと突っ込んでいった。
「おおっ、速いな」
短く火花が散る。スヴェンの攻撃は、鉄球につながる鎖でガードされてしまった。
「飲んでた割にはいい動きだ……」
思わず呟いたスヴェンに、隊長は眉を顰める。
「酒はだいぶ抜けたと思ったんだが」
「鼻がいいもんでね」
スヴェンは鉄球を振り回す隙を与えないよう、攻撃を繰り出し続けた。しかし、尽く防がれてしまう。
「埒が明かねぇ」
そう言って隊長は後ろに飛び、スヴェンと距離をとりぶつぶつと何かつぶやく。隊長の右手の甲にぼんやりと陣が浮かび上がる。
まずい――スヴェンは片方の手の鉤を外し、よりはっきりと光り出す手の甲の陣に向かって投げつけた。が、遅かった。詠唱を終えた隊長はほんの少し体を逸らして鉤を避けると、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「掠るどころか、近づいただけでおしまいだ!」
鉄球と鎖からバチバチと音がし、電光がはじける。その光は隊長の顔の陰影を濃くし、その自信に満ちた表情が強調される。
スヴェンの額にうっすらと汗が浮かぶ。あれでは手甲鉤での攻撃はできないし、あの怪力で振り回される鉄球を避け続けるのも難しい。
「そらぁ!」
目の前に迫る雷の塊のような攻撃を、間一髪で躱す。背後の壁に鉄球の形に焼け焦げた跡。スヴェンを睨みつける隊長の目は血走り鼻息は荒い――心から戦うことが好きなようだ。
「さっき炎を出してたよな? お前も使っていいんだぜ、魔法!」
そう言いながら攻撃の手は緩めない。スヴェンはこんなところで、いつまでも戦闘狂の相手をしていたくはなかった。南門での騒ぎがおさまり、ここに他の兵士も来てしまうかもしれない。
しかし、この姿で炎を扱うのは得意ではない。
「……仕方ないな」
スヴェンはもう片方残っていた鉤も外した。隊長はにやりと笑う。
「お、手から放出するタイプか?」
「違う、口だ」
スヴェンがそう言うや否や、真っ黒い靄のようなものに彼の全身が包まれた。隊長は胴の辺りを狙って鉄球を放ったが、丸い形に靄に穴が開いただけでまるで手応えはなかった。一呼吸もおかず、黒い靄は消え去りそこに現れたのは……
「何だ……?」
四本足の真っ黒い生き物。仔牛程の大きさだが、牙は鋭くしなやかな胴体。四肢もすらりと細い。
「炎と変化の二つの魔法を使うのか! いや、貴様もしかして……」
隊長が言い終わる前に犬は口から炎を吐き出した。先程の手から伸びていた炎よりずっと火力は強い。隊長はさらに離れる。近づくことができない。炎に照らされて見えた瞳の色で、隊長は自分の仮説が正しかったことを確信した。
「紅瞳族……! なおさら捨て置けねぇな」
隊長は次の攻撃を仕掛けたが、敏捷性の数段上がったスヴェンは軽々と跳び上がり避ける。
「甘いなぁ!」
鉄球から波紋のように広がる雷撃が床を這う。着地を狙われたスヴェンは攻撃を食らい、細身の体が床に打ちつけられる。足を痙攣させ、その場から起き上がることができない。
倒れたまま、スヴェンが口から青白い炎を吐き出す。しかし、鉄球と鎖に当たるばかりで隊長までは届かない。隊長には追い詰められ、悪あがきをする獲物にしか見えなかった。
しかし、異変はすぐに起きた。
室内の温度が急激に上がっていく。砕けた木片は部屋から押し出されるように壁に叩きつけられる。ガラス窓にはひびが入り、そのまま砕け散った。息をする度、隊長の喉や肺はひりひりと痛み、焼かれるようだった。
危険を感じ、さっさととどめを刺そうと熱を帯びた鎖を引いて、隊長は驚愕する。
「嘘だろ……!」
鎖の先に鉄球はなかった。鎖の一部は熱でどろりと溶け、重量のある凶器を繋ぎとめることができなくなっていた。
一瞬の隙をつき、スヴェンは射程距離まで詰め炎を吐く。
隊長の左手に炎が燃え移った。炎は腕を上り肩へと近づいていく。隊長は大きく舌打ちをし役立たずとなった武器を手放す。右手で左腕を叩きながら辛うじて割れた窓までいくと、灼熱の部屋から外へと飛び出した。
ここから隊長を退けることができれば十分だと判断し、スヴェンはあとを追わなかった。痺れの残る足を無理やり動かし熱のこもる怠く重たい体を運び、煙の充満する厨房へと向かった。
厨房に火を点けて、勝手口から外へ出たルイとマイリは、スヴェンを待った。三人そろったら、ダインが言っていた抜け道から城外へ脱出することになっていた。
「おい、こんだけ燃えてたらあいつ来られないんじゃねぇか」
炎を見ないようルイは目線を地面へと落としていたが、熱と音で勢いが増しているのは十分に感じられた。……気分が悪い、思い出したくない。
「煙や火は大丈夫よ。あ、ほらね」
マイリののんきな声に重なるように、草を踏み分ける音が近づいてきた。はっはっと口で息をする、真っ黒い生き物がルイのすぐ目の前に現れた。
「ほらねって……でかい犬じゃ……あ、ナハトか」
驚き半歩飛びのいたルイを見て、マイリは腹を抱えて笑い出した。
「で、でかい……犬……!」
息も絶え絶えにルイの言葉を繰り返した。ルイは腑に落ちない。仕方がないではないか、久々に見たのだから。
「この犬……がスヴェンよ」
マイリはまだ笑っている。ルイは改めて犬のような生き物を見つめた。炎に照らされる瞳の色が紅だ。右目には眼帯。艶やかな漆黒の短毛。普通の犬と違って尻尾が三本あり、先端にはろうそくよりは大きな火が灯っている。
「でも、あなたナハトは知ってるのね。紅瞳族のもう一つの姿、炎の使い魔。スヴェンはあまり好んでこっちの姿にならないわ。人の言葉を喋れないし、戻るのに時間がかかるから。多分、あの隊長さんが手強かったんじゃないかしら」
すぐに戻れずナハトの状態の時は喋れない……そうではなかった気がしたが、ルイは自分の記憶違いだろうと一人首を振った。
ピンと立った三角形の右耳を負傷しているのを見つけたマイリが、いつも通り針を地面に刺し陣を作って呪文を唱えた。スヴェンの耳は元通りになった。
これで任務完了だ、とルイが胸をなでおろしたその瞬間――首元が熱くなった。バンダナが発熱している。スヴェンとマイリは一緒にいて無事だ。ということは……
「ダインがピンチね。行くわよ!」
マイリは再び針を刺し、魔法を使いダインの位置を探った。




