第63話 教主様
大聖堂の北西の尖塔近く、教主の執務室。朝日をひっそりと取り込む窓。それを背に、青いベルベット張りの椅子と重厚な机が佇む。机の木彫りの装飾は、そこらの職人ができるレベルのものではない。壁は一面天井まで届く本棚。分厚い歴史書や青天教に関する書籍がずらりと顔を揃える。
執務室の中央。仔空はやたらと装飾のあるふかふかのソファから、立ち上がった。頭痛がし、包帯を少し手で持ち上げて隠していた左目で窓の外を眺めた。できることならこんなところにいないで、秘密を暴かれていないか今すぐ確認しに行きたかった。
「お待たせいたしました!」
仔空はすぐさま左目の上に包帯を戻し、振り向く。満面の笑みでドアを開けて沐辰が入ってきた。そのすぐ後ろには眉間にしわを寄せた女性が、お盆に急須と湯呑みを二つ乗せたものを手に持っている。彼女は眼鏡の奥の心配そうな目を仔空へ向けた。
「仔空様、騎士団員をいつもの二倍に増員しました」
「ありがとう、汐語。今日の警告は念のためです。そんなに心配しないでください」
仔空の言葉を聞いてもまだ曇っている彼女の表情など気にもせず、沐辰は仔空にソファに座るよう勧めた。自身も腰を下ろし目を輝かせ話し出す。
「最近は、失われた『言語統一の奇跡の章』について研究しているんです」
「五種族のばらばらだった言語が、突如として統一された……聖典で唯一、説明のなされていない奇跡ですね。見つけ出そうと考えてるのですか」
絶対見つからないとを知っていることなど、仔空はおくびにも出さない。
「ええ! 従来とは違った側面から……あ……」
ローテーブルに並べられていくお茶のセットを見ていた沐辰は、眉間にしわを寄せた。敏感にその変化に気付く汐語。
「沐辰様?」
「私としたことが……仔空様にお出ししようと思っていた茶菓子を、置いてきてしまいました。取りに行ってきます」
何だそんなことか、と声には出さないものの汐語は軽くため息をついた。
「私が取ってまいります。安全のため本日は祈りを中止したのです。あまり出歩かない方が良いし、教主のあなた様がそんな時に客人とお茶だなんて、他の者が知ったら……」
「仔空様は特別だから良いのです。警備が増えているから危険はないでしょう。それに、そのお菓子は汐語、あなたの知らない場所にあります。その……内緒で食べていたので……」
最後の方はもごもごとはっきりしない声で言い、そそくさと沐辰は部屋から出て行った。全く……と今度はやや怒気を含んだ大きなため息を汐語はついた。
「あなたのこととなると、周りが見えなくなりますね。普段は教主の役目をこちらが心配になるほど真面目にこなすんですが……」
ソファに再び座った仔空はまだお茶の注がれていない湯呑みを持ち上げ、そこに描かれている見事な植物と野鳥の絵を眺めた。
「すみません……彼の家族として謝罪します。しかし、普段は務めを果たしていると聞いて安心しました」
「それはそれは、素晴らしい教主様です。元神徒のあなたから学んだ多くのことを日々生かしています」
そう、彼は教主の後見人。元神徒で現在は旅をする考古学者の仔空……とここでは通っている。いくつ目の肩書きだか、もうわからない。
沐辰と出会ったのは五年ほど前。
彼は空賊船に奴隷として乗せられていた。家族はその空賊に殺されたと言っていた。その空賊のメンバーには黄瞳族はいなかった。仔空が偶然助け出すという結果になった沐辰には、他種族混合を絶対拒否するという思想の土壌が出来上がっていた。
そんな彼を利用しない手はないと思い、教主へとのし上がらせた。
「あなたには苦労をかけますね」
汐語は「とんでもない」と優しく首を振る。彼女はまだ若いが知識と教養があり、何より沐辰の思想に共感している。これ以上ないお付きだ。
せっかく作り上げたこの自分の砦を壊されるわけにはいかない。仔空は湯呑みをお盆に戻し、腕を組んだ。デメホン島で見かけた五人組が、侵入できていないことを願った。
サラたちは、アベルの小道具に頼ることにした。リアムの城に侵入したときと同じ作戦だ。
大聖堂の東側で騎士団員の視線がそれた瞬間を狙い、寧々が煙玉を投げつけた。
「何だ!?」
「火事か?」
騎士団員の注意は一斉に、煙の上がる大聖堂の端へ集中する。参拝客の中には、近寄っていく野次馬や慌てて出口へ向かうものがいた。大聖堂内に混乱が満ちていく。
「今だ」
スヴェンに続いてサラたちは西側の回廊へと抜ける扉を通った。
「誰だ!」
回廊側の扉前にも騎士団員がいた。ここにも増員されているのか、とサラは小さく舌打ちする。少なくとも、先ほど東の回廊には聖騎士団員は見当たらなかった。
槍を構える男の背後に素早く回り込んだ寧々が、鎧の隙間に手刀をお見舞いした。男はその場に崩れ落ちた。サラたちは協力して鎧を剥ぎ取る。サイズの合うリアムがそれを身に着けた。男は壁際の柱の陰に転がしておいた。夕方には目を覚ますだろう。
「さて、西の回廊からの出口を探しましょう」
リアムは兜を被り顔を覆う。これで万が一見つかっても、迷った参拝客と案内する騎士団員を装える。
「どうしたのですか、こんなところで」
ぎょっとしてサラたちが振り返ると、そこには高級そうな菓子箱を抱えた青い衣の青年がいた。その服を着るのを許されているのは教主のみだ。切りそろえられた薄い茶色の髪の下からのぞく黄色い瞳は、眩しいほどに純粋な光をたたえていた。
「教主様、参拝の方がお困りのようなので、今案内をしておりました」
リアムは深々と礼をした。サラたちも慌てて頭を下げた。
「そうですか。ここは立ち入り禁止です。参拝の方々、どうか大聖堂内で祈りを捧げてください」
にこりと笑顔を向ける教主。早速思惑通りにことが運んだ、とサラがほっと胸を撫で下ろした直後、
「ところで……あなたはどなたでしょう? 騎士団員のみなさんは、私のことを『沐辰様』と名前で呼びます」
警戒心を露わにして、教主はリアムを睨みつけた。リアムは何も言えなかった。沐辰は懐から取り出した笛を思い切り吹いた。
ビーッ!!! と鋭い音が、回廊を駆け抜ける。




