第59話 念には念を
スヴェンに言われて目を開いたサラ。周りの景色を見渡したものの、発するべき言葉が見つけられずにいた。
「え……どこ?」
隣の寧々《ねね》の掠れた声が宙に吸い込まれる。
サラたちの立っている足元には、時計塔で見た陣と同じような模様が描かれていた。そこは部屋というよりは東屋のような場所だった。四本の真っ白な柱に支えられた屋根が上にあり、朝の明るい空が壁の代わりに四方に広がっている。
「ここ、東の尖塔だ! ほら、僕が渡り鳥を狩ろうとしたところだよ」
「ということは、やはりここはリーミン島なのか」
はしゃぐ浩宇と対照的に、スヴェンは冷静に確認した。
「そうだよ。ほら、あれが礼拝堂の屋根。ここから階段で降りて右に曲がってずっと行くと左手に扉があるんだ」
浩宇の指差す先には、先日船の上から見た饅頭のような礼拝堂の屋根が見えていた。斜め上から屋根を見下ろしている形だ。今いる東の尖塔は、礼拝堂のある大聖堂をぐるりと長方形に囲む堅固な壁(「内部は回廊だよ」と浩宇)の右下の角に当たる部分だった。
「本当にできたのかよ……瞬間移動……」
サラはまだ信じられなかった。自分の五感がここは元いた時計台ではないと確信を持って訴えてくる。移動したのは事実なのだ。ただ、そんな仕掛けがあること、そしてその仕掛けの性能の高さに頭が追いついていなかった。
「何で、起動できたのかな?」
寧々の目は微かに泳いでいて、サラと同じく現状を飲み込むのにまだ少し時間が必要なようだった。リアムはずっと組んでいた腕を解いた。
「『思いを込め』って物語にありましたよね? あくまで推測ですが……僕たち始めは『起動したい』って考えてたと思うんです。それがサラさんの言葉で『行きたい』って気持ちに変わった」
「なるほど。単純に思いの方向性を『行きたい』に全員が揃えれば良かったということか」
リアムとスヴェンの言うことが正しいのならば、本当に考えただけで起動できてしまうということになる。とんでもない仕掛けだと思うと同時に、一体誰がいつ設置したのかサラは余計に気になった。
「多分そろそろ、教主様のお祈りの時間だよ。移動するなら今かも」
考えるのは後だ、と浩宇の言葉を聞いてサラは思考を無理やり停止した。眼鏡の色設定が黄色になっていることを確認し、しっかりとかけた。
渋い店構えの喫茶店の外。朝日に照らされる石畳を足早に歩く影。
転移陣を利用するには各種族から一人ずつ出さなくてはいけない……彼は考えを巡らせた。先程喫茶店内では彼ら五人全員の種族は確認できなかった。一人、眼帯を付けていた男の見えている方の瞳の色は紅だった。何かが引っかかる……彼はその男に見覚えがある気がした。しかし、思い出せなかった。
聖地へ行けたとしても、そう簡単に真実へたどり着くことはできない。それは彼も重々承知だった。しかし、慎重になりすぎるということはない。
教主である沐辰へいつもより警備を厳重にするよう伝えよう、と彼は港へと急いだ。万が一起動できていたら、空賊であろう彼らを聖地でまとめて捕らえてしまえば良い。
イヴァンの鍵へは近付かせない。誰であろうとも……。彼は薄い笑みを浮かべ、唇を舐める。
「……私のものです」
一人乗りの船に飛び乗った彼は、慣れた手つきでロープを解き船を出す。帆を張った船は空を切るように進み、風に髪がなびく。色眼鏡を取り、常備している包帯を左目が隠れるよう頭に巻いた。
時計台より長い階段を降りきると、先の見えないほど長い廊下へサラたちは出た。こんなに長い階段を食用の肉を調達するために上がったのだから、浩宇の執念ははかり知れない。
「浩宇くん、よくここ見つけたね」
たった今自分たちが出てきた階段の扉を寧々が見つめた。扉は装飾の一部のように壁に溶け込んでいる。知らなければ、よく見てもここが扉だとは気づくことはできなさそうだ。
「たまたまなんだ。尖塔に登りたくて扉を探してた時に、疲れて座り込んだらここにぶつかって。音がおかしかったから調べてみたら扉だったんだよぉ」
浩宇が疲れてへたり込んでいる姿が、サラには容易に想像できた。
「浩宇、礼を言う。お前がいなければ俺たちはここまでたどり着けなかった。ここで別れよう」
「そうですね。誰も見ていない今のうちに離れたほうが良いです」
浩宇は名残惜しそうに眉毛をハの字にしたが「僕の方こそ、ありがとう!」と頷くと今朝買ったコーヒー豆を大事そうに抱えて廊下の奥へと歩き出した。
船の性能の良さもあり一時間足らずで彼はリーミン島へとたどり着いた。瞳色検査を終え、巨大な門をくぐり久々に聖地へと足を踏み入れた。
「教主沐辰へ、すぐに会いたいと伝えてください」
「教主様……? 約束されてますか」
訝しげな顔をする門番に、微笑みを返す。相手の目を見つめ、温度のある声を作る。
「困惑させてしまい、申し訳ありません。仔空が急用で来た、と伝えてください。そうすればわかりますから……どうか、お願いします」
「そ、そうなんですか……えっと……」
どぎまぎする門番。仔空は自分の振る舞いが与えた効果に、内心満足する。門番がもう一度口を開き何か言おうとしたその時、
「仔空様! お久しぶりです」
教主が青い衣をはためかせながらかけてきた。帰宅してきた主人を出迎える犬のように、全身から喜びが溢れ出している。「久しぶりですね」と仔空は沐辰を抱きとめた。
ぎゅっと仔空を抱きしめたあと、沐辰は満面の笑みをすっと消し門番へ顔を向けた。
「伝達されていないのか。仔空様は私の客人。いつでも最優先でお通しするのだ」
「も、申し訳ございませんでした!」
青い顔で深々と頭を下げた門番を背に、二人は大聖堂の方へと歩き出した。
「沐辰、今日は警備を強化してください」
「あなたがそうおっしゃるのならば、もちろんそうさせます。しかし、なぜ……?」
首を傾げる沐辰の頭に、ポンッと軽く仔空は手を乗せた。
「あなたを守るためです。可能性は低いですが、青天教をよく思っていない者が今日ここに侵入する、あるいはすでにしているかもしれません」
沐辰は頭に乗せられた仔空の手を割れやすく貴重な壺でも扱うかのように握り、そのまま胸の前に持ってきて両手で包んだ。半ば恍惚の表情である。
「そんな恐ろしいことが……! わざわざご忠告ありがとうございます」
沐辰は仔空を信用しきっている。その情報の真偽やどのようにしてその情報を得たのか等は、疑問に思わない。我ながら上手く育てたと仔空は内心ほくそ笑む。仔空という名前も、右目の黄色い瞳も、まやかしだというのに。
「とんでもありません。沐辰、自分でも十分気を付けるんですよ。一人で行動しないように。ところで、語汐は?」
「ああ、その、語汐はですね……」
沐辰は目をそらして言葉を濁した。都合の悪いことがあるとすぐに顔に出てしまうタイプである。
「また喧嘩ですか。あの子はあなたのためを思って色々言ってくれてるんです。今さっき出てきたのは、お小言から逃げてきたからですね? 本来はもうすぐ礼拝の時間ですよね」
沐辰は口を尖らせ俯いた。図星のようだ。
「すぐに語汐と合流して、警備に関する指示を出してください。その後、あなたに時間があるようでしたら、一緒にお茶を飲みましょう」
沐辰はパーッと顔を輝かせた。「もちろんです!」と何度も頷き執務室へ去っていった。何て単純で操りやすい人物なのだろうかと、にやけてしまいそうになる顔を仔空は引き締めた。




