第58話 実験
例の茶髪ロングのかつらを再び着けさせられたサラは、ミルクをたっぷり入れたコーヒーを一口飲んだ。眠たい目元をこじ開けようとするかのように店内に眩い朝日が差し込む。
「このコーヒー、いいねぇ。あとで豆買ってもいい?」
両手でマグカップを持ち、浩宇はすーっと香りを吸い込んだ。彼の動きとともに金髪ボブのかつらの毛も揺れる。これから謎の仕掛けの起動実験を行うと言うのに、緊張感の欠片もない。
「ああ、時間までは十分あるからな」
浩宇と同じくブラックのコーヒーの入ったカップを、スヴェンはカチャリと軽い音とともにソーサーに置いた。
このカフェにいる事自体は作戦になんら関係がない。浩宇が「一つ行きそびれたところがあって……」と老舗カフェのコーヒーを飲むことを懇願したのだ。早朝から開いているし、謎の仕掛けの起動に協力してもらうこともあるので訪れた次第だった。
サラは軽いため息をついて、頭の中で昨日取り決めた動きを反芻した。
浩宇が言うには、聖地の中を聖騎士団の人々が警備しているそうだ。その警備が礼拝堂に集中し、他の場所が若干手薄になる時間帯がある。
「教主樣のお祈りの時間だよ。何回かあるんだけど……最初は、だいたい朝八時くらいかなぁ」
浩宇はこめかみに指を当て視線を斜め上にし、一生懸命思い出しているようだった。
もし、上手く仕掛けを起動でき聖地へ行けたのなら、浩宇除く四人でグスト島に関するヒントがないか探る。瞬間移動が成功したという連絡は、ノーチェスを介して行う。ノーチェスから連絡を受けて、船はリーミン島へ出航する。
仕掛けが起動できなかった場合、サラたちは船へ戻りみんなで別の方法を考えることにしていた。
「上手く動くといいね、あの仕掛け!」
寧々の目は朝日を反射して輝く。
「あまり、大きな声で言わないほうが良いと思いますよ」
リアムが慌ててしーっと口元に人差し指を立てた。リアムの言うことはもっともだが、この早朝の老舗カフェで自分たちの話を聞いているものなんていないだろう、とサラは店内を見回した。客はまばらで、新聞を読んだりマスターと話したりしている。ましてや……
「瞬間移動を試そうなんて、聞いてもみんな冗談だと思うよ」
ハハハ、と無邪気な笑顔で浩宇がサラの気持ちを代弁した。
「そうかもな。でも、リアムは正しい」
そろそろ行くか、とスヴェンは立ち上がった。浩宇は慌ててマスターの下へ行きコーヒー豆を買い求めた。
店の奥、爽やかな朝日の届かぬ席で、そんな彼らの様子を横目で見る男が一人。わずかに紫がかった黒髪を、指先で掬い耳にかける。色眼鏡をかけた目元はその色を見せない。薄い唇に笑みを浮かべる。
「瞬間移動……転移陣に気付きましたか。やはり定期点検は大事ですね……」
そう、リアムは正しかった。サラたちの話を聞いていた者がいたとは、この時誰も気が付かなかった。
もしかしたら、瞬間移動の実験までたどり着けないかもしれない……というサラの心配は杞憂に終わった。
「お前、頑張ったな」
「ま、まあね……ひぇ〜……」
浩宇は教会の階段を無事に登り切ることができたのだ。ただ息切れと膝の痛みが酷いようで、時計仕掛けの部屋でへたり込んでしまった。
「あれが例の陣ですね。確かに翠瞳族の物とは少し違いますが……。通常この距離なら起動できます」
リアムは、天井を仰いで目を細めた。塔の外側を飛んできたノーチェスが小さな明かり採りの窓から入り、スヴェンの腕に止まった。
「とりあえず、陣の下辺りに立ってみるか」
スヴェンはノーチェスを梁にとまらせた。物語の中では陣に宝玉を収めたと言っていた。のっそりとなんとか立ち上がった浩宇も含め、五人は等間隔で円形に立ってみた。
「……で、どうする?」
サラはスヴェンを見つめた。今のところなんの変化もない。スヴェンは眉間にしわを寄せている。
「主人公の移動のシーンをもう一度確認してみよう」
『彼は賢者に言われた通りに集めた大切な五色の宝玉を携えて、高き塔に登りました。そして、賢者に教えられた通り宝玉を聖なる円に収め、思いを込めました。勇気ある若者が光より速く、壁を、土を、雲を、通り抜け進んで行く姿は、誰の目にも、もちろん魔王の目にも、映りません』
「……という感じですね」
リアムが双子たちから借りてきたメモを取り出して読んだ。
「主人公、特に何もしてないね」
寧々の的確な言葉に他のメンバーはこくこくと頷いた。何か他にヒントはないだろうかと、サラは上の陣を見上げた。読めない文字ばかりだ。
この仲間との冒険を進めたい気持ちももちろんあるが、自分の個人的な目的のためにもサラはグスト島へたどり着きたかった。
子どものようないたずらっぽい瞳、跳ねた黒髪、神がかった射撃の腕前――兄とは別の、もう一人の見つけたい人物。イヴァンの鍵に近づけば、きっとそいつの行方に関する手がかりがつかめる。
「行きてぇな……」
ぽとりとこぼれたサラの本音に、浩宇が激しく同意した。
「うんうん! これで帰れたら僕は助かるなぁ」
「え……?」
浩宇が言い終わるか終わらないかの内に陣が輝き出した。思わず上へと視線を向けたが、眩しすぎてサラは目を手で覆った。風が巻き起こり髪を乱す。
「目を開けろ」
数秒後、隣に立っているスヴェンに言われて、サラは手を下ろし目を開いた。
「は……?」
サラは愕然とした。自分が今見ている物が信じられなかった。




