第35話 兄妹〈前編〉
自分たちの船に乗り移り、ルイたちはすぐさま出航した。人質だった子どもたちはリアムとマイリが魔法で合作した防護壁の中に残してきた。時間が経てば溶けてしまうが、それまでに空軍に保護されるだろうということだった。麗華たちに再び捕らえられることはない。
空軍の船が麗華たちの船の横に着けたのを見て、ルイは安堵のため息をついた。こちらには来ないようだ。
「動くな!」
鋭く威嚇するような声。ルイたちが素早く顔を上げると、上空に龍にまたがった青年。構えられた小銃、真っ白い制服にルイは舌打ちした。白い船に気を取られているうちに、死角から別の空軍隊員に近づかれてしまっていたようだ。
「アベル、今オレは斜陽石を持ってる。これを上手く使えば船の速度はあげられるよな?」
「うん、任せて!」
帆の陰で隊員の視界に入っていないアベルに、ルイは懐の斜陽石を素早く投げ渡した。アベルはばれないようにそっと、しかし素早く動力室へ向かう。
ルイは改めて銃を構える空軍の青年を見上げた。先程より顔がはっきりと見えた瞬間、ルイの心は周囲から切り離された。風の音は消え、自分が立っている感覚さえなくなる。ただ、相手と自分しか、ルイの世界にはいなかった。
「兄ちゃん……?」
「サラ……?」
同時につぶやかれた二人の声は、相手には聞こえないほどささやかなもの。見開かれた目は、ぴたりと互いを捉えて離さない。
「ルイ、どうした?」
スヴェンに声を掛けられて、ルイは自分が甲板に立っていることを思い出した。上手く回ってくれない頭を無理やり働かせた。空軍に入隊しているはずがないのに……幼い頃の逃亡の日々が瞬時に蘇る。
しかし、あれは間違いなく兄だ。もし、身分を隠して上手く空軍で生活できているのなら、空賊の自分と家族であることがバレてはまずいのではないか?
「サラ! サラだよな!? 空賊に捕まっているのか。兄ちゃんが助けてやるからな!」
叫ぶ空軍の男からルイは目を離せない。今すぐ叫び返したい衝動を必死で抑える。
涙がにじむ。喉が締め付けられるようだ。腰の銃に触れ、自分の心をコントロールしようと試みる。
スヴェンたちに捕まっていることにするか? そうすれば、被害者として保護対象となる。しかし、スヴェンたちは牢屋行きとなってしまうかもしれない。
今のこの関係を断ち切って、裏切る? 自分を大切に思ってくれる人たちを?
何が目的なんだ? 兄を見つけ再び一緒になることではなかったのか?
「つかまって!」
アベルの叫び声が響き、船が急発進した。激しく揺れる甲板をルイはよろめきながら必死に駆ける。船後方の柵を爪が食い込まんばかりに握りしめ、兄を見つめる。青年と龍は、瞬く間に米粒ほどの大きさになった。
真っ白な船と龍の姿が完全に見えなくなったところで、一行は全員食堂に集まった。
「まさか空軍が来るとはね。びっくりしたわ」
マイリはふうっと息をついた。椅子に座り背もたれにぐったりと体を預ける。
「……その空軍だが、ほっといていいか、ルイ……いや、サラの方がいいか?」
スヴェンはテーブルに肘を置き手を組みそこに顎を乗せ、少し遠慮がちな視線を送る。
「そう……だな。サラがいい。そっちがオレ……私の本名だ」
頷いてから、やはり話さなくてはならないとサラは思った。あの空軍の隊員がサラと関係あるということは気付かれている。表情から仲間たちは心から心配してくれているのがわかる。
「戻らなくていいんだ。あの龍にまたがってた奴は、オレ……私の兄だ。ずっと、探していた。けど、ああして元気にしてるならいい。血縁に空賊がいるってなったら、きっと立場をなくす」
サラは拳を固く握る。眉間にしわを寄せて、リアムが言った。
「あの方、ル……サラさんのこと必死に呼んでましたね」
「兄ちゃんとは……あまり安全な生活ができていなくて、はぐれてしまったんだ。で、そんな時はお互いに『ルイ・スタイナー』って名乗ることにしてたんだ。そうすれば、同じ名前を聞いたことがあるって情報がぽっと出てくるかもしれないって」
二人で生活していた頃が懐かしい。いつもお腹をすかせていた。命の危険もあった。しかし、兄が側にいることがサラにとっては本当に幸せなことだった、と一人になってから気付いた。
「ルイ……あ、サラ、人探しが一番の目的って言ってたよね。もう、空賊やめちゃうの?」
アベルの言葉にサラの瞳は揺れ動き、しばらくして腰のホルスターへと向けられる。
「オ……私が探している人はもう一人いる。少なくとも、そいつを見つけるまでは旅を続けたい。それに何より……」
サラは、今までの旅を思い返した。朝日を背に伸ばされた手、狭くも暖かな地下の隠れ家での一時、激まずスープを巡るやり取り……。
全員の顔を見回す。真剣に耳を傾けてくれている。こんなにも、離れがたい場所になるなんて思っていなかった。
「私は、今の生活を気に入ってるんだ。私は……みんなと、一緒にいたい」
言ってしまってから、顔が赤くなるのを感じた。マイリがにやにやしながらも、優しくサラの頭を撫でた。
「わかった。では、戻らないでいいな?」
珍しく、スヴェンが柔らかに微笑んでいた。
全員で次の目的地がアカツキ島だと確認した後、特に仕事もなく天気が良かったので、サラは一人甲板の日当たりのいいところに座り込んだ。
先程は空軍を追わなくていいと言った。この船にいたいのは本心だし、それが最善であるとは思っている一方で、兄のことが気になって仕方なかった。兄は以前と変わらない心配そうな顔を自分に向けていた。いつでも自分のことより妹のことを気にかける、優しい人だった。
「あ、ル……じゃなくて、サラ。リアムがお昼作ってくれたよ~!」
アベルがいつもののんびりした笑顔で呼びに来る。少し兄のことを考えたかったサラは「後で行く」と伝えた。
兄と別れてから今まで、誰にも自分の本名は教えなかった。
この旅の一行に言うことができたのは、おそらく兄を見つけたからということだけが理由ではない。自分が彼らを信頼しているからなのだろうと思った。
きっと本当の名字も教えても、このまま受け入れてくれるのだろうな、とサラは思った。それでも、その秘密はしまっておこう……サラはシャツの胸の辺りをくしゃりと握る。彼らを危険に晒す可能性があることは、絶対にしたくない。




