第31話 右眼
朝日に照らされ、橙色に輝くマスト。その上方にある監視用の足場から、その男は飛び降りた。甲板に着地した際、物音一つ立てなかった。
「敵襲か。お主らは……この島のものではないな」
古風な紫瞳族の戦闘用装束を身につけている。歳はスヴェンとあまり変わらなさそうなのに、話し方も一昔前のものだ。こだわりが強そうだ、とスヴェンは眉をひそめた。
「ああ、悪いが斜陽石は俺たちが独占させてもらう」
スヴェンは手甲鉤を構えて走り寄った。匂いで見張りがいることには気付いていた。船内のルイたちを追わせないため、自分が引きつけなくては。相手は紫瞳族。スヴェンは自分の苦手な術の系統ではないことを祈った。
「麗華様の邪魔はさせぬ!」
素早く左右の手の指を何通りかに組み合わせ、男は何か唱えた。ぷくぅと男の両頬が膨らんだかと思うと、勢いよく水を吹き出した。
もう少しで鉤爪が男に届くところだったが、スヴェンは素早くマストの裏側に隠れた。吹き出された水の当たった甲板の床は抉れた。飛び散る木片。碧瞳族が使う銃のような威力だ。体に当たったら肉が削がれるだろう。
想定内ではあるが、スヴェンは相性最悪の相手と当たってしまったようだった。紫瞳族は素の身体能力が高い上に術によって自身の肉体強化をすることができる。それに対抗するにはナハトになるしかない。だが、相手は水遁使いだ。ナハトの炎は掻き消されてしまう。
「さっさと失せろ!」
今度は別の角度から水の刃が飛んできた。空を切り裂く容赦ない攻撃。スヴェンの左頬と右肘の辺りがスパッと切れた。傷は浅いが恐ろしい切れ味だ。当たりどころによっては、即死もあり得る。
「ホー!」
ノーチェスが警戒するよう鋭く鳴いた。振り向くと、紫瞳族の男はスヴェンの直ぐ後ろに立っていた。水の刃に気を取られているうちに回り込まれてしまった。
相手のクナイと鉤爪がぶつかり、火花が散る。スヴェンは後ろに跳び距離を取った。
紫瞳族の術は翠瞳族の魔法に似ている。一人一系統使うことができ、無系統のものは誰でもある程度使える。
違いは持続時間、要するにスタミナだ。
翠瞳族は空気中に漂う「グラノ」という魔法の素を肌で感じとることができ、それを用いる。魔法の系統とその場にあるグラノの種類が合えば、長時間魔法を繰り出すことができる。
一方で、紫瞳族が術に用いるのは自身の体の中にある「気」だ。これがなくなると術は出せない。
だから、こういった相手が出てきた場合、スタミナ切れを待つ持久戦に持ち込もうとスヴェンは考えていた。
「残念だったな。お主は紅瞳族だろう。拙者とは相性最悪だ」
ばれている。しかし、これは相手の油断を誘うことが出来たと思って良いだろう、とスヴェンは当初の作戦通り動くことにした。ノーチェスの援護があれば、相手の技は辛うじて避け続けることはできそうだった。
だが、油断していたのはスヴェンの方だった。甲板の上で障害物を使いながら逃げ続けた。が、なかなか敵の「気」は切れなかった。かなりタフなタイプの術者のようだった。さらに、スヴェンの計略を知ってか、大技は出してこない。スヴェンの方が体力を消耗してくる始末だった。
「煩わしい。お主が実は要だな」
男は標的をノーチェスに変えた。水の刃が宙に浮かぶ。スヴェンはノーチェスの方へと甲板を蹴る。ふくろうの飛行速度では避けきれないかもしれない。
と、突然男は振り返った。しまった、と思ったときには遅かった。水の刃はスヴェンの脇腹をざっくりと切り裂いた。スヴェンはその場にうずくまる。痛みに呻き声が漏れる。滴る血で甲板の床が染まっていく。ノーチェスはスヴェンの隣にさっと舞い降りた。心配そうに小さく「ホー……」と寄り添う。
「その傷ではもう戦えまい。お主撤退するなら今だぞ。拙者は無益な殺生は趣味ではない」
確かにこの傷ではもうあの技から逃げ回ることはできない……スヴェンは唇をかみしめる。下手すれば失血死だ。痛みは酷いし手で抑えたところで血は止まらない。
「……仕方ない」
スヴェンは激痛に顔をしかめながら立ち上がった。くらり、と景色が揺れた。
「さっさと失せろ」
紫瞳族の男は、スヴェンが戦意喪失したと思っているようだった。
「悪いな、撤退するわけにはいかない」
スヴェンは、右眼を覆っている眼帯を外した。そして相手が動きだす前に、寧々に確認して復習しておいた通りに指を組み合わせ術名を唱えた。
「木縛りの術!」
突如、甲板からニョキニョキと木が生えた。
「どういうことだ……?」
不意を突かれた男は動きが遅れた。生えた木は男の体に絡みつきあっという間に身動きを取れなくさせた。
相手が抜け出せないのを確認してから組んでいた手をほどき、スヴェンはくずれるように座り込んだ。やはり副作用が出る。右眼を中心に頭がわれるように痛い。
止血をするため、傷口を炎で焼いた。肉の焼ける匂いが鼻に満ちる。痛みが体中を這い回る。一瞬、呼吸が止まった。袖口を噛んで歯を食いしばる。熱に耐性のある体とはいえ、気絶しそうだった。ノーチェスはじっと見守っている。
絡まった木から脱出しようともがいていた男は動きを止めた。
「やはり、紅瞳族なのかお主? しかし、この術は間違いなく紫瞳族の木遁。それに、その瞳……」
見えないようにと意識していたが、さすがに無理だったようだ。
スヴェンのいつも見えている左眼は紅、眼帯で隠していた右眼は……
紫だった。
「……前に少しあってな。悪いがお前はこのままここに縛り付けておく」
何となく鋭い匂いのするルイとマイリのペアの向かった方へ行こうとスヴェンは足を踏み出したが、そのまま前に倒れてしまった。頭が痛む。吐気がする。
『気持ちはわかるが、どうせなら利用してしまえ。それに、慣らしておかないと、いざ使ったときの副作用が酷いぞ』
かつてジェイに言われた言葉が頭をよぎる。奴の言った通りなのが癪だった。右腕の山吹色のバンダナが、怪我と不調を感知し発熱する。それを無視し、這うようにしてスヴェンは船底へと続く階段へ向かった。




