第21話 変装
どんよりと顔を曇らせるルイたちと対照的に、アベルとブノワは力強く掌を打合せ歓声を上げた。
腑に落ちないルイたちに、明るい顔をアベルは向ける。
「実は俺たち船はあるんだ」
「ただ、大きくて二人ではとても動かせなくてな」
ブノワの白い口髭の端が、その下の笑顔で持ち上がる。船は屋敷の倉庫にあるので、そこから持ち出すとのことだった。しかし、屋敷にはどのようにして入るのだろうか。アベルは口の端を曲げ、ルイの疑問に対する答えを言った。
「その屋敷は俺の家だから簡単に入れる」
「ん?」「ええ?」と一行はそれぞれ短く疑問を口にし仲良く首を傾げた。アベルは苦笑いを浮かべる。
「俺はその屋敷の持ち主の議員の息子なんだ。しかも、じいちゃんの死刑判決を後押しした大馬鹿者の議員のね。船を使うのもこの島を離れるのも、悪いとは思わない」
ルイは自分の父親のことを思い出した。事情は違えど親に対して嫌悪感を持つアベルに、わずかに親近感が湧いた。
出立前に食料や水など、航空に必要なものを船に積んでおかなくてはならない。碧瞳族のルイがアベルとともに、買い出しへ行くことになった。歳の近いルイは、学校の友人ということにする、とアベルは言った。
「出航はいつする?」
「夜明け前がいいと思う。その時間なら屋敷のみんなは寝静まってるはずだから」
アベルの意見にスヴェンは頷く。
「それまでの時間、狭いけどここでくつろいでおくれ」
とブノワは壁の窪みにある火床の熾火を火かき棒でつつく。その中にある三脚に黒く煤けた湯沸かしをことりと置いた。
仲間たちを隠れ家に残し、アベルとルイは地下水道へ出た。目の前を歩くアベルに、ルイは疑問を投げかける。
「ブノワは脱獄犯なんだろ? よく店を構えられたな」
ランタンの明かりが二人の影を大きく揺らす。
「始めはあの隠れ家にいてもらったんだけど、さすがにずっとじゃ鬱になりそうだったからさ。内緒で俺が空き家を借りたんだ」
借りてからはブノワの技術を活かして店を始めたと言う。ブノワの腕は確かで、店の評判は良いそうだ。ブノワは髭を生やし、人前では常に作業用の帽子とゴーグルをつけているため案外ばれないという。
アベルは店を手伝いながら、ブノワから様々な技術を教わっていた。アベルが店を手伝うにあたり、両親は学校の成績を常にトップに保つことを条件にした。
「親父たちが条件だけ出して、全力で俺を止めようとしなかったのは、きっと社会貢献をしていたって後々言えるとでも思ったからなんじゃないかな。選挙に有利だって」
今のところ、その条件を満たすことはできているらしい。有力議員の息子が店を手伝っているというのも、ブノワが脱獄犯だという事実を誤魔化すのに一役買っているそうだ。
「初めて親父の息子で良かったと思ったよね」
アベルは自嘲気味に笑った。地位ばかりを気にする父親の存在が、彼のブノワに対する敬愛に拍車をかけているのだろう、とルイはやりきれない気持ちになった。
二十分ほど歩いたところで、地上へと続く梯子をアベルは登った。暗闇に慣れた目には少しの日差しでも染み、ルイは目を細めた。そこは、ごちゃごちゃと工具やねじやらが散らばる屋内だった。
「ここがさっき話したじいちゃんと俺の店『時計屋マスタッシュ』! 今日は定休日。時計屋って言ってるけど、修理依頼の場合は、機械仕掛けのものは大概受け付けてるんだ」
アベルは自慢気に言った。二階が住居になっているそうだ。アベルは店と屋敷を行ったり来たりして生活しているらしい。ルイは階段をアベルについて上る。幅が狭く、人がすれ違うのは難しそうだった。
二階の自室に着くとアベルはクローゼットの中をごそごそと探った。待つ間、ルイは部屋を観察した。何かの設計図やナットの散らばる机と揃いの椅子。あとはベッドがあるだけだった。部屋に満ちる、どことなく落ち着く生活の匂い。
「あった! ……ちょっとかび臭かったら、ごめん」
そう言ってアベルは学校の制服を取り出した。少しよれた白いシャツ、紺色のかっちりとしたダブルボタンの上着とそろいのズボン。滑らかな光沢を放つひらひらとした白い布。
「俺、ちょっと店の方で確認したいことがあるから、着替えといてよ」
そう言ってアベルが出て行ったので、ルイは軽く安堵のため息をついた。おそらくアベルはルイのことを男だと思っている。それで全く問題ないのだが、着替えはやはり気まずい。出て行ってくれて助かった。
気だるい午後の日差しが窓から差し込む。脱いだ服を畳み、迷った末寝乱れたベッドの端に置いた。
「なあ、これ大丈夫か」
部屋に戻ってきたアベルにルイは問いかけた。着こなしに全く自信がなかった。お坊ちゃん、お嬢さまの通うような学校の制服に、今までまるで縁がなかったのだから仕方ない。
「まあ、少し大きいけど、そんなに違和感ないよ。襟布は?」
「これのことか? どこにどうつけるんだよ」
アベルは意外そうな顔をして「ちょっといい?」と言い外した皮の手袋を口に加える。ルイの上着の一番上のボタンを外し、するすると白い布を首元に結んだ。長く繊細なアベルの指。節や爪の間には機械油が染み付いている。ルイは結ばれながら、部屋の落ち着く匂いがアベル自身のものだと気付き思わず顔を背けた。頬に感じた熱が、見えていないといい。
「うんうん、大丈夫! どこからどう見ても、聖アントワーヌ学園の生徒だ」
満足げに頷くアベルと目は合わせず、ルイは小さく息をついた。
買い出し前にアベルに頼み街の中心部にある役所へ寄ったが、ルイは目的の情報を得ることはできなかった。
「人探ししてるの?」
「ああ。それがオレの旅の目的だ」
ルイは自分がここにいたという情報を掲示板に残すため、書類にペンを走らせる。日付、自分の名前、目的――
「どんな人なの?」
一時、手を止めるルイ。アベルは小首を傾げる。
「……実の兄。この世で一番大事な人」
ルイは書類に目を戻した。そう、誰よりも大切な人。必ず見つけなければならない。今どこにいて、どのような状態なのか――何の当てもないがやるべきことをやり続けるしかない。
ルイの書類を押さえる手に力が入った。その手をアベルはそっと握る。予想外の温もりに、ルイの心臓は飛び跳ねた。
「ルイ、兄ちゃんきっと見つかるよ。ここを出たら、俺ができることはなんでも協力する」
「……お、おう」
アベルの顔は真剣そのものだった。彼の手を振り払うこともできず、ルイは慌てて書類を仕上げた。
役所から数ブロック先にある商店街は、夕飯の買い物客で賑わっていた。
リアムが「私財です」と言ってかなりの額の現金を持って来ていたので、一行の懐は潤っていたが、アベルも余裕があるようで今回の買い出しは全て自分が賄うと言った。
大量の食料品を荷車に載せ、二人は屋敷へと向かった。
屋敷の門を通るとすぐ正面の扉が開いた。ルイが両手を広げていても余裕でそのまま通れるほどの大きさだ。そこに執事やメイドが六人も出てきた。
「アベル坊ちゃま、お帰りなさいませ」
口々に一礼して挨拶をする。誰もが髪を整えアイロンのかけられたしわひとつない服を完璧に着こなしている。作業着姿のアベルは完全に浮いていた。
「この荷物を船に運びたいんだ」
驚愕するルイの横で、何ごともなかったかのようにアベルは言った。執事たちの靴にも埃一つ付いていない。リアムもそうだが、アベルの住む世界とルイの知っている世界とでは、天と地ほどの差があるとルイは唸った。
「こちらは……?」
「学校の友達のドニだよ」
アベルがいい加減な名前を伝える。ルイは何を言うべきかわからず、軽く会釈をした。執事たちはちらりとルイを見たが、すぐにアベルへと向き直った。
布で覆って隠していた荷車の中身は、学校の課題だなんだとアベルがこれまたいい加減な言い訳をした。執事たちは何か言いたそうな顔をしていたが、アベルが「いいから」と押し通しルイと二人で荷車を引き彼らを後ろへ残して屋敷内へと入っていった。
屋敷の倉庫までたどりつき、目の前に現れた船。
「こりゃすげぇな……」
ルイは息を飲み、その姿をまじまじと見つめた。




