第9話 大嫌い
湯沸かしの口から湯気が勢いよく上がる。
他種族とともにいても邪心が芽生えぬよう、聖なる加護の施された――ルイ自身はその話を信じてはいなかったが――真っ白な空軍の制服の袖を軽くまくる。
「伝令ですよ~」
ケイリーが緊張感のない声で船室に入ってきた。郵便鳥が運んできたであろう伝令書をヒラヒラと右手で振っている。翠の瞳を携えた目元は眠たげだ。優秀な航空士だが、一見そうは思えないのが彼女のすごいところだとルイはいつも思う。
「ケイリーさん、紫苑隊長には報告したんですか」
「その隊長がルイを呼べって」
ルイがケイリーと共に甲板に出ると他のメンバーはすでに集まっていた。
「今回の任務は空賊の駆逐だ」
端的に話す紫苑隊長の明るい栗色のショートヘアが風に揺れる。ひんやりとした紫の瞳には、何の感情も浮かんでいない。
「逆瀧た……悪い悪い、紫苑隊長、概要と作戦は?」
紫苑に氷のような視線を向けられ、呼び名を変えた洋の輝くような黄色い瞳が泳ぐ。歳は紫苑より大分上だが、階級が下の彼は時折人の地雷を踏み抜く。
紫苑は名字で呼ばれることをひどく嫌った。父親が空軍上層部の一角を担う「逆瀧肇大将」として名を轟かせているからだ。
紫苑は自身の力でこの階級まで上り詰めたが、周囲からはコネだと揶揄されることが多々あるらしいとルイは聞いているし、実際に陰口を耳にし相手に嫌味を浴びせかけたことがある。
「目的地はゲーゼンベール島だ」
「あら、私の実家の近くだわ」
そう言って、ビアンカが口元に手を当てる。細めた目から覗く真っ赤な瞳、フワリとカールした肩の辺りまで伸びた金髪、艶っぽい所作。それらからは想像もつかないほど彼女の戦い方は壮絶なのをルイは思い出し、軽く身震いした。
「そうか。確かに、ここは紅瞳族の島だな」
伝令書と一緒に送られてきた地図を、紫苑は広げた。同じ種族の島は近くに固まっている。各種族の住む範囲はホールケーキを切り分ける時のように、中央三島(ゲレースフル島、ロンシャス島、リーミン島)を中心に扇型に五等分されている。
存在する五つの各種族から一人ずつ選出され編成されている巡回部隊の他種族混合の集団は、空軍にはおよそ八百ある。空賊とは違う、合法的なランタナ・パーティだ。
決められた空域をパトロールし異変があれば随時対応するのが任務だ。自分達で空賊行為を発見する場合もあれば、今回のように本部や支部から伝令が来ることもある。
今回もその例に漏れず、島民からの通報が支部にあったそうだ。伝令書によると「マスク空賊団」と名乗っているらしい。彼らは度々島を訪れては武力でもって、島の資源やら食料やらを奪っていくという。
「最低ですね」
こういった空賊の話を聞く度に、黒くまとわりつくような嫌な感情が胸の内から湧いてくるのを、ルイは感じる。空賊の名前を確認した際に紫苑の表情が少し動いたことには、ルイは気が付かなかった。
とにかく現場へ直行せよとの指示が伝令書には書かれており、部隊は進路をゲーゼンベール島へと定めた。
ゲーゼンベール島は、シュトレーン郡の端の島だ。石造りの建物が並ぶごくごく平均的な人口の特別な産業もない、平凡な島。空軍に特別警戒されていない空域で、パトロールで立ち寄ることもない。だからこそ、空賊に狙われたのかもしれない、とルイは嫌悪感を募らせながら考えた。
部隊が着いた港には誰もいなかった。島民も空賊もいない。桟橋は所々壊れており、管理小屋のような建物は砲撃にでもあったのか上半分がない。カラカラと空のバケツが風に吹かれて転がっていく。
港から真っ直ぐ続く大きな道を一行は歩いた。恐らくメインストリートだと思われるが、がらんとしている。半壊の家々があったり、壁の焦げた教会があったりした。どこかで飼われていたであろう鶏が、コッコッコッと地面を突いて歩き回っている。
「酷いわね」
ビアンカが顔をしかめる。ルイは吐き気と頭痛がしてきた。
フラッシュバック。
叫ぶ母親。燃える麦畑と家。無理矢理引いた幼い手。
風に煽られる船。離した悲しげな笑顔。
「おい、大丈夫か? すごい汗だぞ」
「っ……問題ありません」
洋はルイの言葉を疑うように、苦しそうに呼吸しながら額の汗を慌てて拭う彼を見つめた。
「本当に大丈夫です。すみませんでした」
ルイは笑顔を作り軽く帽子を上げた。「そうか……でもな……」とごにょごにょとあまり納得していないように言う洋の言葉を遮ったのは紫苑だった。
「六時の方向に敵影! 身を隠せ」
ルイ達は各々素早く打ち捨てられている建物の影に身を潜めた。
「やっぱり、見たことない旗印だねぇ」
ルイのすぐ隣にいるケイリーが、緊迫した状況に似合わぬいつも通りの口調で言った。
悪名高い空賊の旗印は、空軍のブラックリストに入れられ記録されている。ほとんど全ての隊員は、大まかにその内容を覚えていた。ルイに至ってはきっちり全て把握していた。
確かにケイリーが言う通り、見たことのない旗印だった。ルーキーか、小物か……どちらにせよ油断はせず対処しよう、とルイはホルスターから銃を取り出した。




