86.狂気と呪いの底で3
菖蒲の両腕から生えた桜色の棘。
伸びた棘は幾つもに枝分かれし、さながら大樹の枝のようだった。
鋭く尖った数十本の棘が、茜の体を穿とうと一斉に迫る。
茜は迫りくる棘を全て拳で撃ち落とした。
棘は茜の拳を貫くことは出来ず、次々と折れていく。
茜は棘を無力化し、菖蒲へと接近。
一瞬で菖蒲の目の前まで到達し、右拳を突き出した。
しかし、突き出された右拳は菖蒲を傷つけることはなかった。
茜の拳を止めたのは、菖蒲の背中から生えた八本の蜘蛛の脚。
蜘蛛の脚が壁となり、茜の拳を受け止めたのだ。
茜は二撃目を繰り出そうと左拳を握り腰を後ろに捻るが、突然痛みを感じた。
桜色の棘が茜の背中に刺さっていたのだ。
棘は全て叩き折ったはずだが、現に何十本も背中に刺さっている。
どうやら、この棘は再生するようだ。
棘は深く刺さっているが、鬼神の力を開放した今の茜にとっては大きな問題ではない。
茜は棘を無視し、菖蒲へと拳を突き出した。
茜の拳は、蜘蛛の脚に防がれる。
その間に、棘が茜の足を貫いた。
蜘蛛の脚に邪魔をされ、菖蒲にダメージを与えることは出来ない。
逆に桜色の棘が猛威を振るい、茜が負うダメージが増えていく。
「うふふっ。茜、このままじゃ貴方、負けるわよ?」
菖蒲の言う通り、ここまま戦いが続けば先に倒れるのは茜だ。
しかし、菖蒲は見誤っていた。
長く共に過ごしたというのに、理解が不足していた。
茜という天才が秘めた、圧倒的潜在能力を。
茜は軽く首を回し、息を吐いた。
そして、後ろをチラッと覗き見て竜一の姿を確認。
ニヤッと笑い、茜は己の内側から力を引き出した。
茜を中心に烈風が吹き荒れ、茜は声を発した。
「さあ、行くよ」
直後、茜の姿が消失した。
「―――なっ!? どこに!?」
菖蒲は激しく動揺しながらも茜の姿を探す。
「ここだよ」
背後から茜の声が聞こえ、振り向きざまに背中の蜘蛛の脚を振るった。
ブンと蜘蛛の脚が空を切る。
背後に茜は居なかった。
一体どこに?
そう焦った瞬間、背中に途轍もない衝撃。
菖蒲は吹き飛んだ。
その勢いのまま、前方の壁に衝突。
壁の破片が飛び散り、部屋全体が大きく揺れる。
壁に半ばめり込む形で菖蒲は静止状態。
数秒後、菖蒲はようやく動いた。
壁から身を剥がし、壁の破片を払いながら茜を睨みつけた。
「茜……貴方……まさか」
茜は自慢げな顔をして言う。
「昨日より今日。今日より明日。私って、日々進化してるんだ。一秒後の私は、今の私よりも強いよ」
菖蒲は奥歯を噛みしめた。
腹の奥底から湧き上がる怒り。激しい嫉妬心。
茜は未だ成長中。その底知れずの才能は、未だ発展途上。
茜は既に、菖蒲が到達した地点を大幅に追い越し、朽葉家の者達が誰も到達できなかった場所に至ろうとしている。
「ふっ……ふざけるんじゃないわよ!」
菖蒲は唾を飛ばし、怒りをぶちまけた。
「なんでよ! 貴方のような化け物が、どうして私の妹として生まれてきたのよ! どうしてなの!? どうして貴方なの!? 貴方以外の妹なら、私は絶対に愛せたはずなのに! どうしてよ!」
菖蒲の強い憎悪が込められたその言葉を聞いて、茜は顔を俯けた。
それから、長く息を吐いて、ゆっくりと顔を上げた。
「ふぅー。今のは効いたなー。でも……この程度か」
茜は折れなかった。以前の茜ならば、姉の悪意に挫けていたかもしれない。
だが、今は違う。それは何故か。何が茜を変えたのか。
菖蒲は理解した。
茜の背後にいる少年だ。あの少年が茜を変えた。
あの少年が化け物を完成させてしまった。
それに気付いた菖蒲は行動を起こした。
悔しいが真向から化け物に勝つことは難しい。
ならば、化け物を化け物たらしめる原動力を絶つ。
菖蒲は茜を無視して、竜一へと急接近。
目的は一つ。竜一を攫い、茜から引き離す。
そうしなければ化け物には一生勝てない。
「だめだめ」
茜の声が聞こえた直後、菖蒲は右脇腹に大きな衝撃を受けた。
そして、床を激しく弾みながら壁に激突。
再び、壁に埋もれる形で体が静止。
菖蒲は頭を振って破片を払いながら、壁から這い出した。
「くっ……くそ! くそくそくそくそ! くそがぁ!」
菖蒲は両膝をつき、拳を床に叩きつけながら怨嗟の声を上げる。
「お姉ちゃん、言葉が汚いよ」
「う、うるさい! 化け物が!」
茜は首を横に振って肩をすくめる。
「化け物でもなんでもいいけど、大人しく降参してくれない? 早く皆のところに行かなきゃだし」
そう言って茜はゆっくりと菖蒲に近付いた。
手を伸ばせば菖蒲に触れることが出来る距離まで近づいた時、茜は異変を感じた。
突然、足の力を失い、立っていることが難しくなった。
床に両膝をついてしまう。
「あれ……?」
その茜の様子を見て、菖蒲は嘲り笑った。
「ようやく効いてきたのね、茜」
「……これは?」
茜は己の両腕を凝視した。
その茜の両腕には、桜の花びらのような模様が無数に浮き出ていた。
「お姉ちゃん、何をしたの?」
「うふっ、知らなかったの? それはね、呪いなのよ」
「呪い?」
「そう。御形家が代々練り上げてきた呪い。それはね、本当の意味で呪いなのよ。私の憎しみが深い程、その呪いは効果を増す」
茜は理解した。桜色の棘に刺された時、呪いを移されたのだろう。
そしてその呪いが今発動した。
「確かに……これは……強烈だね」
「うふふっ、苦しいでしょ? でもその苦しみは、そのまま私の苦しみなのよ?」
膝をつき、立ち上がる様子のない茜の元へ駆けつける者が居た。
「茜!」
竜一は慌てた様子で茜に近付き、茜の状態を確認する。
茜は苦し気な表情を浮かべ、息を乱している。
茜と竜一の様子を見て、菖蒲は笑みを深めた。
「泉谷君、もう茜は立てないわ。今なら私は茜にとどめをさすことが出来る。これが嘘ではないことは、君になら分かるわよね?」
竜一は返事をしなかった。ただ菖蒲を睨みつけるのみ。
菖蒲は気にせずに続ける。
「そこで取引よ。大人しく私と共に来なさい。そうすれば、茜は見逃してあげる」
菖蒲の提案を聞いて竜一は茜の様子を窺う。
茜は相変わらず苦しそうな表情で、呼吸が激しく乱れている。
すでに喋ることも難しくなっているのだろう。
竜一は菖蒲に返事をした。
「分かりました」
菖蒲は晴れやかに笑った。その笑顔は、純粋な少女のようにも見えた。
「決まりね! うふふっ。ようやく、ようやく……勝てたわ」
菖蒲は胸の前で手を合わせて微笑み、その場でクルッと回ってみせた。
上機嫌になった菖蒲であったが、すぐに顔を曇らす事態が発生。
「勝った? お姉ちゃん、気が早くない?」
茜だ。
茜は立ち上がり、余裕の態度でそう言った。
「……驚いたわ。まだ立つの? でも分かってる。強がりはよくないわよ、茜」
茜は大きく溜息を吐いて返答した。
「何度も言ってるよねえ、お姉ちゃん」
「……?」
茜は驚く竜一の顔を見て、その後、菖蒲に視線を移した。
「それだけは駄目だって―――何度も言ってるよね!?」
その直後、茜の姿が消失。
一瞬後、菖蒲の背後に出現し、右拳を放った。
茜の右拳は、菖蒲の背中に直撃。
背中から生えた蜘蛛の脚は木っ端みじんに砕け散り、菖蒲の体は弾けとんだ。
菖蒲は床を弾みながら壁に激突。
大きな振動が発生し、壁の破片が周囲に飛び散った。
常人ならば生きている筈もないが、菖蒲は純粋種の血族の一人。
茜の打撃を喰らっても、菖蒲は生きていた。
辛うじて意識も保っている。
菖蒲は起き上がる。そして冷静に思考する。
茜の強さは自分の想像を超えてしまったが、この戦いに於いては、負けるなどありえない。
茜は呪いに侵されている。きっと、すぐにまた動けなくなる。
あれは御形家が長い年月を掛けて練り上げた呪い。
呪いの強さは、相手を呪う気持ちの強さに比例する。
菖蒲は、己の呪いの強さに絶対的な自信を持っていた。
何故ならば、それこそが菖蒲の原動力だったからだ。
茜という妹が生まれてこの方、菖蒲はその黒い感情に突き動かされてきた。
それは十年以上練り込まれ、円熟させてきた暗く濃い、燃料。
燃料を燃やし、菖蒲は怒声を上げた。
「あかねえええええええええッ! あなたには―――負けないッ!」
己の身を燃やし尽くす勢いで、菖蒲は力を振り絞る。
しかし、そんな菖蒲の怒りも、執念も、呪いも、闇色の感情も、何もかもが茜の前には無力だった。
茜という真の怪物の前では、何もかもが意味をなさなかった。
「―――ごめんね」
気が付いたら、茜が目の前にいた。
何も反応できなかった。
眼前に茜の拳。菖蒲は目を見開き、突き出される拳を見ていた。
そして、どうにか絞り出した声は、本人すらも聞き取れないほど小さかった。
「ばけ……もの……」
その直後、茜の拳が菖蒲の顔面に直撃。
破裂音が響き渡り、菖蒲は吹き飛んだ。
そのまま壁に激突し、衝撃と振動が周囲に駆け巡る。
菖蒲は壁にめり込んだ状態で脱力。
菖蒲は、完全に意識を失った。
こうして、因縁の姉妹の争いは、茜の完勝で幕を閉じた。




