78.桜色の少女2
エスペランサ月白、竜一の部屋で怜は尋ねた。
「泉谷殿……その方は?」
怜の視線の先には、美桜の姿。
「はい、端的にお話しします」
竜一は怜に説明をした。
この少女は御形 御影の命令で派遣された人物で、名前は御形 美桜。
その目的は竜一の観察。
エスペランサ月白に向かう道中、竜一は美桜に言った。
怜との訓練が終わったら山吹壮に戻るから、山吹壮の部屋で待っていてくれと。
しかし、美桜は竜一に付いて行くといって譲らなかった。
もしかすると、俺に逃げられてしまうと疑っているのかもしれない。
既にそんな気は失せているのだが、まだそこまでの信用は得られていないようだ。
「この少女が御形家の……?」
「やっぱり連れて来るのは不味かったですかね?」
「いえ……構わないでしょう。天染家、朽葉家、御形家、斯貴家は現在協力関係にありますので」
「そ、そうですか。それなら良かったです」
「では、さっそくですが地下へ向かいますか」
「はい、お願いします」
竜一はそう言って、美桜に視線を移した。
「えーと、御形さんはここで待っててくれるかな?」
美桜は首を振った。
「まさか、せっかくの機会を逃すわけにはいきません。お兄さんの訓練、見学させてください」
まあ、そう来るよなあ……。
竜一は困ったような表情で怜の方へ顔を向けた。
怜は答えた。
「いいでしょう」
「いいんですか?」
「はい。見られて困るようなものではないかと」
怜の許可が降り、竜一は胸を撫でおろした。
美桜は軽く頭を下げた。
「感謝します。怜お姉さま」
そして三人は、地下一階に降りた。
大理石に囲まれた広い空間。
竜一と怜は対峙する。
「行きます!」
と声を上げ、竜一は踏み出した。
怜に接近し、右のジャブ。と見せかけて、左の中段蹴り。
怜はフェイントには惑わされず、竜一の蹴りを右腕で防いだ。
その後、竜一の懐に潜り込み、右肘を竜一の腹に突き入れる。
竜一は怜の動きを読んでいた。
後ろに下がり、怜の攻撃を躱す。
怜は止まらない。
更に踏み込んで追撃。右肘を槍に見立てて突き入れる。
竜一も負けじと応戦。
右肘を突き出し、怜の右肘にぶつける。
竜一と怜、お互いの体に衝撃が駆け巡る。
怜は竜一より僅かに速く動いた。
竜一の右腕を掴み、小手返しの要領で捻り上げた。
堪らず崩れ落ちる竜一。
怜は完璧に技を極めるが、今の竜一には決定打にはならなかった。
竜一は床に尻を付けた状態で、左足を突き上げた。
怜は後ろに跳んで竜一の蹴りを躱した。
距離を空けて対峙する二人。
竜一の右手首が不自然な方向に曲がっているが、何も問題はなかった。
竜一は自分の右手首を見つめ、左手で正常な位置に戻した。
その後、右手首をブンブンと振るい、右の指先を動かした。
右腕の調子を確かめると、何事もなかったかのように構えを取った。
竜一は高い再生能力を手に入れていた。
今は鬼神の力を発動していない。つまりこれは斯貴家の力だ。
この力は、死の淵から生還した竜一に対しての特典といったところか。
今ならば、怜とも多少はやり合える。
ただし、以前と比べての話だが。
怜とまともに戦えていたのは最初の数分間だけ。
次第に力量差が現れてくる。
技の精度と経験量は怜の方が圧倒的に上。
怜の実力の前では、付け焼刃の竜一の力は無力。
「―――がはッ!」
怜が繰り出す打撃。
被弾する竜一。
続けざまに怜の打撃。
竜一は防御するが、全てを防ぐことはできなかった。
そして、防戦一方となる竜一。
時間と共に被弾回数が増えていく。
顎を殴られ、背中から倒れる竜一。
後頭部を床に強打し、激しく脳が揺れた。
傷はすぐに癒えるが、体力は回復しない。
体に蓄積していくダメージが、体力を奪っていく。
怜は倒れ込む竜一に声を掛けた。
「今日はここまで」
竜一は荒い息を整えながら状態を起こした。
視線を感じ、その方向へ顔を向ける。
美桜が見ていた。
竜一の一挙手一投足を見逃さないように、金色の瞳が見開かれていた。
竜一は立ちあがり怜に言った。
「もう少しお願いします」
「……ほう」
怜はそう呟き少し驚いた様子だったが、その後、微かに笑った。
「いいでしょう」
「ありがとうございます」
その後も竜一は怜に打ちのめされ、その度に立ち上がった。
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エスペランサ月白、竜一の自室。
美桜はソファで眠る竜一の様子を観察していた。
つい一時間ほど前、怜との激しい訓練を終えた竜一は、部屋に戻るなりソファに倒れ込んでしまった。
そしてそのまま、竜一は深い眠りについた。
「何故、あれほど食い下がったのですか……」
美桜は小声でそう呟いた。
竜一は眠っている。当然返事はない。
美桜の脳裏には、どれだけ怜に打たれようとも立ち上がる竜一の姿。
その姿に、どこか執念めいたものを感じた。
眠る続ける竜一。
竜一を観察しながら美桜は思う。
この泉谷 竜一という人間。
異世界人と聞かされ、初めは驚いたものだが、実際にこうして接してみると驚くほど常識的な人間だということが分かった。
性格も思考も外見も特別取り上げるところのない、普通の人間。
善人か悪人かで分けるならば、間違いなく善人。
そんな善人で普通の人間が、朽葉家と斯貴家の力を手に入れているというのだから驚きだ。
その点だけは普通ではないが、それは事前に聞いていた通り。
このままでは、当主に報告する内容は、とても薄っぺらいものになってしまうな。
少しだけ困ってしまうが、さりとて見たままを報告するしかない。
そのように美桜が考えていると、竜一の唇が震えた。
「……行かないでくれ」
美桜は驚いた。
だが、すぐに竜一の寝言だと気付き、美桜は冷静さを取り戻した。
行かないでくれ?
誰に言っているのだろう?
疑問に思って竜一の寝顔を見つめ続ける。
すると、竜一の閉じられた瞼から涙が流れた。
「あら?」
もしかすると、竜一は悪夢を見ているのかもしれない。
美桜は、竜一のことを少しだけ不憫に思った。
自然と右腕が動いていた。
指先で竜一の頬を優しく撫でた。
「どこにも行きませんから……」
気が付いたら、そんな言葉が口から出ていた。
何故そんなことを言ったのか。
自分でも分からなかった。




