65.敵地へ
鈴巴は、ホテル・ヒュペリオンから数キロメートル離れた位置、とある廃工場に居た。
工場の壁は完全に錆びている。トタン屋根は所々穴が開いていた。
工場建屋内、土が剥き出しになった床に、鈴巴の部下たちが寝かされていた。
寝かされているのは三人。
助け出せたのはこれだけだ。
しかし、助け出せといえるのか、鈴巴は疑問を感じていた。
三人の部下たちは鎖で拘束してある。
そうしなければ、暴れ出してしまうからだ。
この者達を正気に戻せるのだろうか。
不安が心の中で渦巻くが、今はやるべきことをやるしかない。
「お嬢様」
鈴巴に声をかけたのは、紫紺の髪に赤い瞳の女、片瀬 怜。
怜の淡いピンクのワイシャツには、大量に血液が付着していた。
「怜、戻ったのね。怪我はないかしら?」
「はい、問題ありません」
怜は表情を緩めず、軽く頭を下げた。
どうやら、怜に付着した血液は、すべて返り血のようだ。
「そう……良かった」
そう返事をする鈴巴の瞳は、どこか遠くを見ていた。
鈴巴の心中には強い後悔。
どうしてこうなったのか。
皆をここに連れてきたのは私だ。
私はただ、皆に楽しんで欲しかっただけ。
それなのに、何故こうなった。
良かれと思って行ったことが、裏目に出てしまった。
部下を傷つけ、失ってしまった。
「お嬢様」
怜にまた声をかけられた。
鈴巴は怜の瞳を見据える。
怜の赤い瞳が、鈴巴の紫の瞳を見据える。
鈴巴には分かっていた。
怜は目で訴えかけている。
落ち込んでいる場合ではないと。
相変わらず厳しい。
鈴巴は微笑みを浮かべた。
「分かっているわ、怜」
鈴巴は怜から報告を受けた。
それはホテル・ヒュペリオンの様子だった。
ホテル内は相変わらず亡者が蠢いている。
しかし、亡者達はホテル内から外に出ることはないのだという。
だが、騒ぎになるのは時間の問題。
もしかすると、既に警察に通報が入っているのかもしれない。
それから鈴巴は、床で寝ている三人の部下の様子を確認。
血走った目で粗い息を吐き出し、鎖を引き千切ろうともがいている。
完全に正気はなく、その相貌は悪鬼の如く醜悪なものだった。
その三人の部下の内、様子が違う者が一人。
その者は目を閉じて眠っていた。
しかし、流行り病を発症したかのように大量に汗をかいており、苦し気な表情を浮かべている。
まるで、悪夢にうなされているような、そういった表情であった。
鈴巴は、一時間ほど前のことを思い出していた。
茜と怜から鈴巴の元へ連絡入った時のことだ。
両名から担当する階層の捜索が完了したと連絡を受け、鈴巴は竜一の携帯電話に通話をかけた。
だが、繋がらなかった。
嫌な予感がした鈴巴は、すぐさまホテル・ヒュペリオンの内部に向かった。
そして十階にて竜一を見つけた。
竜一は倒れていた。慌てて生死の有無を確認するが、脈はあった。
だが、竜一の様子は尋常ではなかった。
竜一は、苦し気な表情を浮かべ眠っていた。
そして、竜一の体は酷く熱を持っていた。
鈴巴は直ぐに動いた。竜一を担ぎ上げ、十階の窓から外に飛び出した。
そして茜、怜と合流し、拘束した部下たちを車に詰め込み、ホテルから離れた。
それから部下の様子を改めて確認するため、この廃工場にて駐車。
部下たちの様子は、この有様である。
それからつい、十分ほど前のことだ。
鈴巴の携帯電話が震えた。
見慣れない番号だったが、鈴巴は通話ボタンを押した。
これは勘だ。この電話には出なければならない。そんな予感がした。
通話口から少年の声が聞こえた。
その少年は名乗った。名をカイレ・メーヴィスと。
カイレは全てを語った。
ホテルの異変は自分の仕業だと。自分は異世界の住人で力を得ていると。
斯貴 廻向とは、協力関係にあると。
そしてカイレは鈴巴に要求を突きつけた。
鈴巴の部下たちを正常に戻す方法は一つ。
それはカイレが所持する解毒剤を経口摂取すること。
カイレはその解毒剤を鈴巴に渡すと言っている。
だから、指定する場所まで取りに来いとカイレは言う。
鈴巴は理解している。
これは確実に罠だ。だが、行くしかない。
このまま部下を見捨てることなど出来はしない。
助ける方法があるのならば、それに縋りつくしかないのだ。
「さあ、覚悟を決めなければね」
鈴巴は歩き出し、屋外に出た。
そして茜の後ろ姿が見えた。
茜は、ただ立っていた。
だが、鈴巴には分かった。
いや、鈴巴じゃなくとも感じるだろう。
殺気。茜から放たれる強烈な圧力。
気のせいではない。空気が揺らいでいる。
茜は今、かつてないほど苛立っていた。
「茜……」
鈴巴は茜に声をかけた。
茜は振り返る。
瞬間、茜から放たれる殺気が霧散。
茜は笑みを浮かべ、鈴巴に返事。
「いこっか?」
鈴巴は、ほんの少し後ろに退いた。
茜は確かに笑っている。
だが、それはそういう表情をしているだけ。
茜の内側には、どす黒い何かが蠢いている。
鈴巴はカイレから指定場所まで来いと言われているが、一人で来いとは言われていない。
ならば、最大戦力を連れて行く。
現状、すぐに自分の呼びかけに応じる範囲に限って言えば、茜以上に頼もしい存在を鈴巴は知らない。
「ええ、行くわよ」
茜はニヤッと笑みを浮かべ、自分の左右の拳を付き合わせる。
「よっしゃ!」
と気合を入れる。
それから「あ、やっぱりちょっと待って!」と言って、廃工場の中に走っていった。
おそらく、竜一の様子を見に行ったのだろう。
茜と入れ替わるように怜が鈴巴の元までやってきた。
「お嬢様、どうかお気をつけて」
「ええ、怜もね。皆をよろしく頼むわ」
「はっ」
鈴巴は既に救援を呼んである。
それは、鈴巴が所有する医療班だ。
鈴巴ら裏の世界の住人は、通常の医者に頼ることが難しい場合がある。
そのため、鈴巴は専属の医療スタッフを揃えてある。
裏の世界にも精通した腕利き達だ。
現代の医療では部下達を正気に戻すことは難しいかもしれない。
だが、やるだけのことはやるべきだ。
怜は鈴巴と共には行かない。正気を失った部下達を見ておく者が居なければならない。
鈴巴はその役目を怜に任せた。
そして、茜の朗らかな声が聞こえた。
「じゃあ、今度こそ行こうか!」
「ええ」
鈴巴と茜は敵地へと足を踏み出した。




