64.ヒュペリオンの大難5
竜一は、ホテル十階の廊下を走っていた。
十階には配下の者達は居なかった。
これにて竜一の担当するエリアは捜索完了。
竜一は鈴巴に連絡し、その旨を告げた。
鈴巴からホテルを脱出するように言われたが、竜一は拒否した。
茜のことが気がかりだったのだ。
茜は現在、四階を捜索中。竜一は、茜の居る四階を目指していた。
茜ならば問題はないだろうが、それでも、これは義務だ。
茜を助けるのは自分の勤め。
そう言い聞かし、竜一は駆ける。
その時、異変を感じた。
左側からだ。
己の勘に従い、後ろに飛んだ。
直後、壁が破裂。
破片が廊下になだれ込み、大量の塵埃が巻き上がった。
そして現れたのは、黒い肌の大巨人。アデブ・オロゴン。
竜一は目を見開いた。
アデブの姿が、以前にも増して化け物じみていたから。
膨れ上がった筋肉は、完全に人のソレではない。
岩石。人の形をした大岩。そう形容した方がしっくりとくる。
岩の表面に浮き出た極太の血管が、いっそう人ではないことを物語っているように見えた。
アデブの瞳は赤一色。
牙を剥き、竜一を睨むその相貌には、完全に正気はない。
竜一はすぐに判断した。
逃げるのは無理だ。
殺さなければ殺される。
先手必勝。
竜一は腰を低く屈め、力を溜めた。
そして、力を開放。
右拳を上に。
アデブの顎に炸裂。
竜一は油断しない。すぐに後ろに引いた。
アデブの腕が竜一の前方空間を裂いた。
腕を振っただけで風が吹き荒れ、竜一の前髪が激しく揺れる。
竜一の緊張感が跳ね上がる。
一撃でも貰えば終わりだ。
襲い掛かるアデブの猛攻。
竜一は、バックステップで腕を躱し続ける。
躱すので精一杯。反撃の隙がない。
次第に追い詰められていく竜一。
気が付けば、真後ろに壁が迫っていた。
アデブの拳が迫ってくる。
竜一は、しゃがんで躱し、そのままの体勢で床を蹴り上げた。
アデブの股下を抜け、床を転がるように前進。
即座に立ち上がり、走り出す。
逃げるのではない。
竜一は身を翻した。
腰を落とし、右肘を前に突き出す。
数メートル先にはアデブの姿。
竜一はもう一度、カウンターを当てるつもりだった。
アデブの動きは単純。
カウンターを当てるのは容易い。
問題は、アデブの突進を耐えきれるか。
問題ない。カウンターを当てた瞬間、身を引いて衝撃を緩和させる。
常人には不可能だ。だが、今の俺になら出来る。
竜一は、そう信じていた。
もとより、他の方法を思いつかない。
このままチマチマと攻撃を当てていても、効果は薄いだろう。
百の小技よりも、一の大技だ。
一撃で決める。
地鳴り。大岩が接近。
「こいッ!」
「ぐがああああああああッ!」
アデブの咆哮。
竜一の右肘とアデブの顎が衝突。
アデブは、一ミリたりとも怯まなかった。
竜一の右肘が弾かれた。
アデブはノーダメージ。
竜一の身に、莫大な運動エネルギーが襲い掛かる。
竜一は、大岩に吹き飛ばされた。
「―――カッ」
竜一の口から息が漏れる。
列車に轢かれたと錯覚した。
この時、竜一は意識を飛ばしてしまった。
竜一の体が空中を漂い、数秒後に床に着弾。
背中を床に叩きつけ、その衝撃で意識が戻る。
「カハッ!」
意識が朦朧とする中、起き上がろうとするが無理だった。
腹に打撃。
「ぐはッ!」
アデブの膝が竜一の腹に突き入れられた。
内臓が捩じれ、神経が悲鳴を上げる。
再び意識を失おうとする竜一に、アデブは襲い掛かる。
アデブの太い腕が、竜一の首に伸びる。
竜一は、首を締め上げられた。
逃れようとするが無理だった。
剛力。
怪物の膂力に抗うことは出来なかった。
竜一の首の骨が軋む。
このままでは、首の骨が折られてしまう。
だが、もうどうにもならない。
ここまでか……。
死を覚悟した瞬間、アデブに異変。
アデブの首筋から、大量に血が噴き出した。
血液がそこら中に飛び散る。
次第にアデブの膂力が弱まり、アデブは白目を剥いて倒れた。
「な、なに……が」
竜一のその疑問に答えが返る。
「危ないところでしたね、お兄さん」
それは、銀髪の美少年だった。
円唐寺にて共に修行した、カイレ・メーヴィス。
その少年がそこに居た。
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「ど、どういうこと? 何で君がここに?」
カイレはニッコリと笑みを浮かべ、手を振った。
「ああ、落ち着いてお兄さん。全部説明しますから」
「わ、分かった」
カイレはうんうんと頷いて、説明を始めた。
「僕もお兄さん達と同じ、裏側の人間です。とある人から依頼を受けましてね、事態を収拾するため、このホテルに乗り込んだってわけです」
「そうだったのか……」
カイレは手にしたナイフを仕舞い、アデブの遺体に目を移した。
「アデブさん……残念でした」
「あの、カイレ君、アデブさんが何故ここに居たのか分かる?」
「それは……僕にも分かりません」
「そっか……」
竜一は気持ちを切り替えカイレに尋ねる。
「それで、君はこれからどうする? 俺は四階に向かおうと思ってるけど……」
「僕はもう少しここに残ります。調べたいことがありましてね。どうか、僕のことはお構いなく」
「でも……」
「大丈夫ですよ。僕って強いですから」
確かに。アデブの首を切り裂いたサイフ捌きは見事なものだった。
この少年は確かな実力を備えている。
「分かった、気を付けて」
「ええ、お兄さんも」
竜一は身を翻し走り始める。
早く茜と合流しなくては。
「ああ、そうだ」
背後からカイレの声が聞こえた。
竜一は足を止める。
後ろを振り向いた瞬間、すぐそこにカイレの姿があった。
「―――なッ」
カイレの口元から鋭い牙が見えた。
そして牙が、竜一の左肩に突き入れられた。
肉を貫かれ、強烈な痛みに襲われる。
竜一は顔を顰めながらも、後ろに身を引いた。
「な、なにをする!?」
カイレは薄く笑みを浮かべた。
「落ち着いてください。全部説明するって言いました」
カイレは更に口元を歪め、竜一に告げる。
「お兄さんも、僕と同じなんですよね?」
竜一は傷口を抑えながら、カイレを睨む。
「なんのことだ?」
「この世界とは違う人間。そうなんですよね?」
「なに!?」
竜一は確かに異世界の住人だ。
それを指摘され驚いた。
だが、それ以上に驚いたことがある。
今、カイレは言った。
お兄さんも、僕と同じなんですよね、と。
つまり、その意味するところは。
「君も、異世界の人間……?」
「ええ、そうです」
「なっ……ちょ、ちょっと待ってくれ! 理解が追いつかない!」
「アハハッ、落ち着いてくださいよ。全部説明すると言った筈です。これ三度目ですね」
黙り込む竜一に向かって、カイレは言葉を続ける。
「僕はお兄さんと同じ異世界の住人。そして僕も、この世界で力を得たんですよ。僕の力は収奪と付与」
「収奪と付与……?」
「不思議ですよね。どうしてこんな力が手に入ったのか。しかもこの力はとても限定的だ。僕は純粋種の力を収奪し、その力を他者に付与することができます」
竜一は怪訝な表情を崩さない。
「おや、気付きませんか? 今このホテルで何が起きています?蜘蛛の化け物と化け物のなれの果て。まるで化け物の巣窟だ」
「ま、まさか……君が?」
「フフッ、そうです。僕が付与したんですよ。純粋種の力をね。ですが只の人では純粋種の力に耐えきれないようですね。残念なことに、理性を失い、ただひたすらに殺人衝動に突き動かされる化け物になり果てる」
「くッ!」
竜一は動き出そうとした。
目の前の敵を捕らえるために。
「おっと、まだ話しは終わっていません。最後まで聞いた方がいいですよ?」
竜一は踏み出した足を止めた。
カイレの言う通りだ。今は出来るだけ情報を得るべきだ。
カイレは竜一の足が止まったことを確認し、続きを言う。
「次は収奪の説明です。僕は純粋種から力を奪うことが出来る。純粋種を殺す必要がありますが」
竜一は思い出していた。
かつて朽葉 桐也から聞いた話を。
この国に存在する五つの純粋種の家系。
その内の一つ、斯貴家。
斯貴家当主、斯貴 廻向がその妻、斯貴 檀を殺害し、失踪したという事件。
点と点が繋がった。
「斯貴家の騒動に君が関わっているのか?」
「正解です」
「―――ッ!」
「ああ、でも、主犯は僕ではありません。主犯は斯貴 廻向です。僕は廻向に従っているだけ」
「一体……何が目的だ?」
「廻向の目的は……まあ単純なものですよ。そして僕の目的は更に単純」
「それは……?」
カイレは口元を歪め、邪悪な笑みを浮かべた。
「だって、愉しいじゃないですか。刺激が必要なんですよ。この世界を混乱と狂気で満たしましょう。人々に災いあれーってね」
「君は……」
「おや? 怒りました? 分かりませんねえ。だって、こんな世界どうでもよくないですか? せっかく力を手に入れたんです。ゲーム感覚で楽しみましょうよ」
一切悪びれることなく、己の意見を口にするカイレ。
そこにあるのは、醜悪な意志。
竜一は拳を握りしめる。
カイレの意見には一切同意できない。
何故なら、竜一はこの世界で大切なものを見つけたから。
「ふざけるな!」
頭に血が上り、竜一は怒声を上げる。
その直後、体がグラッと揺れた。
「……なッ」
堪らず膝をついてしまう。
「ようやく効いてきましたか」
「な、なにをした?」
「言いましたよね? 僕は純粋種の力を他者に付与出来るって。でも只の人間には刺激が強すぎて、化け物になり果ててしまう。では、変異種に対してならどうか?」
カイレは不敵に笑い続ける。
「試した結果、判明しました。変異種には抵抗力がある。変異種ならば自己を保つことが出来るようです」
「だけど……」
「ええ、そうです、アデブのことですね? 彼は正気を失っていた。説明しましょう。まず、僕が他者に力を付与する方法です。僕の体液を他者の体に取り込ませるんです。僕の血を飲ませたり、僕の牙を突き立てて唾液を注入したりとね」
竜一はカイレを睨みつける。
カイレは平然と受け流す。
「このホテルの人間には、僕の血液を飲ませました。夕食のビュッフェは美味しかったですか? 実はあれ、僕の血液が混ざってたんですよ。そしてアデブには僕の牙をくれてやりました。抵抗力が強い者でも、僕の牙には抗えません」
竜一は理解した。
竜一はカイレに噛みつかれている。
それはつまり―――
「お兄さんも、時期に化け物になれますよ」
竜一は立ち上がろうとした。
とにかく、カイレを捕えねばならない。
ドックン。心臓が激しく動いた。
「―――がッ」
立ち上がれない。
ドックン、ドックンと鼓動の音が頭に響いた。
そして、抗いがたい衝動。
渇き。血が欲しい。肉を食い千切りたい。誰かを殺したい。
赤黒い、殺戮衝動。
「カッ……ハッ……ハッ……」
思うように呼吸が出来ず、喘いでしまう。
「フフッ、お兄さん、良い反応ですよ」
カイレは愉悦の笑みを浮かべ、歩き出した。
竜一の傍を通り過ぎ、階段の方へと向かう。
「ま、待て―――」
「お兄さん、また再会出来ることを願っていますよ」
そこでカイレは、ふと足を止めてポンと手を叩いた。
「ああ、忘れていました。菖蒲さんからの言伝があったんです。お兄さんに伝えてくれと言われてました。―――愛している、と」




