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62.ヒュペリオンの大難3

 蜘蛛の化け物は、血走った目で竜一を睨んだ。

 

 「シャアアアアアッ!」


 奇声を上げて、八本の脚を使って竜一へと迫る。

 

 「速い!」


 竜一は跳躍した。

 化け物を飛び越え、化け物の後方に着地した竜一は、化け物の金的を蹴り上げた。

 

 全力の蹴り。化け物は、転がりながら吹き飛んだ。

 竜一は気を抜かなかった。

 

 竜一の予想通り、化け物はすぐに動いた。

 八本の脚を動かし、再び竜一へと迫る。

 その様子からは、ダメージを受けているようには見えなかった。


 「金的は効果なし。なら、次は頭部だ」


 化け物の動きは単純。

 躱すのは容易い。

  

 竜一はフェイントを交えて、足捌きで化け物の突進を躱す。

 躱したのち、化け物が方向を変え竜一の方に向いた瞬間、竜一は蹴りを化け物の顔面へ放った。

 

 竜一の蹴りが化け物の顔面に直撃。

 顔面が陥没するほどの威力の蹴りを受け、化け物は吹き飛ぶ。

 

 竜一は、床を蹴り上げ化け物を追う。

 化け物が体勢を立て直す前に、再び蹴り。 

 

 サッカーボールキックを数発見舞い、化け物を壁際へと追い込んでいく。

 竜一はこの時点で覚悟を決めていた。

 それは、武田を殺す覚悟だ。

 目の前の存在は、すでに武田ではない。化け物だ。対話は不可。殺すか、殺されるか。

 と自分に言い聞かせる。


 そして壁際へと追い込み、更に蹴り。

 化け物の体が壁に激突。

 竜一は攻撃を継続。蹴り。蹴り。蹴り。


 化け物の顔面はひどく損傷し、元の顔が判別できない状態になっていた。

 何度も壁にぶつけたため、壁が陥没している。

 

 化け物は痙攣を起こした。

 化け物は戦闘不能の状態にあった。


 「ごめんなさい」


 竜一は謝罪を述べ、携帯電話を取り出した。

 化け物を無力化することに成功した。

 このあとどうするべきか、鈴巴に判断を仰ぐつもりだった。


 このまま殺すか、それとも……。


 竜一は、この期に及んで、命の選択を他者に委ねたのだ。

 

 これは竜一の甘さ。もしくは弱さだ。決して優しさではない。

 そしてその弱さは、竜一の足を掬う。


 戦闘不能と思われた化け物が突然動き出した。

 竜一は見誤った。化け物のタフネスを。


 化け物の顎が大きく外れる。

 それと同時に口から糸を吐き出した。


 鈴巴へ連絡をしようとしていた竜一は、咄嗟には動けなかった。

 反応が僅かに遅れる。

 糸は竜一の顔面に着弾。

 

 「まッ―――」


 まずい、と言おうしたが単語にならなかった。

 竜一の隙を突いて、化け物が襲い掛かる。


 化け物は竜一へと飛び掛かった。

 八本の脚が竜一の体を締め上げた。

 竜一はバランスを失い、背中から床に倒れた。


 八本の脚は竜一の体から離れない。


 なんだ、この力は―――。


 竜一は必死になってもがいたが、八本の脚はビクともしない。

 

 そして、化け物の口から鋭い牙が覗く。

 竜一は動けなかった。

 鋭い牙が竜一の首筋へと接近。


 首筋の太い血管を食い千切られれば、竜一と言えども無事では済まない。

 

 竜一は己の不甲斐なさを呪った。

 覚悟が足りなかった。日和ってしまった。己の弱い部分に勝てなかった。

 ならば、この結果は必然だ。

 この世界は、そんなに甘い世界ではない。

 一つ選択を誤れば、待ち受けるのは死だ。


 竜一は死を覚悟した。


 だが、幸いなことに死は訪れなかった。

 化け物の首が跳んだ。

 

 竜一は見た。

 それは、赤く発光する美しい翼だった。

 

 翼が、化け物の首を刎ねたのだ。


 「危ないところだったわね、泉谷君」


 鈴巴の声が竜一の耳に響いた。

 鈴巴が突然現れたのだ。

 竜一は驚きながらも、鈴巴に尋ねる。


 「どうして……ここに?」


 「着信があったから、何かあったのかと思って」


 着信?

 竜一はポケットにしまった携帯電話を取り出した。

 化け物に糸を吐かれる直前、鈴巴の携帯電話にコールしていたようだ。


 そのお陰で助かった。

 だが、竜一は自分の命が助かったことを素直に喜べなかった。


 「天染さん、申し訳ありませんでした」


 竜一は謝罪した。己が不甲斐ないせいで、鈴巴に鈴巴の部下を殺させてしまった。

 情けなさすぎて、自分自身に呆れてしまう。


 鈴巴は、アメジストの瞳で竜一を見据えた。

 まるで全てを見透かすように。


 「泉谷君、今は切り替えなさい。次に活かす、それだけを考えなさい」


 竜一は深く頭を下げた。


 「はい、ありがとうございます……」


 鈴巴は竜一の背中を優しく擦った。


 「大丈夫、君なら出来るわ」


 鈴巴は優しかった。竜一をしかることも諫めることもしなかった。

 竜一は顔を上げて、鈴巴と目を合わせた。


 竜一は息を呑んだ。


 鈴巴の瞳から、光が薄れているような気がしたから。


 竜一には分かった。

 鈴巴は今、無理やり感情を抑え込んでいる。

 きっと、部下を殺したことを悔やんでいるのだろう。


 竜一は拳を握り、思いっきり自分の頬を殴った。

 口の中を傷つけ、血の味が舌に広がる。


 「な、なにをしているのよ!?」


 困惑する鈴巴に、竜一は答えた。


 「次はやります。今、弱い自分を殺しましたから」



▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△



 竜一は、ホテル・ヒュペリオンの十階に居た。

 九階は既に捜索済み。九階では何も成果を上げられなかった。

 

 竜一は気持ちを切り替え、十階へと駆け上がった。

 十階に客室は存在しない。

 十階に存在するのは、幾つかの広間とレストランのみ。

 

 十階には亡者は居なかった。

 広間を一つ一つ見て回ったが、亡者の姿を確認出来ない。

 

 ただ、いくつか死体が転がっていた。

 竜一は死体を確認して回った。


 鈴巴配下の者達が死体になっている可能性があったからだ。

 考えたくはないが、現実と向き合わなければならない。


 幸いなことに、今のところ死体の中に見知った顔はない。

 竜一は吐き気をこらえ、死体を観察した。


 死体は凄惨の一言。

 死体は顔面が陥没し、手足が折られ、腰が不自然に折れ曲がっている。

 

 「捩じられている……?」


 竜一は死体を見た感想をそのまま口にした。

 死体が何か大きな力で捩じり上げられている。

 そういった感想を抱いた。


 竜一は、死体の瞼をそっと下ろしてやり、手を合わせて拝んだ。

 この行動に何か意味があるのか。

 そう問われれば、特にないと言わざるを得ない。


 だからこれは、気持ちの問題。

 竜一は、己の気持ちを切り替えるために、死体を弔ったのだ。

 

 竜一は動き出した。

 この階の捜索は次で最後。

 残るはレストランのみ。

 

 レストランの扉を開け、中へ侵入した。

 暗い。電気が点いていない。


 慎重に壁伝いを歩き、電気のスイッチを押した。

 直後、風圧を感じた。


 竜一は反射的に動いた。

 床を蹴り上げ、右側に飛ぶ。


 ゴンッと音が鳴り、木片が弾け飛ぶ。

 音の原因は、壁と椅子が衝突したため。

 すなわち、椅子が放り投げられたのだ。


 椅子を放り投げた人物を目視し、竜一は驚愕した。

 

 「えっ……どうして……」


 目の前に居たのは、巨漢の男。

 いや、巨漢という表現では物足りない。


 大巨人。


 身長は二メートル五十センチ以上。

 体に纏う筋肉は、まるで岩の塊。

 袈裟を纏った、坊主頭で黒い肌の男。

 

 安慶。またの名をアデブ・オロゴン。


 そのアデブがそこに立っていた。


 竜一は固まってしまった。

 アデブがここに居るのはまだいい。

 驚いたが、まだ許容範囲だ。


 竜一の記憶にあるアデブは、柔和な笑みを讃え、教えを説く僧侶の姿。


 しかし、今目の前に居るアデブは全くの別人。

 瞳に宿るのは狂気。眉間に皺を寄せ、口元を歪め、犬歯を剥いた相貌。

 その相貌は鬼のように見えた。

 

 アデブは亡者と化していた。


 アデブは腰を屈め、低く唸りを上げた。

 突進。

 

 アデブは呆ける竜一へ襲い掛かる。

 

 竜一は無理やり自分を奮い立たせた。

 動かねば殺される。


 竜一は、真横に飛んでアデブの突進を躱した。

 アデブはそのまま前進。

 スピードを落とさずに壁に直撃。


 凄まじい衝撃が発生し、壁はあっけなく大破。

 

 竜一は考える。

 このまま戦うか。それとも逃げるか。

 

 アデブを拘束することは難しいだろう。

 つまり戦うならば殺すつもりでやらなければならない。

 そうなれば、こちらも只では済まないだろう。

 最悪殺される可能性がある。


 竜一は判断する。

 アデブと戦うリスクは大きい。

 死を覚悟してまで戦うメリットがない。

 

 ならば、ここは逃げる一択。


 アデブは、破壊された壁から中に侵入した。

 荒い息を吐きながら、血走った目で竜一を睨む。

 完全に正気を失っている。


 そして、アデブの突進。


 竜一は横に跳ねて躱す。大質量の突貫。

 当たれば大ダメージだが、避けることは可能だ。


 アデブの突進を避けて、竜一は走り出した。

 レストラン出口を目指す。


 そして、竜一は背後に危機を察知。

 素早く身をかがめる。


 その直後、椅子が竜一の頭上を通過。

 そして、椅子の後を追うようにアデブの巨体が迫る。


 「くッ!」


 竜一は真横に飛んでアデブの突進を躱した。

 躱すことは成功したが、出口から遠ざかってしまう。


 すんなりとはいかないようだ。

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