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61.ヒュペリオンの大難2

 竜一は戸惑いつつも判断した。

 このホテルで異常が起きている。

 すぐにでも茜達と合流しなければ。


 竜一は走り出した。

 正気を失った壮年の男とは逆方向へと。


 ここは八階。茜の部屋は七階だった筈だ。

 竜一は廊下を駆け抜け、階段を目指した。


 今は深夜。この時間に出歩く者は少ない。

 廊下に人気はなかった。

 

 階段に到着し、駆け下りた。

 七階に到着した時、とある人物の後ろ姿が見えた。

 竜一は声を張り上げる。


 「栗原さん!」


 坊主頭で長身の栗原の姿がそこにはあった。

 栗原との距離は約十メートル。

 

 栗原はゆっくりと振り向いた。

 そして、竜一は呼吸を忘れるほど驚いた。


 栗原の瞳は赤く染まり、口元には長い犬歯。

 犬歯を剥きだしにするその相貌は、血に飢えた獣のようだった。


 思考停止する竜一の元へ、栗原は急接近。

 身を低く屈め、栗原は竜一へと突撃。


 竜一の体は、また半自動で動いた。

 竜一は栗原の突撃にカウンター。

 竜一の右膝が栗原の顔面へ衝突。


 栗原の鼻骨が折れ、鼻血が飛び散る。

 栗原の体は大きく仰け反った。


 竜一は追撃を選択。

 右拳に力を入れ、栗原の鳩尾に突き入れる。


 クリーンヒットし、栗原の体が吹き飛んだ。

 竜一はこの隙に、茜の部屋へと走り出した。

 床でのびる栗原を通り過ぎ、廊下を走る。

 

 茜の部屋の前へ到着し、竜一は激しくノックをした。


 「茜! まずいことになってる! 開けてくれ!」


 ドンドンと扉を叩くが、茜から反応がない。

 

 寝てるのか? 


 扉を叩き続けるが、やはり反応はない。

 これ以上叩いても無駄だと判断し、竜一は意を決する。


 後方に下がり、息を吸い込む。

 床を蹴り上げ、突貫。

 全力のタックル。


 ただの人間であれば、これは無謀な行いだ。

 だが、今の竜一の力ならば話は別だ。


 一トントラック並みの衝撃力を受け、頑丈な扉が吹き飛んだ。

 吹き飛んだ扉が部屋の壁にぶつかり、ゴンッと鈍い音が発生。


 「茜!」


 竜一は部屋を見回した。茜の姿はない。

 

 「どこだ!?」


 竜一は部屋を調べた。ベッドのシーツを剥がし、ベッドの下を覗き込み、トイレを確認。

 

 居ない。どこだ。


 ベランダへと通じるドアが開け放たれていることに気付く。

 ベランダを確認するが誰もいない。


 竜一は焦る。

 茜ならば、どんな危機も切り抜けられる筈だが、それでも茜の姿を一目見るまでは安心できない。


 竜一は洗面所と浴室を調べていないことに気付き、足を向ける。

 洗面所へと通じる扉を開け、電気をつける。

 洗面所には誰も居ない。


 右側を向く。


 浴室には人影があった。

 だが、スモークガラスに映るシルエットはどう見ても茜ではない。

 それに、人影は二つ。


 まずい。


 と心の中で呟いた瞬間、ガラスがひび割れた。

 ガラスが飛び散り、浴室から人が飛び出す。

 

 飛び出して来たのは二人。若い女と若い男。

 そして、どちらも瞳は赤。当然の如く、正気を失っている様子。


 「くそッ! ここもか!」


 竜一は即座に身を翻した。一々相手していては駄目だ。

 この部屋に茜は居ない。

 ならば、他を当たらなければ。


 竜一は部屋の出口へと駆けだす。


 「なっ!」


 部屋の出口には栗原が居た。

 背後には二人の男女。

 挟み撃ちの形。


 「面倒だな……」


 制圧することは可能だ。

 だが、状況は三対一。

 手加減すれば、痛い目を見るのはこちらだ。

 

 殺す気でいかなければ。

 

 竜一は構えを取り、栗原を見据える。

 貫手で栗原の喉を突くつもりだ。


 竜一は床を蹴り、栗原へと接近。

 竜一の指先が栗原の喉元へ接触する直前、声が聞こえた。


 「ごめんね!」


 声が聞こえた直後、栗原は膝から崩れ落ちた。

 そのまま動かなくなる。おそらく死んではいない。気絶だ。


 竜一は栗原を気絶させた人物を目視し、叫びを上げた。


 「茜!」



▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△



 ホテル・ヒュペリオンは、亡者の巣窟と化していた。


 ホテル内で出会う者達は悉く、瞳に狂気を宿していた。

 正気はなく、ただひたすらに血に飢えた獣。

 竜一は便宜上、その者達を亡者と呼ぶことにした。


 竜一と茜は、現在ホテル七階に居た。

 竜一は、少し前の出来事を思い出していた。 

  

 栗原を気絶させた茜は、即座に動いた。

 竜一の後方から迫る二人の男女の顎先を殴り、一瞬のうちに気絶させた。

 それからカーテンを引きちぎり、栗原と男女の手足を拘束。

 そして、携帯電話を取り出し、通話ボタンを押した。

 通話先は鈴巴。

 

 鈴巴は窓から現れた。翼を使い、空を駆けたのだ。

 戸惑う竜一に、鈴巴は説明と指示をした。


 原因は不明だが、ホテル内は正気を失った者で溢れている。

 逃げ出すべきだが、鈴巴配下の者達を見捨てる訳にはいかない。

 ホテル内に居る鈴巴の配下は、全部で九名。

 その内、竜一と怜は無事であることを確認している。

 そして、栗原は拘束済み。

 残り六名。


 以上を踏まえ、鈴巴の作戦は以下の通り。

 竜一と茜と怜で手分けして、鈴巴配下の者達を捜索し、場合によっては制圧、拘束する。

 その後、携帯電話で鈴巴に連絡し、鈴巴と合流。

 鈴巴へ拘束した人間を引き渡す。

 鈴巴は翼を使い、拘束した人間と共に安全地帯へ移動。

 

 鈴巴配下の者達を全員回収出来るまでそれを繰り返す。

 それが鈴巴の作戦であった。


 竜一と茜と怜は、捜索を担当する階を決めた。

 一階から三階は怜。四階から七階は茜。八階から十階は竜一。

 

 竜一は意識を現実に戻し、茜に声を掛けた。


 「それじゃあ茜、気を付けて!」


 「うん! 何かあったらすぐに連絡して、駆け付けるから!」


 竜一は「分かった!」と元気よく返事をして茜に別れを告げた。

 ここは七階。七階は竜一の担当フロアではない。


 竜一は走りながら、チラッと背後を振り返った。

 茜の後ろ姿を確認。

 華奢な背中だが、内側には途轍もない力を秘めている。

 

 茜なら大丈夫だ。

 竜一は目線を前に向け、気合を入れ直した。


 階段を駆け上がり、八階に到達。

 竜一の足が止まる。八階廊下は亡者で溢れていた。


 「くそっ……」


 竜一は眉間に皺を寄せる。

 この状況で、鈴巴配下の者達を見つけるのは至難の業だ。

 鈴巴配下の者達は、携帯電話には応答しない。


 おそらく、既に……。


 竜一は首を振って、思考を切り替える。

 配下の者が滞在している部屋の番号は聞いている。

 八階は816号室。武田という三十代の男に割り当てられた部屋だ。

 まずはそこを目指す。


 亡者達は廊下にてボーッと突っ立っている。その様は夢遊病者のようであったが、竜一の足音を聞きつけて反応を示した。


 亡者達は素早く動いた。一斉に竜一へと迫る。

 常人ではあり得ない速度で迫ってくる。

 

 竜一は直観で理解した。

 亡者達は人間の限界を超えた力を無理やり引き出している、と。

 その方法は分からないが、そうとしか思えない動きであった。


 竜一も動き出した。

 迫りくる亡者達の方へ走り出す。

 亡者達が目前に迫った時、竜一は跳んだ。

 

 天井スレスレまで高く飛び上がり、亡者の壁を越える。

 そして、床に着地し816号室へと駆けだす。


 816号室の扉を叩くが、中から反応はない。

 竜一は息を吸い、力を溜めた。

 扉の取っ手を掴み、息を吐くと同時に思いっきり腕を引く。

 

 取っ手ごと扉が引っこ抜ける。

 中に踏み入り、部屋を捜索。


 武田の姿はどこにもなかった。

 

 「はずれか……」


 竜一は直ぐに頭を切り替えた。

 仕方がない。次は九階だ。

 

 竜一は扉を拾い上げた。

 扉をブンと振るい、亡者達を薙ぎ倒していく。


 竜一の膂力で振るわれる扉は、絶大な威力を持つ凶器だ。

 亡者達は扉で殴られ、四方へ吹き飛んでいく。


 竜一は荒い息を整える。

 息が乱れるほど力任せに振るったが、そのお陰で静かになった。

 亡者達が廊下に散らばっている。

 立ち上がる亡者達は居ない様子。

 

 亡者達の生死を気にしている余裕はない。

 躊躇すれば、自分の命が危うい。

 亡者達は、今の竜一でも十分に脅威を覚える相手であった。


 静かになり余裕が出来た竜一は、念のため、もう一度816号室を調べてみることにした。

 部屋に入り、リビング、トイレ、浴室を調べたがやはり見つからない。


 諦めて部屋の外に出た竜一はこの時、異常を感じた。

 体が勝手に動いた。それは、危機に対して適正化された自動アクションだった。


 咄嗟に後ろに引いた。


 直後、さっきまで竜一が立っていた場所に、何かが落下した。

 ズドンと音を立てて、廊下の床に着地。


 「なッ……」


 竜一は息を呑んだ。

 目の前の存在が見知った顔であり、同時に、あまりにも異質であったから。

  

 赤い髪に、がっしりとした輪郭。目の前の人物は、間違いなく武田だ。

 だが、その体は人と言うにはあまりにも異質すぎた。


 それは昆虫の脚だった。

 その脚は黒く、大きい。人の足より太く、そして長い。

 

 昆虫の脚が武田の腹から生えていた。脚の数は八本。

 武田の姿勢はうつ伏せ。八本の脚で体を支えている状態。


 竜一は以前、朽葉 桐也から聞いた話を思い出していた。

 ホテル・オルトシアにて現れたという、蜘蛛の化け物。

 

 今、その蜘蛛の化け物が目の前に居た。

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