60.ヒュペリオンの大難1
ホテル・ヒュペリオンの最上階である十階にて、竜一は夕食を取っていた。
夕食は、好きな物を自由に選べるビュッフェ形式。
長方形の机の上には、数々の料理が並べられていた。
料理の種類は和洋折衷揃えられており、色とりどりの料理が食欲を刺激する。
竜一は、手に持った皿の上に料理を盛り付けていく。
選んだ物は、ローストビーフ、小籠包、から揚げ、寿司、グラタン、パスタなど。
とにかく目についたものを片っ端から皿に乗せていく。
隙間のないほど盛り付けられたその皿は、そのまま竜一の庶民性を表している。
元を取ろうと必死になった結果がこれだ。
庶民かつ貧乏性丸出しだが、そんなことはどうでもいい。
こういうのは楽しんだもの勝ちなのだ。
竜一は料理を乗せた皿を手に、窓際の席に着席した。
竜一は安心した。
何故なら、茜の皿は竜一の皿以上に料理が盛り付けられていたから。
高々と盛り付けられたその皿は、芸術といってもいいかもしれない。
茜は竜一とは違い上流階級の人間。
その茜がこれほどの芸術を完成させているのだ、竜一の平凡な皿など霞んでしまう。
「うん、おいひー」
と言って茜は料理にありついている。
口元をべったりと汚して。
竜一は困ったように笑い、テーブルナプキンで茜の口元を拭いてやった。
茜は無抵抗で竜一のすることを受け入れ「ありがとー」と満面の笑み。
竜一は、笑みを浮かべ軽く嘆息。
なんだか、茜が妹のような感じになってしまったな。
初めて茜と会った日に、このような関係になることが予想できただろうか。
茜と出会ってまだ一年と経っていないが、随分と懐かしいような気持になる。
「お二人さん、相変わらず仲いいっすね」
そう言って声を掛けてきたのは、坊主頭の若い男だった。
竜一はこの男の情報を頭の中で思い出していた。
名前は確か栗原。
鈴巴の部下の一人で、軍隊上がりだった筈だ。
武器の扱いに優れ、軍隊仕込みの戦闘力を誇るが、それは人間の範疇での話だ。
栗原は人間であるため、鈴巴の部下になってからは前線に出ることはなく、裏方に徹している。
「ここ座ってもいいっすか?」
栗原は人の良さそうな笑顔を浮かべ、竜一の隣の席を指差した。
「はい、大丈夫ですよ」
「あざーす」
と言って席につき、生ビールを呷る栗原。
それから「プハーッ」と声を漏らし、満足そうに頷いた。
「栗原さん、美味しそうに飲むね!」
茜がそう反応し、栗原は言う。
「そりゃもう激うまっす。人の金で飲む酒は特に」
今回のバカンスの費用は全て鈴巴のポケットマネーから捻出されている。
竜一は愛想笑いで反応した。
栗原は竜一にそっと耳打ちする。
「泉谷君、俺は君が羨ましいっすよ。こんな可愛い彼女がいて」
「いや彼女というわけでは……」
「いやいいっすよ照れなくたって」
「いや、ホントに……」
「まあ君ぐらいの年だと、そういうのを恥ずかしがる気持ちもわかるっすけど……。はあ~、俺も彼女欲しいっす」
この人、こっちの話を聞いてくれないな……。
と思いつつ、竜一はそれ以上否定を続けるのを止めた。
まあ別にいいか。
と思考を切り替え、竜一は栗原に尋ねる。
「そんなに欲しいんなら作ればいいのではないでしょうか?」
栗原は大きな溜息を吐いた。
「それ嫌味っすか?」
「そ、そんなことないですよ!?」
竜一は思ったことを口にしただけだ。
嫌味ではない。何故なら栗原は、そこそこの長身で引き締まった肉体を持つ男だ。
それに鈴巴の部下であるからには、かなりの高給取りの筈だ。
本気になれば、簡単に恋人など出来る筈なのだ。
と思い、竜一はその意見をそのまま栗原に伝えた。
「分かってないっすねー。いいっすか? 金目的で近づいてくる女を落としてどうするっすか!? 俺はね、俺自身を好いてくれている人を探しているんすよ。金も肩書も顔も肉体も、俺自身にぶら下がっている付属品にすぎないっす。全部本当の俺じゃない。本当の俺を見てくれる人じゃなきゃ嫌っす」
中々に難しいことを言うな……。
竜一はそんな感想を浮かべながら、適当に相槌をした。
本当の自分とは言うが、本当とは何なのか?
竜一は栗原とは逆の意見を持っていた。
自分とは、最初からあるものではない。あとから創り上げられるものだ。
生まれ育った環境、その場の環境によって創り上げられる。
もしくは、その時々で創りかえられると言ってもいいかもしれない。
本当の自分など、実のところどこにも居ないのだ。
金や肩書や顔や肉体は付属品なんかじゃない。
いや、付属品なんて物は存在しない。全てが合わさって、自分という個人を成すのだ。
とそんな感じでクドクドと哲学的なことを考える竜一であったが、茜はそんな理屈をすっ飛ばして栗原に言葉を放った。
「栗原さん、ないわー」
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ホテル・ヒュペリオンのスイートルーム一室にて。
時刻は夜の十一時を回り、竜一は寝る準備を整えていた。
抵抗する茜を部屋から追い出すことに成功し、散らかった部屋を少し片付ける。
「今日はぐっすりと眠れそうだな」
今日はよく遊びよく食べた。
体には心地の良い倦怠感。
ベッドに潜り込んだら、きっとすぐに眠れるだろう。
そう思いながら明かりを消して、ベッドへ潜り込んだ。
ドンドン。
と扉を叩く音が聞こえた。
「ん? なんだろう?」
竜一はベッドから起きて、扉の方へ歩き出した。
扉に備え付けられた覗き窓から外を覗き見る。
扉の前には一人の男が居た。
顔を俯けているため表情は見えない。
恰好からいって、このホテルのホテルマンだろう。
何だ? ルームサービスを頼んだ覚えはないが。
竜一は扉越しに返事をした。
「あのー! ご用件は何でしょうか?」
返事は返ってこなかった。
ホテルマンは何もせずに扉の前に佇むだけ。
この時点でホテルマンの様子が普通ではないことを感じ取り、竜一は考えた。
どうしたんだ? もしかして具合が悪いのか?
突然体調が悪くなり、俺に助けを求めている?
色々と疑問が湧くが、このまま放置することも出来まい、と思い竜一は扉を開けた。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
ホテルマンは顔を上げた。
ゆっくりと。
竜一とホテルマンの視線が合う。
ホテルマンの瞳は赤かった。鮮血の如く赤く、それでいて酷く虚ろだった。
竜一はこの瞬間確信した。
この人は正気じゃない。
ホテルマンは大口を開け、唸り声を上げた。
口内から覗く犬歯は、異常に長く鋭く尖っていた。
「うがああああッ!」
ホテルマンは犬歯を剥き、竜一の首筋を噛みちぎろうと襲い掛かる。
竜一は動いた。
それは、これまでの訓練で得た賜物であった。
体が半自動で動く。
竜一は右の掌をホテルマンの顎に向かって突き上げた。
ガチッと音を立て、顎が閉じられた瞬間、竜一の右脚はホテルマンの右脚後方に。
そこから竜一は、右脚を引き寄せるように動かし、ホテルマンの右脚を払う。
そして竜一の右手はホテルマンの顎を押す。
バランスを崩したホテルマンは背中から倒れた。
ドンッと音を立て倒れたホテルマンの腹部へ、竜一は拳を一突き。
そして竜一はマウントを取り、右肘をホテルマンの首元へ入れて制圧する。
それでもホテルマンは暴れ続ける。
正気を失った瞳で、口から唾液を垂らしながら、手足をジタバタと動かす。
「落ち着いてください!」
暴れるホテルマンを抑えつけながら、竜一は必死に呼びかける。
「落ち着いて! ―――くッ!」
駄目だ。理由は分からないが、完全に正気ではない。
仕方がない。
竜一は右肘の力を強め頸動脈を圧迫。
数秒後、ホテルマンはガクッと脱力。失神した。
「だ、誰か! 誰か来てください!」
大声を張り上げたが、それに応える者は居なかった。
「くそっ、どうすればいい……」
焦る竜一であったが、前方で軋む音が聞こえた。
それは、通路に面した部屋の扉が開く音だった。
良かった。
「―――えっ」
竜一は安堵するが、それは一瞬だけであった。
部屋から飛び出して来たのは、壮年の男。
そしてその瞳は、鮮血の如く赤だった。
その男もまた、正気ではなかった。
「嘘だろ……」




