表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/91

58.修行5

 二日目の朝を迎え、竜一は講堂にて座禅を組んでいた。

 呼吸を意識し、自我を排除する。


 しかし、上手くいかなかった。

 昨日のアデブの話が頭から離れなかったのだ。


 アデブの話は、決して他人事ではない。

 自分も裏世界に身を置く者の端くれ。

 

 きっとこの先、非情な選択を迫られることがある筈だ。

 相手を殺さなければならない状況に迫られたとして、自分はそれを実行できるだろうか。


 改めて考えてみる。はっきりと断言できない自分がいる。

 この世界に足を踏み入れると決めた時に覚悟はしていた筈だ。

 だが、この世界で仕事をこなし、リアルを体験した今、その覚悟が揺らぎ始めている。


 揺らぐな。悩むな。と自分に言い聞かせてみても、自然と頭に浮かび上がってくる。


 バチンと破裂音が耳に響き、肩に衝撃。

 

 棒切れで肩を叩かれた。この棒切れは警策というらしい。

 叩いたのは寺の僧侶。

 頭に浮かび上がってくる邪念が形となってしまったのだろう。

 おそらくは、集中出来ていないことを僧侶に見抜かれた。

 

 竜一は姿勢を正し、集中しようと試みた。


 しかし、その後もバチンと破裂音が鳴る。そしてその後も、一定間隔ごとに鳴り続けた。



▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

 


 昼食を取り、いよいよ修行は最後の大詰め。

 

 この修行のメインイベント、滝行である。

 滝行は、希望者だけが参加することになっている。


 参加するのは、竜一、茜、静、カイレ。


 竜一たちは、水着の上に白い儀式用の服装といった格好で、滝の前に立っていた。


 崖の上から途轍もない量の水が落下し、水しぶきを上げている。

 聞こえてくるのは滝の打つ音のみ。


 竜一は、隣に立つ静に声を掛けた。


 「あの……冬城さん、大丈夫ですか?」


 静は滝に打たれる前から青い顔をしていた。

 

 「大丈夫……」


 とても大丈夫そうには見えないが、本人がやると言っている以上、竜一には見守ることしかできない。


 「うはーッ! いいねいいねー!」


 茜は相変わらず楽しそうだ。


 「お兄さん、僕が倒れたら助けてくださいね?」


 そう言って、笑顔を向けてきたのはカイレだ。

 何故だが随分と懐かれたようで、人のパーソナルスペースに踏み込んでくる。

 

 「ま、まあ、何かあったらね……」


 竜一が愛想笑いを浮かべていると、僧侶から合図があった。

 竜一達は滝行を開始した。


 「うっ」


 水温は冷たい。だけどそれは、今の季節には寧ろ気持ちがいいほど。

 問題は水圧。

 思ったよりも水圧が強い。


 「これは……」


 頭が痛い。息が苦しい。

 これぞ修行。この苦しみこそが、生の実感。


 竜一は、この苦しみから何かを見出すように滝に打たれ続けた。

 集中を開始。体の感覚が研ぎ澄まされる。

 

 滝に打たれながら真言を唱える。


 左右からも真言を唱える声が聞こえてくる。

 そして、その真言に混じって何やら艶っぽい声が聞こえる。

 

 うっ、とか。あっ、とか。艶めかしい女性の声。

 その正体は、静の口から漏れ聞こえてくる声だ。


 分かっている。ワザとではないのだろう。

 静なりに必死に耐えている証拠だ。


 だが、これは……。


 結局、竜一は、この修行でも自身の邪念を押しとどめることが出来なかった。


 

▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△


 

 二日目の夕方、すべての修行が終了した。

 

 「歩むべき道に迷った時は、いつでもいらしてくだサイ」


 アデブは、大きな体を折り曲げて竜一に向かって頭を下げた。

 

 「はい。ありがとうございます」


 アデブの瞳には優しい光が宿っていた。

 その優し気な相貌からは、かつての殺し屋としての片鱗は微塵も見えなかった。

 

 アデブは最後に言った。


 「私はかつて道を誤りまシタ。その誤ちは、どうやっても無かったことにはできマセン。ですが、やり直すことは出来マス。どれだけ誤ろうと、どれだけ人の道を外れようと、そこで終わってはイケマセン。また歩き出せはいいのデス。きっと、その姿勢こそを御仏は見ておらレル。その歩みこそが、我ら人の、本当の修行なのデス」


 竜一はアデブにお辞儀をして、円唐寺を後にした。


 「お兄さーん! また会いましょうねー!」


 笑顔で手を振るのは、銀髪の美少年カイレだ。

 

 竜一は、カイレに手を振り返した。

 カイレに別れを告げ、前に向き直り、茜と静と共に歩き出した。

 

 心地よい疲労感を感じながら、竜一は考えていた。


 それは、己の歩むべき道だ。

 己の現在地と歩むべき道をしっかりと確認する。


 己の目の前には道が二つ。

 

 一つは灰色だが、なだらかな道。障害物のない、平凡な道。

 平凡だが、今の竜一には分かる。その平凡は、実は奇跡のような確率で成り立つ道だ。

 当たり前に平凡を享受できることをありがたがるべきなのだ。

 そして、平凡ではあるが、その中で悩みを抱え、時として間違えながらも一歩一歩進んでいくのだ。

 それは、こう呼ばれるのかもしれない。人の道、と。


 そしてもう一つの道。

 その道には闇が広がっている。僅かな先も見通せない暗い道だ。

 加えて様々な危険が待ち構えていることだろう。

 道半ばで命を落とすことは十分にありえる。

 道の先には大勢の死体が転がっているだろう。

 その屍を乗り越え、あるいは足場にして進まなければならない。

 到底、人が進む道ではないだろう。

 その道は修羅の道。


 竜一は、道を歩き出した。


 より険しい方へと。 



▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△


 

 帰りの列車内にて、竜一はぼんやりと外を眺めていた。

 長いトンネルを抜け、見慣れた景色が見えてくる。

 夜の闇の中で光る街の明かり。

 

 飲食店の看板や、高層マンションなどを視界に入れ、意識を周囲に向けた。


 後ろの座席には茜。

 茜は、いつになく静かだった。

 背後に目を移すと、寝息を立てながら眠る茜。


 涎をたらしながら、気持ちよさそうに眠る茜の寝顔を見て、竜一はクスッと笑った。


 左隣、通路側の席には静。

 静は黙々と読書をしている。


 静は竜一の視線に気づいたようで、本を閉じて竜一に尋ねた。


 「どうかした?」


 「あ、いや……」


 竜一はしまった、と思ったが、すぐに気を取り直して言葉を返した。


 「今回の体験、とてもいい経験になりました。誘ってくれてありがとうございます」


 「そう言ってもらえて良かった」


 静は僅かに笑ったあと、目線を前に移しポツリと言った。


 「仕事……大変?」


 「え? 仕事ですか? まあ、大変ですけど、やりがいを感じてます。先輩方にもサポートしてもらって、まだまだですけど……」


 「そっちじゃなくて」


 「……そっちじゃない?」


 「うん。君のもう一つの仕事の方」


 「え?」


 竜一は、目を丸くして静を見つめた。

 静の言っていることを理解してしまった。


 もう一つの仕事とは、裏に関する仕事のことだ。

 静は、そのことを言っている。


 「ど、どうして……?」


 「知っているのかって?」


 静は、軽く息を吐いて答えた。


 「私は情報屋。裏の事情にも精通したね」


 「……情報屋?」


 「そう」


 情報屋。情報自体を商品として、商売をする者達。

 そういった手合いが存在することは聞いていたが、まさか身近に存在しているとは。


 「正直驚きました……。何といったらいいか……」


 「君、今ちょっとした有名人だよ」

 

 「え? 俺が?」


 「朽葉 菖蒲と引き分けた期待の新人ってね」


 「それは……」


 「最初の質問に戻るけど、仕事大変?」


 「大変……だと思います」


 「そう……なんだ」


 「はい……」


 静は竜一と視線を合わし、ポツリと言った。


 「なら向いてないよ」


 「え?」


 「向いてないよ。その仕事は、向いてない人がやるべきじゃない」


 「それは……」


 「ねえ、そのままじゃいつか死ぬよ? もう止めた方がいい。私は、君に死んで欲しくないよ……」

 

 「……」


 静の表情は真剣そのものだった。

 静は本心から竜一のためを思って忠告をしている。


 静は竜一の手にそっと触れた。


 「ねえ、お願いだから」


 「……」


 竜一は、しばらく返事をしなかった。

 

 そして、竜一は微かに笑った。


 「出来ません」


 「どうして?」


 竜一はすでに歩き出している。その道は険しい。すでに引き返すことは出来ないのだ。


 「それをしてしまったら、俺はもう、死んでいるのと同じですから」


 静は、もう何も言えなかった。少年の強い意志を感じたから。

 静の耳に響くのは、後部座席から聞こえる茜の寝息だけだった。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ