58.修行5
二日目の朝を迎え、竜一は講堂にて座禅を組んでいた。
呼吸を意識し、自我を排除する。
しかし、上手くいかなかった。
昨日のアデブの話が頭から離れなかったのだ。
アデブの話は、決して他人事ではない。
自分も裏世界に身を置く者の端くれ。
きっとこの先、非情な選択を迫られることがある筈だ。
相手を殺さなければならない状況に迫られたとして、自分はそれを実行できるだろうか。
改めて考えてみる。はっきりと断言できない自分がいる。
この世界に足を踏み入れると決めた時に覚悟はしていた筈だ。
だが、この世界で仕事をこなし、リアルを体験した今、その覚悟が揺らぎ始めている。
揺らぐな。悩むな。と自分に言い聞かせてみても、自然と頭に浮かび上がってくる。
バチンと破裂音が耳に響き、肩に衝撃。
棒切れで肩を叩かれた。この棒切れは警策というらしい。
叩いたのは寺の僧侶。
頭に浮かび上がってくる邪念が形となってしまったのだろう。
おそらくは、集中出来ていないことを僧侶に見抜かれた。
竜一は姿勢を正し、集中しようと試みた。
しかし、その後もバチンと破裂音が鳴る。そしてその後も、一定間隔ごとに鳴り続けた。
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昼食を取り、いよいよ修行は最後の大詰め。
この修行のメインイベント、滝行である。
滝行は、希望者だけが参加することになっている。
参加するのは、竜一、茜、静、カイレ。
竜一たちは、水着の上に白い儀式用の服装といった格好で、滝の前に立っていた。
崖の上から途轍もない量の水が落下し、水しぶきを上げている。
聞こえてくるのは滝の打つ音のみ。
竜一は、隣に立つ静に声を掛けた。
「あの……冬城さん、大丈夫ですか?」
静は滝に打たれる前から青い顔をしていた。
「大丈夫……」
とても大丈夫そうには見えないが、本人がやると言っている以上、竜一には見守ることしかできない。
「うはーッ! いいねいいねー!」
茜は相変わらず楽しそうだ。
「お兄さん、僕が倒れたら助けてくださいね?」
そう言って、笑顔を向けてきたのはカイレだ。
何故だが随分と懐かれたようで、人のパーソナルスペースに踏み込んでくる。
「ま、まあ、何かあったらね……」
竜一が愛想笑いを浮かべていると、僧侶から合図があった。
竜一達は滝行を開始した。
「うっ」
水温は冷たい。だけどそれは、今の季節には寧ろ気持ちがいいほど。
問題は水圧。
思ったよりも水圧が強い。
「これは……」
頭が痛い。息が苦しい。
これぞ修行。この苦しみこそが、生の実感。
竜一は、この苦しみから何かを見出すように滝に打たれ続けた。
集中を開始。体の感覚が研ぎ澄まされる。
滝に打たれながら真言を唱える。
左右からも真言を唱える声が聞こえてくる。
そして、その真言に混じって何やら艶っぽい声が聞こえる。
うっ、とか。あっ、とか。艶めかしい女性の声。
その正体は、静の口から漏れ聞こえてくる声だ。
分かっている。ワザとではないのだろう。
静なりに必死に耐えている証拠だ。
だが、これは……。
結局、竜一は、この修行でも自身の邪念を押しとどめることが出来なかった。
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二日目の夕方、すべての修行が終了した。
「歩むべき道に迷った時は、いつでもいらしてくだサイ」
アデブは、大きな体を折り曲げて竜一に向かって頭を下げた。
「はい。ありがとうございます」
アデブの瞳には優しい光が宿っていた。
その優し気な相貌からは、かつての殺し屋としての片鱗は微塵も見えなかった。
アデブは最後に言った。
「私はかつて道を誤りまシタ。その誤ちは、どうやっても無かったことにはできマセン。ですが、やり直すことは出来マス。どれだけ誤ろうと、どれだけ人の道を外れようと、そこで終わってはイケマセン。また歩き出せはいいのデス。きっと、その姿勢こそを御仏は見ておらレル。その歩みこそが、我ら人の、本当の修行なのデス」
竜一はアデブにお辞儀をして、円唐寺を後にした。
「お兄さーん! また会いましょうねー!」
笑顔で手を振るのは、銀髪の美少年カイレだ。
竜一は、カイレに手を振り返した。
カイレに別れを告げ、前に向き直り、茜と静と共に歩き出した。
心地よい疲労感を感じながら、竜一は考えていた。
それは、己の歩むべき道だ。
己の現在地と歩むべき道をしっかりと確認する。
己の目の前には道が二つ。
一つは灰色だが、なだらかな道。障害物のない、平凡な道。
平凡だが、今の竜一には分かる。その平凡は、実は奇跡のような確率で成り立つ道だ。
当たり前に平凡を享受できることをありがたがるべきなのだ。
そして、平凡ではあるが、その中で悩みを抱え、時として間違えながらも一歩一歩進んでいくのだ。
それは、こう呼ばれるのかもしれない。人の道、と。
そしてもう一つの道。
その道には闇が広がっている。僅かな先も見通せない暗い道だ。
加えて様々な危険が待ち構えていることだろう。
道半ばで命を落とすことは十分にありえる。
道の先には大勢の死体が転がっているだろう。
その屍を乗り越え、あるいは足場にして進まなければならない。
到底、人が進む道ではないだろう。
その道は修羅の道。
竜一は、道を歩き出した。
より険しい方へと。
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帰りの列車内にて、竜一はぼんやりと外を眺めていた。
長いトンネルを抜け、見慣れた景色が見えてくる。
夜の闇の中で光る街の明かり。
飲食店の看板や、高層マンションなどを視界に入れ、意識を周囲に向けた。
後ろの座席には茜。
茜は、いつになく静かだった。
背後に目を移すと、寝息を立てながら眠る茜。
涎をたらしながら、気持ちよさそうに眠る茜の寝顔を見て、竜一はクスッと笑った。
左隣、通路側の席には静。
静は黙々と読書をしている。
静は竜一の視線に気づいたようで、本を閉じて竜一に尋ねた。
「どうかした?」
「あ、いや……」
竜一はしまった、と思ったが、すぐに気を取り直して言葉を返した。
「今回の体験、とてもいい経験になりました。誘ってくれてありがとうございます」
「そう言ってもらえて良かった」
静は僅かに笑ったあと、目線を前に移しポツリと言った。
「仕事……大変?」
「え? 仕事ですか? まあ、大変ですけど、やりがいを感じてます。先輩方にもサポートしてもらって、まだまだですけど……」
「そっちじゃなくて」
「……そっちじゃない?」
「うん。君のもう一つの仕事の方」
「え?」
竜一は、目を丸くして静を見つめた。
静の言っていることを理解してしまった。
もう一つの仕事とは、裏に関する仕事のことだ。
静は、そのことを言っている。
「ど、どうして……?」
「知っているのかって?」
静は、軽く息を吐いて答えた。
「私は情報屋。裏の事情にも精通したね」
「……情報屋?」
「そう」
情報屋。情報自体を商品として、商売をする者達。
そういった手合いが存在することは聞いていたが、まさか身近に存在しているとは。
「正直驚きました……。何といったらいいか……」
「君、今ちょっとした有名人だよ」
「え? 俺が?」
「朽葉 菖蒲と引き分けた期待の新人ってね」
「それは……」
「最初の質問に戻るけど、仕事大変?」
「大変……だと思います」
「そう……なんだ」
「はい……」
静は竜一と視線を合わし、ポツリと言った。
「なら向いてないよ」
「え?」
「向いてないよ。その仕事は、向いてない人がやるべきじゃない」
「それは……」
「ねえ、そのままじゃいつか死ぬよ? もう止めた方がいい。私は、君に死んで欲しくないよ……」
「……」
静の表情は真剣そのものだった。
静は本心から竜一のためを思って忠告をしている。
静は竜一の手にそっと触れた。
「ねえ、お願いだから」
「……」
竜一は、しばらく返事をしなかった。
そして、竜一は微かに笑った。
「出来ません」
「どうして?」
竜一はすでに歩き出している。その道は険しい。すでに引き返すことは出来ないのだ。
「それをしてしまったら、俺はもう、死んでいるのと同じですから」
静は、もう何も言えなかった。少年の強い意志を感じたから。
静の耳に響くのは、後部座席から聞こえる茜の寝息だけだった。




