57.修行4
一日目の修行を終え、古民家にて夕食を取り、自由時間となった。
竜一は、古民家の広い庭先で型の稽古をしていた。
体の調子は概ね良好。何かしていないと落ち着かない竜一は軽く汗を流していた。
今は完全に夜。
あたりは闇と静けさに包まれていた。
今日は比較的涼しい方ではあるが、それでもジメジメとした蒸し暑さは不快といえるには十分であった。
「竜一」
稽古を続ける竜一の背後から、竜一を呼ぶ声。
竜一を呼んだのは茜だった。
茜はティーシャツに短パンといった格好で、うちわを仰ぎながら竜一へと近づいた。
茜の手には皿が。その皿の上には、切り分けられたスイカが乗っていた。
「一緒に食べない?」
「うん、ありがとう」
竜一と茜は縁側に座り込み、スイカに口をつけた。
「美味しいね!」
笑顔で言う茜。
竜一は答えた。
「うん、美味しい」
竜一は空を見上げた。
夜空には星が散りばめられている。
空気は澄みきっており、尚かつ人工の灯が少ないこの地域の夜空はとても綺麗だった。
竜一の様子を見て茜も空を見上げる。
「わーッ、きれー!」
「うん、綺麗だ」
二人はしばらく夜空を見上げていた。
そして、茜がポツリと言った。
「……お姉ちゃんも、どこかでこの空を見てるのかな」
「茜……」
竜一は、困ったような顔をして茜の横顔を見つめた。
何を言うべきか分からなかった。
茜は夜空を見続けた。
「大丈夫。次は逃げない」
竜一は何も言わなかった。
その代わり、そっと茜の手の甲に触れた。
茜は笑った。
「うん、やっぱり大丈夫だ」
しばらく無言の時間が続いた。
もはや言葉はいらない。
「おーう、仲睦まじいデスネ」
静かな夜に、野太い声が響いた。
その声と共に現れたのは、円唐寺の住職。大巨人安慶。
竜一は取り繕わなかった。
仲がいいのは本当のことだ。
竜一は尋ねた。
「どうもこんばんは」
「ええ、こんばんワ」
そう言ったのち、安慶は深々と頭を下げた。
安慶の行動を訝しむ竜一だったが、竜一が反応する前に安慶は発言した。
「改めてご挨拶イタシマス。私の本名はアデブ・オロゴン。お会いできたことをうれしく思いマス。朽葉の御息女サマ」
「え?」
突然の安慶の挨拶に戸惑う竜一。
茜は竜一とは違う反応を見せた。
「ああ、なんとなくそうじゃないかと思ってたけど、やっぱりそうだったんだ」
「茜?」
茜は竜一に説明した。
「この人も、私たちと同類。裏の世界の人間ってこと」
安慶は茜の発言を聞いて口を開いた。
「一つ誤解がありマス。私は、裏家業から足を洗いました。ですから、今はただの住職デス」
「そうだったんですか……」
驚く竜一に対して、安慶は柔和な笑みを浮かべた。
「少しだけ聞いて頂けマスカ?」
竜一と茜が頷いたのを確認し、安慶は喋り始めた。
かつての安慶―――アデブ・オロゴンの裏世界の通り名は『薬師』。
アデブは、代々殺しを生業とする家系に生まれ、ただ言われるがままに仕事をこなしてきた。
しかし、ある日を境にその仕事に疑問を持つようになる。
切っ掛けは、とある政治家の暗殺任務を請け負った時だった。
アデブは政治家の屋敷に正面から乗り込み、警護の人間の頭蓋骨をあっさりと粉砕し、ターゲットの首を軽くへし折った。
任務を達成したアデブは、屋敷に人の気配があることに気付いた。
気配を辿り、アデブはある部屋に侵入。
そこに居たのは子供だった。まだ十歳にも満たないと思われる幼女であった。
幼女はベッドに横たわっていた。
幼女はアデブの巨体を見ても怖がらなかった。
それどころか、幼女は笑った。わずかに笑ったのだ。
幼女はアデブに言った。
ようやく、死神が来てくれたと。
聞けば、幼女は大病に侵されているという。
大金をつぎ込み、様々な治療を受けたが、大きな効果は得られなかった。
幼女は理解していた。自分の命がもう長くないことを。
十歳にも満たない幼女は悟っていたのだ。
幼女は死神に願った。
この痛みから解放して欲しいと。
アデブは哀れだと思った。
幼女は痛みに苛まれ、日々苦しんでいる。
それに、幼女の家族はたった今、死んだ。
もう親身になって幼女を助ける者はいない。
アデブは悩まなかった。アデブは幼女の首を絞めた。
ほんの僅かに力を入れるだけで幼女は死んだ。
そして、その日からだった。
アデブの胸に棘が刺さったのは。
ひと月以上経過しても、幼女の顔が頭から離れなかった。
アデブは考えるようになった。
生と死についてだ。
人は何のために生きて、何のために死ぬのか。
あの幼女は何故、この世に生を受けたのか。
苦しむために生まれたのか? 首を絞められるために生まれたのか?
もしそうだとしたら、あまりにも馬鹿げている。
この世は地獄だ。
そうとしか思えなかった。
それでもアデブは考え続けた。
だが、結局は答えは出なかった。
それから少し時が流れた。この国には仕事で訪れた。
そして、この国の宗教と出会った。
宗教とは、答えの無い問題を考え続けることだ。
それはアデブにとっては、まさしく救いに思えた。
アデブは祈った。
かつて己が殺した被害者の安らかな眠りと救済を。
幼女の魂が御仏の元にあらんことを。
そして、己が身の破滅を。
毎日何百回、何千回と祈った。
あまりに敬虔なアデブの姿勢に、周囲の者は感銘を受けた。
アデブに道を示すものがあった。
それは、仏に仕えるという道だ。
アデブは何度も首を振った。
自分の手は血で汚れすぎている。
その道へは行けない、と。
しかし、ある者は言った。
だからこそだと。
仏の前では、人の罪は平等である。
だが、仏は見ておられる。
己の罪と向き合い、悔い改めることを。
だからこそ、アデブはより険しい道を進まなければならない。
許されることのない罪と共に、答えのない問題と共に、その道を歩むべきであると。
アデブは、そう諭されたのである。




