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54.修行1

 夏休みが始まった。

 残暑真っただ中。肌に纏わりつく湿気。照りつける太陽。

 猛暑と言って過言ではない暑さの中、冬城 静は駅前広場にて人を待っていた。

 

 最高気温が三十五度を超える中、静の恰好は季節を度返しするようであった。

 マウンテンパーカーに、トレッキングパンツ。足元は、軽量かつ丈夫なスニーカー。

 まるで、登山にでもいくような格好だった。

 辛うじて夏の装いといえるのは、頭に麦わら帽子を乗せているところのみ。

 

 腕時計を見ると時刻は朝の六時三十分。約束の時間まで、あと三十分もある。

 少し早く来すぎたか。

 と少しだけ反省するが、それも仕方がないことか、と思い直す。

 

 家族を除けば、異性と二人で出かけるなど初めての経験。

 しかしも、一泊二日のお泊りあり。

 緊張するなという方が無理な話であろう。


 それにしても、我ながら大胆なことをしたものだ。

 それは、少年を誘った時のことだ。それなりに勇気がいることだった。

 平然を装ってはいたが、実のところ心臓が早鐘を打っていた。

 

 何故それ程までに心拍数が上がり、心臓の鼓動が加速したのか。

 そして、今になって気付く。

 

 これは参った。

 自分でも気づかぬ内に、あの少年に入れ込んでいたようだ。

 

 静は自分を戒めた。

 今は駄目だ。まだその時ではない。なにより、あの少年と約束したではないか。


 静の脳裏に、少年の笑顔が浮かぶ。

 フッ、と口元が緩んだ。

 

 「冬城さん! すみませんお待たせしました!」


 少年の声が聞こえた。

 静の口元が更に緩む。


 静は微笑みながら、声の方に振り向いた。


 そして、静の表情から笑顔が消えた。


 少年は一人ではなかった。

 少年のとなりには、一人の少女。

 橙色の髪をした、活発そうな少女だ。


 その少女は言った。


 「どうも初めまして! 朽葉 茜と言います! えっと、冬城さん、ですよね? 竜一から話は聞いてます。うちの竜一が、いつもお世話になってます―――」



▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△


 

 快速特急白鳥は順調に走行中。

 窓に映る景色を眺めると、建物が流れるように消えていき、ちょうどトンネルに差し掛かったところだった。


 「うは―ッ! 耳がキーンてなるね!」


 窓の外を眺めていた茜は、楽しそうに竜一に顔を向けた。


 「ハハハ……」


 竜一の乾いた笑い声が響いた。

 流石に、はしゃぎすぎじゃないかな?

 と喉まで出かけた台詞を飲み込む。


 それよりも気になることがあった。

 竜一は座席の隙間から、そーッと後ろの席を覗き込んだ。


 後ろの座席には静。

 静は窓の外を眺めている。

 そして、その顔色は不機嫌の一言。


 何か俺、不味いことしたかな?

 考えてみたが分からなかった。

 待ち合わせ場所には時間通りに着いたし、今も予定通りに進んでいる。


 唯一のイレギュラーは茜がついてきたことだが、これについても何も問題はない。


 茜は竜一から今回の話を聞いて、持ち前の行動力を発揮した。

 「私もいく!」と竜一に宣言し、即座に円唐寺に連絡を入れ、自分で修行体験に応募したのだ。

 幸いなことにまだ空きがあったようで、茜は予約を取り付けることに成功。


 ああ、そうか。茜が参加することを冬城さんに黙っていたことは、流石にまずかったよな。

 悪気があったわけではない。ただ単に連絡することを忘れていたのだ。

 何故忘れていたのか? 茜と一緒に居ることが当たり前すぎて、勘違いしていたのだろう。

 自分にとっての当たり前は、他者にとってもそうであるとは限らないのだ。

 

 竜一は、座席と座席の隙間からガムをそっと差し込んだ。今どき珍しい板ガムだ。


 「冬城さん。あの、ガム食べます……?」


 「……」


 静は何の反応も示さない。

 視線は窓の外に固定。

 

 ガム作戦は失敗。

 それもそうか。子供じゃあるまいし、こんなもので釣られる筈がない。

 

 嘆息して視線を前に向け、別の作戦を考えることにした。

 すると、ピコンッ、と竜一の携帯電話が鳴った。


 携帯電話を見ると、メッセージが届いていた。

 送り主は冬城 静。

 

 何故わざわざメッセージで送ってくる。直接話せばいいじゃないか。と内心ツッコみつつ、内容を確認。


 画面には、本当に彼女じゃないの? と書かれていた。

 

 主語が抜けているが、流石に分かった。

 静は、茜と竜一の関係を訊いているのだ。

 

 竜一は、またもや嘆息。それについては、列車に乗る前に説明した筈だ。

 静には茜のことを友達と紹介してある。

 友達と表現してよいのか自分でも悩ましい部分があるが、他人に説明するにはそうとしか言いようがない。

 

 竜一はメッセージを返信。

 だから違いますって。と返した。


 すぐに静から返信。

 その割には仲良さそうじゃない?


 竜一は返信。

 それは認めますけど、彼女ではないですね。

 まあ、そうですね……友達というか……家族、妹に近い感覚でしょうか?


 静から返信。

 ふーん。


 それだけだった。

 これは会話終了ということか? 何か返した方がいいのか?

 悩む竜一だったが、後ろから声が聞こえた。

 

 「……ちょうだい」


 静の声だ。

 竜一は、座席の隙間から後ろを覗き込む。

 そして、訊き返す。

 

 「はい?」


 「ガム……ちょうだい」


 「あ、は、はい!」


 竜一は慌ててガムを座席の隙間に差し込んだ。

 静はそれを受け取り、包みを開けてガムを噛み始めた。


 これは少しだけ許しを得られたということでいいんだろうか?

 竜一は考える。

 いや、そもそも何の許しだよ。と自分にツッコむ。


 まあ、一歩前進と言ったところか。

 と前向きに考えていると、隣からガサゴソと音が聞こえた。


 「うわー、美味しそう!」


 茜が紙袋から弁当を出しているところだった。

 それは、列車に乗り込む前に購入した駅弁である。

 

 時間は午前八時過ぎ。昼食には早すぎるし、それに、昼食は円唐寺にて振舞われると聞いた。


 「茜、朝食抜いてきたの?」


 「いんや、たくさん食べて来たよ!」


 「へ、へえ……」


 引き気味な笑顔を浮かべる竜一を一瞬だけ不思議そうに見つめ、茜は駅弁の蓋を開けた。

 豪華絢爛幕ノ内弁当。

 弁当箱には、おかずが何種類も敷き詰められていた。

 箱の中に仕切りがいくつも作られており、その中に小口サイズのおかずが上品に添えられている。

 天ぷら、ぶりの漬け焼き、だし巻き卵、筑前煮、ちくわの磯辺揚げ、などなど。


 「うーん! おいひー!」


 茜は嬉しそうに天ぷらを頬張っている。

 

 「アハハ……それはよかった……」


 苦笑を交えつつ竜一は反応。

 その竜一の視線を受け、何を勘違いしたのか、茜は箸でだし巻き卵を掴み、そっと目線の高さまで持ち上げる。

 そして、だし巻き卵を竜一の口元まで運ぶ。


 「竜一、はい、あーん」


 「い、いや、俺はいいよ……」


 「いいから、いいから」


 「う、うん……」


 茜に押し切られ、竜一は口を開けた。

 箸が口内に運ばれ、竜一は、だし巻き卵をそっと噛んだ。


 「ん!」


 美味い! ふわふわの食感。上品かつ、深い出汁の味わい。

 

 「ね? 美味しいでしょ?」


 茜から満面の笑顔を向けられ、竜一は素直に頷いた。

 

 「うん、美味しい。ありがとう、茜」


 「どういたしまして!」


 思わず表情が緩んでしまう竜一。

 しかし、竜一の表情は一瞬にして曇る。


 ピコンッ、と携帯電話の着信音。

 もはや見なくても分かる。何故なら、後ろから無言のプレッシャーを感じるから。


 竜一の額から汗が流れた時、茜がおもむろに立ち上がった。

 茜は後ろの席に座る静に笑顔を向ける。


 「静さんも、どうぞ! 美味しいよ!」


 静は呆気に取られていた。

 茜が今、静に向けている感情は、まじりっけのない正の感情。

 

 人の機微に人一倍敏感な静には分かった。

 今、この少女は私に好意を持って接してくれている。


 何故だ?

 

 静には不可解だった。だって、この少女は明らかに少年に好意を持っている。

 その少年と私は、二人で出かける予定だったのだ。

 少しぐらい、嫉妬めいた負の感情を向けられても不思議ではない。


 「あ、こっちの方が良かった?」


 と言って、茜は天ぷらを箸で掴み、静に差し出す。

 静は、しばらく茜と天ぷらを交互に眺めてから、やがて観念したように肩をすくめた。

 包み紙にガムを吐き出し、お茶を一口飲んで、差し出されたおかずにかぶりつく。

 行儀が悪いが、静は気にしなかった。


 「……美味しい」


 「でしょー!」


 静は茜の顔を見つめながら、天ぷらを咀嚼し続けた。

 

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