50.復帰
「竜一よぉ、本当に大丈夫か?」
如月製作所二階事務所にて、そう言って竜一の身を案じたのは、この会社の社長、如月 耕造である。
四十代で白髪交じり金髪。優しさと厳しさを合わせ持つ、この会社の大黒柱。
竜一は、パソコンのキーボードを打つ手を止め、立ち上がって返事。
「はい、大丈夫です。あの……本当にご迷惑をおかけしました」
「いや、迷惑じゃねえよ。事故ならしかたねえんだ。それより俺は、お前の体が心配だよ」
耕造は心配そうな顔で竜一の顔を見つめている。
竜一は「本当に大丈夫です」と言って、頭を下げた。
菖蒲との死闘の末、なんとか命だけは繋ぎ止めた竜一。
菖蒲と戦うために竜一が発動した力は、大きな代償を伴った。
体に残ったダメージは大きかった。
昏睡状態から目覚めたあとも、竜一の体にはダメージが存在。
すぐに日常生活に戻れたわけではない。
竜一に待っていたのは、約一か月の長期入院とリハビリ。
初めの内は、手足を動かすだけでもつらかったが、化け物並の回復力で、竜一はみるみるうちに回復。
普通ならば半年以上安静が必要なほどの体の損傷であったが、竜一はその常識を覆したのである。
そして、苦しい入院生活とリハビリを終え、ついに竜一は復帰を果たした。
当然ながら、会社や学校の者達に真実を知られるわけにはいかない。
よって、竜一は、大きな交通事故に巻き込まれたことになっている。
竜一が昏睡状態の間、茜と鈴巴が、竜一の周りの者達に上手く説明してくれたそうだ。
耕造は、頭を掻いて苦笑いを浮かべながら竜一に言った。
「まあ、大丈夫ならいいんだけどよお……。なんかあったらすぐに言えよ? 人ってのはなあ、何よりも健康が大事なんだからよお」
「はい、ありがとうございます、社長」
耕造は少し何か言いたげであったが、一応は納得したようだった。
それから、竜一の背後を通過し、拳を握り腕を振り上げた。
耕造は拳骨を放った。
竜一の隣の席に座る、司に向かって。
「いてえ!」
気持ちよさそうに眠っていた司は、その拳骨で飛び起きた。
そしてすぐに状況を理解し、声を張り上げた。
「何すんだよ!? 親父!」
耕造は大きな溜息を吐いて返答。
「ここは仕事場だ馬鹿息子。働かないんなら出ていけ」
「んだよ、やることはやってるよ。それに、少し仮眠を取ってたんだよ。その方が効率がいい」
司の言う、やることはやっている、は嘘ではない。
確かに司は、すでに十分すぎる量の仕事をこなしていた。
容量のいい司は、人より何倍も早く仕事をこなすことが出来る。
だから、多少眠ったところで問題はない。まさにそんな風に言わんとしているような顔であった。
耕造は、そんな司の顔を見て拳骨をもう一発。
「だからいてえって!」
「ふん、次減らず口を叩いたら、本当に叩き出してやるからな」
としかりつけ、耕造は一階の作業場へ消えて言った。
耕造が居なくなったことを見計らい、司が口を開いた。
「クソ親父が。おい見たか竜一? 今のがドメスティックバイオレンスってやつだ」
いや、あれは言うなれば愛の鞭というやつだろう。
確かに暴力は良くないとは思うが、司が一般従業員だったのならば、本当に叩き出されていただろう。
一発レッドカードにならないのは、やはり親子の血縁ゆえではないだろうか。
そもそも、殴った方も痛いのだ。硬い頭蓋骨がある頭ならば尚のこと。
だから、あれは愛情の裏返し。自分の拳が痛むことも厭わず、耕造は道理を司に叩き込んだのだ。
最も、これは竜一の勝手な解釈であり、賛否あるだろうということは付け加えておく。
竜一は、苦笑いしながら司に返答した。
「あれは、司さんも悪いですよ」
「うっ……。竜一、お前も容赦ねえなあ」
司は渋い顔でそう返した。
そして、スッと表情を引き締め、少し声の調子を落として竜一に尋ねた。
「しかし、お前、本当に大丈夫なのか?」
「はい、お陰様で。あの、司さん、本当にありがとうございました」
竜一は司に頭を下げた。
竜一が不在の間、竜一の仕事を引き受けたのは司だ。
司には本当に頭が上がらない思いだった。
「やめろやめろ、頭なんて下げんな」
「でも……」
「いや、ホントに。お前は俺の弟みたいなもんだからな。弟をフォローすんのは兄貴の役目だろ?」
「司さん……」
思わず竜一の涙腺が緩む。
「まあ、どうしても恩義を感じてるっつーんなら、可愛い子いたら紹介してくれよ」
ニヤッと笑い、司はそう言った。
竜一の涙が引っ込む。台無しだよ。
「いや、司さん、俺なんかに頼らなくても困ってないでしょう」
「まあ、そうだが、こういうのはそういうことじゃねえんだよ。いいか? 俺は美味な料理を色々味わいたいんだよ。寿司に、小籠包に、フォアグラに、ナポリピツッツァに、色々とな。茜ちゃんの友達なら、可愛い娘いるんじゃねえの?」
竜一は改めて思う。
本当にクズだこいつは。
女関係は本当にだらしがない。
それ以外の部分は尊敬できるだけに残念でしょうがない。
プラスマイナスゼロ。そこからプラス友情ポイントでギリギリプラスに位置しているような先輩。
竜一はこの瞬間、司のことをそう評した。
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夕方から授業のある竜一は、早めに退社する許可を貰っている。
竜一は、事務所にいる先輩達に「いつもすみません」と挨拶し、職場をあとにした。
先輩達は「いってらっしゃい」と気持ちの良い笑顔で送り出してくれた。
優しい先輩方に救われているな、と竜一は改めて感想を浮かべ、学校へと向かう。
季節は夏。日の入りの時間は遅く、まだ外は明るかった。
夕方でも気温は下がらず、竜一の額にはうっすらと汗が滲んでいる。
シャワーでも浴びたい気分であったが、そんな時間はない。
学校行きのバスを一つ逃すと、授業に間に合わない。
夕方からは、バスの本数が少なくなるのだ。
それでも、今から乗ろうとしているバスが出発するまでには、まだ少し時間があるので、竜一は特別急ぐこともなく歩みを進めていた。
大通りに出るため、路地を右に曲がる。
路地を曲がった先、前方約三メートルの距離に、その少女は壁に背を預けて携帯電話を触っていた。
竜一の存在に気付いたその少女は、パッと顔に笑顔を咲かせ、竜一に声をかけた。
「竜一!」
星蘭学園に通う女子高生。
外ハネしたショートカット。髪色は橙色で、瞳はアンバー。
制服姿の朽葉 茜は、右手を上げて、竜一に笑顔を向けている。
竜一は、少し不思議そうな顔をして茜に尋ねる。
「どうしたの? こんなところで」
「うん! 竜一の顔が見たくなっちゃって、会いに来ちゃった!」
とびきりの笑顔でそう答える茜。
その姿は、強烈に輝いて見えた。
竜一は、笑みを浮かべ返事をする。
「そうなんだ。言ってくれれば、こっちから会いに行ったのに」
「いいの! たまにはこういったプチサプライズもいいでしょ?」
そう言って茜は、竜一の腕に自分の腕を絡ませ、体を密着させた。
以前までの竜一であれば、この茜の行動に取り乱していたに違いない。
しかし、今の竜一は色々と成長しているのだ。
竜一は、まったく動じなかった。
慌てることもなく、抵抗することもない。
一切を茜のしたいようにさせている。
茜の笑顔を見ていると、全てを許せてしまう。
この笑顔を曇らせることはしたくないな、とそんな感情が竜一に押し寄せる。
竜一は少し困ったように笑い、茜に言う。
「そうだね、悪くない」
「うん! バス停まで送ってくね!」
「ありがとう」
傍から見れば完全にカップルであるが、そういう関係ではないことを竜一は自覚している。
では、どういう関係なのか? そう問われると難しい。
改めて考えてみる。友達、であることは間違いがない。
しかし、茜との関係は、その一言で言い表せるものではなかった。
友達以上、恋人未満という表現も何か違う気がする。
竜一にとって茜は、何よりも大事にしたい存在。恋愛感情はないが、とても強い親愛を抱いている。
言うなればこれは、家族に向ける感情に近いのではないだろうか。
竜一はそう結論付けた。そして、気になっていることを茜に尋ねた。
「何か俺にして欲しいこととかある?」
竜一のその質問には、色んな意味が含まれていた。
表に出すことはないが、茜はきっと深く傷ついている筈だ。
大好きだった実の姉に裏切られたのだ。
その失意の大きさは、竜一にもある程度は読み取れるが、当事者にしか感じえないこともあるだろう。
そう言った、茜を心配する竜一の真心が声となって飛び出したのだ。
茜は「うーん」と唸り、やがてポツリと言葉をこぼす。
「して欲しいことっていうか、残念なことならあるよ」
「えっ? ……それは何かな?」
「四六時中、竜一と一緒にいれないこと!」
竜一は、難題を叩きつけてくる茜に少し困った様子を見せるが、一呼吸し、優しく微笑んで言葉を返すことにした。
「ごめんね」
微笑む竜一の顔を見上げ、茜の頬は朱色に染まっていく。
そして、茜はハッとして声を張り上げた。
「もーう! ずるいよ、その顔は!」
そう言って茜は、竜一の脇腹を擽り始めた。
「アハハッ、ちょ、くすぐったいって!」
「ほれほれ~、ここが弱点かなー?」
「ちょっと、茜! アハハッ! や、やめ、アハハハハッ!」
竜一につられるように茜も笑う。
二人の笑う声が路地に響いた。
傍を通った若い女に不審な顔を向けられたが、竜一は気にしなかった。
構わない。誰に不審がられようと、誰に何を言われようと、この少女が笑ってくれるのなら、それでいい。
竜一の心にあるのは、その感情だけだった。




