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49.オルトシアの惨劇2

 ホテル・オルトシア十階、料亭『琴』に殺人鬼は居た。


 赤い髪をした若い男―――増河は新鮮な死体を貪り食っていた。


 旨い。こんなに旨いものは、今まで食ったことがない。

 

 死体の腹に犬歯を突き立て、肉を裂く。

 肉を丸呑みにし、更に貪りつく。

 やわらかいものが舌に触れる感触。

 それは、水気を多く含んだ臓器だった。

 臓器もまた美味だ。これはやみつきになてしまう。


 増河は、口元と服が汚れるのを全く意に介することなく、床に倒れる死体に噛みついている。

 その様は、完全に常軌を逸している。

 飢えた野犬が、道端に転がる動物の死骸を喰いあさるような、そのような光景であった。

 

 一心不乱に貪り食らう増河であったが、食事を止めざるを得ない事態が発生。

 

 地震発生。

 大きい。中規模程度の地震。

 

 そう思ったが、即座にその考えを否定。

 

 来たか。


 増河は知っていた。これは恐らく、自分を退治しようと放たれた、刺客の仕業。

 

 殺してやる。


 食事を邪魔する者は、何人たりとも許すわけにはいかない。

 増河の心を埋め尽くすのは、怒りの感情のみ。


 増河は立ち上がり、走り出した。


 「殺してやるううううッ!」


 唾液を飛ばしながら、ドタバタと駆けた。

 料亭から飛び出し、廊下を駆け抜ける。

 滅茶苦茶なフォームだが、その走る速度は人の域を超える。

 

あっという間に廊下の端に到達。

 つきあたりを左に曲がり、少し進んで階段に足をかけた。

 

 飛び跳ねながら階段を下り、九階に到着。

 そこから、前方へと飛び出した。


 その時、増河は異変を感じた。


 突然、体のバランスが崩れ、前に突っ伏してしまった。

 うつ伏せに倒れ、顎で床を引きずりながら少し前進。

 

 何だ?


 立ち上がろうとするが無理だった。

 何故なら、両膝より下が無くなっていたから。


 驚愕した。突然起きた異常事態。

 焦る増河の耳に声が聞こえた。


 「よくやった、怜君」


 「いえ」


 怜は血で汚れた刃を一振りし、血を払った。

 そして、鞘に刃を収めた。

 

 桐也は、床に突っ伏して動けなくなった増河に近付いた。

 腰を落とし、増河と目線の高さを合わせる。


 「どうも、こんにちは。私は朽葉 桐也という者だ。出来る事なら話し合いで収めたいのだが、どうかな?」


 落ち着いた口調で紳士的な態度の桐也。

 増河の返答は、桐也の態度と真逆のものだった。


 「ごろじでやるうううううッ!」


 真っ赤な瞳を見開き、口から唾液を飛ばしながら叫ぶ増河。

 その相貌は、完全に正気を失っていた。


 それでも桐也は、諦めずに続けた。


 「まあ、落ち着きたまえ。まずは、君の目的を教えて欲しいのだが―――」


 その瞬間、増河の身に変化が起きた。

 顎が大きく外れると同時に、口から何かを吐き出した。


 桐也は驚異的な反射速度で反応した。

 右手の甲でガード。顔面への直撃は免れた。


 そして右手に違和感。

 桐也は自分の右手を確認。


 「これは……糸?」


 右手には糸が巻き付いていた。細く強靭。かつ粘着力のある糸であった。

 

 なるほど、この糸で死体を天井に張りつけたのか。

 

 と、右手に巻き付いた糸をしげしげと眺める。

 その桐也の表情には、全くといっていいほど危機感は浮かんでいない。

 

 桐也が糸に気を取られている間に、増河の身にまた変化が起きた。


 増河の背中が大きく盛り上がる。

 ボコッと盛り上がった直後、破裂。

 背中から異物が飛び出した。


 その異物は、節足動物の脚であった。

 硬質で無機質な昆虫の脚が八本、背中に生えた。

 その脚は黒く、大きい。人の脚より太く、そして長い。

 

 増河は仰向けに裏返った。

 昆虫の脚が下になり、その脚で増河の体を持ち上げる。


 増河の顔が時計の針の如く、百八十度回転。

 腹は上を向いているのに、顎は下を向いているという奇妙で不気味な姿となった。


 これには流石の桐也も驚いた。


 「驚いたなあ」


 と桐也は呟く。

 これ程までに異形の血が濃い変異種は珍しい。

 変異種は外見的特徴を変化させることは出来ない、というのが通説だが、何事にも例外はあるということか。


 「桐也殿」

 

 怜は刀の柄を強く握り、桐也に目配せをした。


 「ああ、分かっているよ。これはもう―――」


 桐也が言葉を言い終わる前に、増河は動いた。

 その行動は、桐也の予想に反していた。


 増河は、昆虫の脚を使って床を蹴り上げ、後方に飛んだ。

 そしてすぐに方向を変え、そのまま、桐也と怜から逃げ出した。

 

 八本の昆虫の脚が素早く稼働。

 カサカサと音を鳴らし、床を滑るように駆けていく。

 その速度は、人の走力を軽く上回る。

 

 あっと言う間に桐也と怜から遠ざかる。


 増河は考えた。相手が二人では分が悪い。

 殺してやりたくてしょうがないが、一旦引こう。そして陰から襲い掛かり、一人ずつ殺していけばいい。

 増河は正気を失った顔を邪悪に歪めた。


 遠ざかる増河の背を見つめ、桐也は言う。


 「あれはもう、人の話が通じる状態じゃないね。怜君、頼めるかな?」


 「承知しました」


 怜は静かに動いた。

 床を蹴り上げる。


 怜の体が加速。

 一秒で増河に追いつき、コンマ一秒で刀を抜き、そこから更にコンマ二秒で増河の体を両断。


 飛び散る血しぶき。

 増河は尻から頭にかけて、体の正中線を切り裂かれた。

 体が縦に割れる。

 血液が床や壁に飛散。臓物が床に転がる。

 

 増河は完全に息絶えた。


 桐也は小さく拍手しながら怜に近付いた。


 「素晴らしい」


 怜は無言で軽く頭を下げた。


 死体を一瞥し、桐也は周囲を見回した。


 「うーむ。それにしても、もう一人はどこだろうか? 近くに居る筈なんだが」


 殺人鬼は二人。一人は増河。その増河は今、死んだ。

 もう一人は西川。茶髪で壮年の男だ。


 ホテルエントランスホールで感じた反応から、この近くに居る筈なのだが。

 どこか遠くに行ってしまったか。


 そう考える桐也の視界の端に、動く影が見えた。

 桐也は九階廊下の窓から外を眺める。


 「あちゃー」


 西山を見つけた。

 西山は外に居た。エントランスへと通じる一階広場を駆けている。

 方向は、ホテルの入り口とは逆。

 つまり、逃げ出そうとしている。


 逃げ切られると面倒だ。

 桐也は軽く息を吐いて動いた。


 階段に近付き、手すりを握る。

 手すりは、いとも簡単に引っこ抜けた。


 桐也は引っこ抜いた鉄の手すりを眺め「少し長いか」と呟いて、箸を折るような調子で、簡単にポキッと折った。

 長さ約一メートルの鉄の棒が、桐也の手に握られた。


 それから桐也は、裏拳で窓ガラスを叩き割る。

 遮蔽物を排除。


 桐也の体に力が溢れる。

 鬼神の如く剛力を顕現。


 息を吸い、呼吸を止める。

 鉄の棒を槍投げの要領で構え、体を極限まで捩じる。

 しなやかな筋肉が軋み、限界まで力を溜め込む。


 「ハッ!」


 と叫びを上げ、溜め込んだ力を開放。

 筋肉が緩むと同時に、鉄の棒が放たれた。


 風を切る轟音。

 ソニックブームが発生。


 鉄の棒は音速の速度で飛び、標的を正確に射抜いた。


 西山の頭部に直撃。


 爆音が響き、莫大な力が西山に襲い掛かる。

 鉄の棒は、西山の頭部を粉々に砕いた。

 血液や脳漿、頭蓋骨の破片がそこら中に飛び散り、鉄の棒は、コンクリートの地面に突き刺さった。


 鉄の棒は地面に突き刺さったまま激しく揺れ動き、その揺れが収まらぬ間に、頭部を失った西山の体が崩れ落ちた。


 西山の体は腹を地面に打ち付け、そして永遠に動かなくなった。

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