48.オルトシアの惨劇1
ホテル・オルトシアは、国内屈指の格式と伝統を誇る高級ホテルである。
都市部から少し離れた位置に聳え立つそのホテルは、屋上にヘリポートつきの高さ十五階建ての建物だ。
ホテル敷地には、日本庭園を思わせる広大な庭が広がっており、雑誌やテレビで度々紹介されるほどの美しい景観をしている。
そのホテルにて、立食式のパーティーが開かれたのは、本日十六時。
パーティーに出席した面々は、政治や経済の世界で重鎮といわれる者達。
パーティー会場の垂れ幕には、経済再生促進委員会主催官民共同懇親会第十五回、と書かれていた。
会場内には正装した者達で溢れ、細長いテーブルの上に置かれた料理を手に取り、和やかに談笑をしている光景がそこにはあった。
会話から漏れ聞こえてくる内容に耳を傾けてみれば、何処かの土地に大規模な工場を建築するため、官民共同で事業を進めていこう、というような内容であった。
つまりは、経済活性化のため、人と金を誘致しようという目的であろう。
そして、真っ白な髪をした六十代と思われる男が壇上に上がり、何やらスピーチを始めるところであった。
口から発せられるのは、特に面白みのない挨拶の言葉であったが、会場の人々からの注目度が高いのは、この者の地位の高さ故なのか。
事件が起きたのは、まさにこの時である。
壇上で平坦な口調で延々と語る男に、近づく人影があった。
それは、ウェイターの恰好をしたこのホテルの従業員だ。
赤い髪を整髪料で固めた若い男である。
その赤髪の男が、何を思ったのか、壇上で挨拶する白髪の男の真横にまで近付いたのだ。
会場内に戸惑いの声が上がる。
白髪の男は怪訝な表情で「君、何かね?」と尋ねた。
その声音には、赤髪の男を非難する色が含まれていた。
赤髪の男は、その質問には答えなかった。
その代わりと言わんばかりに取った赤髪の男の行動には、この会場の誰もが目を疑った。
赤髪の男は、白髪の男の首筋に嚙みついたのだ。
白髪の男は「えっ」と口から言葉を漏らし、血管から血を吹き出しながら、白目を剥いて崩れ落ちた。
会場は静まり返った。
突然起きた異常事態に、誰もが目を見張り、理解が追いつかない。
赤髪の男は、死体となった白髪の男には興味を失ったようで、会場の者達の方へ顔を向けた。
虚ろな赤い瞳に、感情を失ったような相貌。口元にべったりと血を纏わせ、男はゆっくりと歩き出した。
そこでようやく、会場の者達は動き出した。
あっと言う間に阿鼻叫喚が巻き起こる。
絶叫と怒声が飛び交い、皆、一斉に会場の出口へと駆けだした。
頭のいかれた殺人鬼から逃れるために、会場の者達は我先へと走る。
先頭の者が出口の扉に手をかけた時、絶望の声を上げる。
「開かない!」
両開きの扉は、全力で押してもビクともしない。数人がかりで試してもそれは同様であった。
会場の空気は、混沌の形相を呈していた。
絶叫する者、泣き叫ぶ者、怒りを爆発させる者。
ありとあらゆる負の感情が、あちこちで爆発した。
しかし、その感情の爆発は次第に小さくなっていった。
赤髪の殺人鬼が、会場の者達の生命を奪っていったのだ。
殺人鬼は次々に、この場に居る者達の首筋に噛みついていった。
殺人鬼に殴りかかる者もいたが、殺人鬼は全く動じなかった。
椅子で頭蓋を殴っても、ナイフやフォークで首を刺しても、ダメージを受けた様子を見せない。
更に絶望が発生。
殺人鬼がもう一人増えたのだ。
その者もウェイターの恰好をしていた。茶色の髪をした壮年の男だ。
その茶髪の男も赤髪の男と同様に、会場の者達の首筋に噛みついて行く。
二人の殺人鬼は、次々に死体を増やして行く。
会場に敷かれた灰色の絨毯に、赤い染みが広がっていく。
そして会場は、殺人鬼の殺戮会場と化した。
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
天染家と朽葉家の元に要請が入ったのは、事件発生から二十六時間後。
ホテル・オルトシアにて、人質を取った立てこもり事件が発生。
犯人は二人。両方男。
犯人は、どちらもホテルで働く従業員で、氏名と年齢、外見の特徴は次の通り。
増河 俊樹、二十八歳。髪は赤で、標準的な体系。
西山 正孝、四十二歳。髪は茶色で、細身で長身。
どちらも勤務態度は良好。凶行に及んだ動機は不明。
と、表向きそのような形で報道されている。
犯人の個人情報は真実であったが、それ以外の事件に関する報道は、真実とはかけ離れているものだった。
裏のルートを通じ、天染家と朽葉家には、ありのままが伝えられた。
両家に伝えられた事件の内容は、実際に報道されているものと大きく違う。
その内容は次の通り。
犯人はパーティー会場の参加者を皆殺しにし、それに飽き足らず、ホテルの従業員、滞在客を片っ端から殺して回ったのだと言う。
犯人の凶行を目撃した従業員は、命からがらホテルから脱出することに成功。
そして、すぐさま警察に連絡した。
駆け付けた警察の部隊は、突入を試みるも、犯人に返り討ちに合い全滅。
ホテル内はもぬけの殻となり、犯人の二人は、目的もなくホテル内をうろつき回っているとのこと。
厳格な警備と報道規制が敷かれる中、ホテル・オルトシアの正門前に一台の車が到着。
その黒塗りのセダンタイプの高級車から降り立ったのは、二人。
一人は片瀬 怜。
二十代中盤の女。背は高く、凛とした佇まいで、ポニーテールの紫紺の髪。
切れ長の目。瞳は赤。
そしてもう一人は、朽葉 桐也。
細身だが、しなやかな筋肉を纏う四十代の男。
端正な顔立ち。短髪で、髪色は橙。
瞳はアンバー。
事件収拾のため、天染家からは怜が、朽葉家からは桐也が派遣されたのである。
紺色のジャケットの皺を伸ばし、グレーのネクタイを締め直しながら、桐也は口を開いた。
「よし。それでは行こうか、怜君」
ビジネスマンのような出で立ちをして、紳士的な口調で怜に声をかけた桐也。
怜は冷静に返答。
「はい」
怜の恰好は、淡いピンクのワイシャツにグレーのスラックスといったいつもの恰好。
傍目から見れば、桐也と怜の恰好は、営業に向かう二人組に見えなくもない。
だが、これから行う仕事は、通常のビジネスマンとは大きく乖離したものだ。
これから行う仕事は、荒事の一言に尽きる。
凶行に及んだ二人組の制圧。しかも、高い確率で殺害する必要が出てくるだろう。
歩を進めながら怜は考える。
おそらく犯人の正体は変異種だ。
稀にいるのだ。突然目覚めた力に溺れ、飲み込まれる者達が。
人を越えた力を得たことで、圧倒的な全能感に酔いしれ、このような凶行に及んでしまったのであろう。
自身を見失い道を誤った者達であるが、腐っても変異種。
並みの人間では太刀打ち出来ない。
目には目を、歯には歯を、化け物には化け物の理屈で、怜と桐也が派遣されたのである。
怜と桐也は、ホテルの自動ドアを通過し、エントランスホールに侵入。
ホテル内は静寂に包まれていた。
「ふーむ」
桐也は顎を擦りながら、周囲を見回した。
ホテル内は散々な荒れようであった。
引っ繰り返った椅子や机、粉々に砕けた花瓶、滞在客の物と思われる荷物が散乱していた。
そして、大理石の上にはそこら中に赤いシミが広がっている。
遠目に見ると何かの模様に見えるかもしれないそのシミは、人の血液だ。
桐也は不思議に思った。
これだけ人の血が飛び散っておりながら、死体が一つも見当たらない。
ここで殺人鬼に襲われた者達は、怪我を負いながらも上手く逃げ出せたということだろうか。
それとも、殺人鬼が死体を何処かへ運んだとでもいうのか。
まさかな……。
と思う桐也の頬を、何かが掠めた。
「んん?」
桐也は自分の頬を指先で触る。
ぬめっとしたものが指先に付着した。
指先を確認。
指先は真っ赤に染まっていた。
「これは……血?」
このホテルは、三階まで吹き抜けの造り。
天井の位置は高い。
故に気付けなかった。
桐也は天井を見上げる。
天井には、幾人もの死体が張りつけられていた。
「ほう……」
あまりにも猟奇的な殺人現場であったが、桐也に臆した様子は微塵もない。
それは怜も同様であった。
「桐也殿、これは……」
「ああ、随分と悪趣味なことだ。殺人鬼のいかれ具合は十分理解したよ」
天井に張りつけられた死体。
これに何の意味があるのかは分からない。それ故に、いかれた殺人鬼以外にこんなマネをする者はいないだろう。
それに、こんな芸当が只の人間に出来るとは思えない。
「あれは……糸か?」
目を凝らすと、死体の手足と首に光る筋のような物が見えた。
死体は糸で天井のヘリに張りつけにされている。
「桐也殿、如何しますか?」
怜は桐也に判断を仰いだ。
桐也は冷静に返答した。
「そうだねえ……ふーむ」
ホテルエントランスホールには殺人鬼の姿は見えない。
このホテルは十五建て。更に、横にも長い。
隅々まで探していたのでは、時間が掛かりすぎる。
以上を踏まえた上で、桐也は行動を起こした。
桐也はゆっくりと歩き出し、太い柱にそっと手を添えた。
桐也の身に変化が起きた。
強烈な殺気。
圧倒的な気迫。
赤く染まった皮膚から立ち上る煙。
朱色に変化した瞳を見開き、掌に力を込める。
掌底。その直後、大きな揺れ。
ホテル内の備品が揺れ動き、床に散らばっていた滞在客の荷物が床を転がる。
地震が起きたかのような大きな揺れに、怜は戸惑いつつも冷静に思考した。
今、行動を共にしているのは朽葉 桐也だ。
長い年月をかけて、異形の力を研ぎ澄ませてきた純粋種の家系。
桐也はそれに属する存在。
その力は、完全に人の領域の外。
人が造り上げた建築物など、破壊しようと思えば造作もなくやってのける。
おそらく、桐也が先程放った掌底は、かなり力をセーブした筈だ。
そうしなければ、柱は粉々に砕け散ってしまう。
怜がそう考えている間に、桐也は仕事をこなした。
目を閉じて、柱に添えた掌の神経に集中。
掌に伝わる振動から、情報を読み取る。
「動いたね」
桐也は、そう言って怜に向き直る。
「さっきの揺れで、殺人鬼が慌ただしく動いたよ。お陰で、奴らの凡その居場所を特定できた」
桐也は揺れを起こし、殺人鬼を炙り出した。
殺人鬼が慌てて動いたことで、殺人鬼の足音は大きくなる。
桐也は掌の神経をソナー代わりにして、その足音の震源を探知したのだ。
怜は規格外の実力者である桐也に称賛を述べる。
「お見事です」




