47.戦いのあとに
朽葉 菖蒲の出奔は、すぐさま裏の世界に知れ渡った。
そして、様々な憶測が飛び交う。
それは、菖蒲の出奔の理由について。
朽葉家の体制が気に入らなかっただとか、協力関係にある天染家を恨んでいただとか、様々な憶測と噂話が飛び交ったのだ。
ゴシップネタで賑わうのは、表も裏も同じであるということだろうか。
茜は真実を知っている。
菖蒲は茜のことを恨んでいた。とてもとても恨んでいた。実の妹を殺そうとするほど恨んでいた。
しかし、茜はその悪意に気が付かなかった。
いや、それは違うのかもしれない。
気が付かなかったのではなく、気付きたくなかっただけなのかもしれない。
築かれてきたと思っていた姉妹の絆が、大好きだった姉への情が、茜の眼を曇らせていたのかもしれない。
そして、それを無理やりに気付かされた。
本当に、最悪の形で気付かされた。
茜は考えを整理する。
恐らく、ワン・ジーウェンに茜の殺害を依頼したのは菖蒲だ。
竜一の魅了の影響下に入り、平常心を失った茜の様子を菖蒲は感じ取った。そして、行動に移したのだ。
しかしそれは失敗に終わる。
菖蒲は考えた筈だ。何故失敗したのか。どうすれば成功するのか。
そして菖蒲は結論を出した。
茜を討つには、まずは周囲の者達を蹴散らさなければならない。
そのため、天染家を煽り、邪魔な鈴巴を失脚させるよう仕向けた。
何度繰り返すつもりだったのかは分からないが、おそらくは、鈴巴が完全に失脚するまで続けるつもりだったのだろう。
それと共に、どこかで竜一を殺すことも考えていた筈だ。
そして、邪魔者を一掃した暁には、満を持して茜を殺害する腹積もりだったと思われる。
しかし、その計画は全て崩れ去った。
一人の少年によって。
茜はその少年に感謝している。本当に心の底から感謝をしている。
どれほど感謝すればよいのか分からないぐらい感謝し、それと同じぐらい愛してる。
この愛を表現するのは難しい。この愛を図る定規を自分は持ち合わせていない。
それ故に、とても大きな罪悪感が胸の内に溢れ出る。
私は、そんな愛しい人を傷つけてしまった。厳密には、私が直接傷つけたわけではないが、だが、それでも、深く後悔し強烈な無力感に苛まれる。
私のせいだ。私が弱いから、私が無力だから、姉の悪意を全て、あの少年は引き受けたのだ。
茜は強く願った。
もう、私は逃げない。私は姉と立ち向かう。もう二度と逃げないと誓う。
だからどうか……神様……。
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菖蒲が朽葉家を出奔してから一瞬間が経った。
竜一は未だ目覚めない。
竜一の強靭さと回復力は、人の領域を大きく上回る。
それでも、竜一が受けたダメージは甚大。
命があるだけでも奇跡といえた。
茜は、病院のベッドで眠る竜一の顔を見つめ続けていた。
ベッドの脇に設置された丸椅子に座り込み、茜は只々、祈った。
窓から入り込む風は湿り気を帯びており、微かに新緑の香りが混じっていた。
雲が流れ、強い日差しが病室に降り注いだ。
茜は竜一が眩しがらないようにカーテンを閉めた。
そして、この広い個室を見回す。
この個室は、鈴巴が用意したものだ。
鈴巴のコネと財力で、出来得る限りの治療を施し、出来得る限りの処置をした。
出来得ることは全てやった。他に出来る事と言えば、ただひたすらに祈り続けることだけ。
だから、茜は祈り続ける。目を閉じて、両の手の指先を絡め、ひたすらに念じ続けた。
病室の扉が開く音が聞こえた。
その後、足音が近づいてくる。
「茜」
名前を呼ばれ、茜は目を開けた。
「鈴巴」
茜は鈴巴の名をポツリと呼び、鈴巴は言葉を返した。
「茜、少しぐらい眠ったほうがいいわ」
「……うん」
茜は静かに返事して、視線を落とした。
鈴巴に頷いてみせたが、とてもそんな気にはならない。
「茜」
また鈴巴に名を呼ばれ、視線を鈴巴に向ける。
「……なに?」
「ごめんなさい」
鈴巴は深く頭を下げた。深く頭を下げ、そのまま動かなかった。
茜は尋ねる。
「何?……急に」
鈴巴は頭を下げたまま、茜に告げる。
「私は薄々、漆黒の騎士の正体に気付いていたわ。私を退けるほどの膂力、そしてあの体格とあの赤煙。確信は得られなかったけれど、そうではないかと薄々感づいていたの。それでも尚、私は貴方に協力を申し出た。その結果、貴方を深く傷つけてしまった。だからこれは、その謝罪。謝っても許してもらえるかは分からないけど……これが私の気持ち」
茜は立ち上がった。
それから、鈴巴の肩にそっと触れ、鈴巴に言った。
「頭を上げて、鈴巴」
頭をゆっくりと上げる鈴巴に、茜は続けて言う。
「謝る必要はない。悪いのは私。それに、鈴巴は私を信じてくれたんでしょ? だって、鈴巴には、お姉ちゃんの独断なのか、朽葉家の総意なのか判断できなかった筈。それなのに、私に協力を求めた。私が、朽葉家の意を受けて裏切る可能性もあったのに。それって、私を信じてくれたからだよね? 私を朽葉家の人間としてではなく、朽葉 茜という個人として見てくれた」
「それは……」
「だから、私は鈴巴を恨まない。そもそも、私に誰かを恨む資格なんてない」
鈴巴は茜の手を両手で包み込んだ。
それから、茜に自分の意志を伝えた。
「茜、もう自分を責めるのは止めなさい。それをしても、泉谷君は喜ばない。それは、貴方も分かっているでしょう?」
茜は黙り込んだ。
そして、茜は返答出来なかった。
茜の瞳から涙がこぼれた。
鈴巴は両腕で茜の体を抱いた。
強く強く抱きしめた。
茜の涙は止まらない。
鈴巴は赤子をあやすように茜の背中を優しく叩き続けた。
二人は、しばらくそうしていた。
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静寂に包まれた病室。
茜は病室に設置された時計の針を確認。
時刻は午後九時を回っていた。
今日はもう帰らなくては。
鈴巴に注意されたばかりだ。自分を責めて、ずっとここに張りついてても、竜一は喜ばない。
この少年はいつだって、私のことを思ってくれた。
もし、竜一が起きていたのだとしたら、きっと私を諫めただろう。
何というだろうか。
台詞自体は分からないが、その光景がすぐに浮かび上がる。
その光景を思い浮かべ、茜はクスッと笑う。
そして、竜一の寝顔を見つめる。
竜一の顔にグッと自分の顔を近づける。
確かに、呼吸音がした。そこにあるのは、人の温もり。まだ竜一が生きているという確かな証拠。
今の茜にとっては、その証拠こそが、自分の生きる活力。
竜一が生きていることこそが、自分の生きる希望。
再び、竜一が起き上がってくれることが、再び、竜一と会話することが、再び、竜一と笑い合うことが、私の望みであり、私の生きる理由。
そう思うと同時に、また少年への思いが溢れた。
もう押しとどめておくことは出来なかった。どうしても無理だった。
茜は自分の唇を竜一の唇に重ねた。
これはずるいことだ。
無防備な相手に、こんなことをするのは、恥ずべき行為だ。
それは分かっている。
「ごめんね……」
そう呟き、竜一の手を握る。
強く握り、竜一の熱を感じ取った。
また明日生きていけるように、また明日笑って過ごせるように、茜は竜一の熱を自分の掌に植え付けた。
そして、名残惜しいがとうとう時間がやってきてしまった。
帰らなければならない。
茜は竜一の手をもう一度強く握った。
そして、手を放そうとした瞬間、違和感を感じた。
「……えっ……りゅう……いち?」
竜一の指先が動いた。
僅かだが、確かに動いたのだ。
「竜一!」
茜は叫んだ。必死になって叫んだ。
その瞳には涙が滲んでいた。
竜一は闇の中から目覚めた。
何が切っ掛けだったかは分からない。
ただ、誰かに呼ばれたような気がした。
誰かに求められたような気がした。
竜一は薄目を開けて、自分を目覚めさせてくれた少女の姿を見た。
少女は泣いていた。大粒の涙をこぼし、嗚咽を漏らしていた。
竜一は思った。
ああ、また泣かせてしまった。
それだけは駄目なのに、自分はまたそれをさせてしまった。
竜一は、ひどく擦れた声で、茜に話しかけた。
「泣か……ないで……」
微かに笑い、茜に手を伸ばした。
茜の頬に触れ、優しく撫でる。
それでも茜は泣き止まなかった。
瞳から涙が溢れ続け、流れ続けた。
竜一は茜に微笑んで見せた。
そして、考えてみることにした。
どうすれば、その涙を止められるのだろう。
これで二章は終了です。ここまで読んで頂きありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。




