45.再戦8
ゆらゆらと立ち上る煙。
菖蒲の体から上る煙を見つめながら、竜一は今更ながら気付いた。
そうか。あの鎧の赤煙は、この煙を誤魔化すためのもの。
全身に纏った鎧と合わせて、正体を隠すためのものだったのだ。
そして、その正体は明らかとなった。
故に、菖蒲は目撃者を全て殺さなければならない。
竜一はそう考えた。
望むところだ。
こっちも殺す気でいく。そうしなければならない。
手を抜けば、確実に殺される。
それは、自分だけじゃない。茜も怜も張も、みんな殺される。
竜一は菖蒲を睨み、構えを取る。
竜一が動き出そうとした瞬間、菖蒲の姿が消えた。
そして、音もなく竜一の正面に出現。
菖蒲は右拳を竜一の腹に突き入れた。
轟音と衝撃。
人間の領域を遥かに超えた、菖蒲の拳の威力。
だが、今の竜一ならば耐えられる。
竜一は動じなかった。
菖蒲の拳は、今の竜一には通らない。
竜一は、お返しとばかりに、菖蒲に右拳を放った。
絶大な威力である筈の竜一の拳。
しかし、その拳もまた、菖蒲には通らない。
竜一が殴る。菖蒲が殴る。竜一が蹴る。菖蒲が蹴る。
竜一の頭突き。菖蒲の膝蹴り。竜一の回し蹴り。菖蒲の肘打ち。
剛腕と剛力。殺意と憎悪。意地と意地がぶつかり合う。
隙を見て竜一は、菖蒲の顔面に拳を突き入れた。
菖蒲はそれを躱し、素早く動いた。
菖蒲は突き出された竜一の手首を握り、自分の体に引き寄せる。
そして、右肘を前に突き出し、竜一の顎へ向けて叩き込む。
「―――ぐっ」
直撃を許し、竜一の口から呻き声が漏れた直後、菖蒲は更に動いた。
菖蒲は左手で竜一の手首を掴んだまま、自分の右肘を竜一の首に押し込む。
そして、踵を竜一の膝裏に押し込み、竜一のバランスを崩した。
バランスが崩れた竜一は、仰向けの状態で床に倒れ込む。
「くそッ―――」
竜一は即座に起き上がろうとするが、菖蒲は竜一の手首を起点に捻り上げ、関節を極める。
「ぐあっ!」
完璧に極まった菖蒲のサブミッションは、竜一の関節を外し、靭帯を損傷させ、骨にひびを入れた。
竜一は自由が利く左腕で反撃。
仰向けの体勢のまま、腕の力だけで拳を振り抜く。
菖蒲は後方に跳ね、竜一の拳を躱す。
竜一は立ちあがり、再び菖蒲を睨む。
関節が外れ、激しく損傷した右腕のことは、少しも気にしなかった。
これで右腕は使えなくなったが、どうでもいい。
まだ体は動く。なら、それでいい。
それで十分。
竜一は己の奥底にある力の源泉に対して、要求を突きつける。
もっとよこせ。もっと、俺に力を。
「行くぞッ!」
竜一の突貫。
正面の敵を粉砕せんと、拳を振り上げる。
「単純ね」
嘲笑う菖蒲。
菖蒲は竜一の突貫を躱し、竜一の後ろに回り込む。
そして、竜一の首に右前腕を入れ、その上から左腕でガッチリとホールド。
絞技が鮮やかに極まり、竜一の頸動脈を締め上げていく。
「くっ……」
苦悶の表情を浮かべながらも、竜一は己を鼓舞する。
力をよこせ!
そして、竜一は目を見開いた。
その直後、跳躍。
竜一と菖蒲は、一瞬で天井まで到達。
天井を突き抜け、屋上まで到達。
空中に身を投げ出す竜一と菖蒲。
この時、菖蒲の腕は竜一の首から離れてしまった。
目を見張る菖蒲に向かって、竜一は全力で踵を振り下ろした。
「はあああああああああッ!」
竜一の踵は菖蒲の頭蓋に直撃。
鼓膜が裂けるような爆発音が鳴り響いた直後、菖蒲の体が弾けた。
菖蒲の体が加速。
菖蒲の体は猛スピードで落下し、三十五階の床を突き抜け、三十四階まで到達。
三十四階の床に半分体が埋まったところで、どうにか止まった。
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竜一は茜の方へ駆けだした。
しゃがみ込み、茜と視線を合わせる。
「終わったよ」
茜は涙を流しながら、掠れた声で言う。
「……ごめん……ね」
「謝らなくて大丈夫だよ」
竜一は幼児を相手にするように優しく微笑み、そっと茜の肩に触れた。
そして、竜一は次の行動を考える。
まずは怜に連絡しなくては。
怜はおそらく張と一緒に地下一階に居る。
地下一階は最終防衛ライン。安全が確認できるまでは、怜は動けない。
竜一は怜と連絡を取るため、ポケットから携帯電話を取り出すが、その瞬間、思わず声が漏れ出てしまった。
「あっ」
携帯電話は粉々に砕け散ってしまった。
それもそうか。あれだけ派手に立ち回ったのだ。無事である方がおかしい。
締まらないな、と思いつつ、竜一は茜に呼びかけた。
「悪いけど、携帯電話を借りてもいいかな?」
「……うん」
茜は素直にしたがった。奇跡的に茜の携帯電話は無事であった。
「ありがとう」
そう言って、竜一は携帯に番号を打ち込んでいく。
番号を打ち終わり、通話ボタンを押そうとした瞬間、後ろから声が聞こえた。
「もう勝った気でいるのかしら?」
竜一は指先をボタンから離し、携帯電話を茜に返した。
それから立ち上がり、後ろを振り返る。
「まだ殴られ足りませんか?」
「うふふっ。そうねえ、足りないわ。もっとよ。もっと、私にちょうだい」
蠱惑的な笑みを浮かべ、舌なめずりをする菖蒲。
竜一は再び怒りを点火させ、力を解き放った。
体はすぐに変化した。瞳は朱に、皮膚は赤に。
剛力を顕現させ、敵を睨みつける。
菖蒲も竜一と同じことをした。
体から煙を上げ、鬼神の如く覇気を放つ。
二人は同時に動いた。
拳同士が激しく打ち合う。相手の体に一発入れるごとに衝撃波が発生し、余波が廊下に駆け抜ける。
「うふふっ、愉しいわねえ、泉谷君」
「それには―――賛同できません!」
竜一の左拳が菖蒲の腹に炸裂。
菖蒲の体は後方に弾き飛ばされた。
竜一は即座に地を蹴り上げ追撃。
ここで畳みかける!
菖蒲に近付き、腰を捻り力を溜める。
限界まで腰を捻り、筋肉を軋ませ、全神経を左拳に集中。
限界まで溜めた力を開放しようとした瞬間、竜一は異変を感じた。
「―――ッ!?」
竜一の心臓が激しく跳ね、一瞬だけ体が重くなる。
そして、この隙を逃す菖蒲ではなかった。
菖蒲は左膝を竜一の腹に突き入れた。
「くっ!」
竜一の口から呻き声が漏れた。
更に竜一に隙が生まれ、菖蒲はすかさず金的を攻撃。
それから顎先に一発、鳩尾にも一発、最後に顔面へ肘を突き入れ、竜一を吹き飛ばした。
地面を転がった竜一は、即座に起き上がろうとするが、手足に力が入らないことに気付く。
「あら? もしかして限界かしら?」
「くっ……そ……」
悔しいが、菖蒲の言う通りであった。
体に負荷をかけすぎた。
そもそもの話、この朽葉の力は只人には過ぎた力。
竜一は只人の身でありながら、その力を使いすぎたのだ。
過ぎたる力は身を滅ぼす。
文字通りそのままの意味で、竜一の活動は終わりを迎えようとしていた。
「はぁ……。残念ねえ、もう少し楽しめるかと思ったのだけれど。まあ、いいわ。それじゃあ、死んでちょうだい」
菖蒲は竜一に対して興味を失ってしまった。
菖蒲の瞳には何の感情も浮かんでいない。
どこまでも空虚で昏い双眸には、何の意志も宿していない。
菖蒲は竜一の頭蓋を粉砕せんと、右脚を持ち上げた。
そして、右脚が振り下ろされる直前、竜一の前に割って入る人影あり。
「やめて! お姉ちゃん!」
それは茜であった。茜は両手を広げ、竜一を守るように立ち塞がった。
「茜、貴方はあとで相手をしてあげるから、今はどきなさい」
目に涙を溜め、震えながら、それでも茜は動かなかった。
「茜、言う事を聞きなさい」
「―――嫌だ!」
そう強く言い放った直後、茜は後ろから右肩を優しく叩かれた。
それは、すでに満身創痍である筈の竜一だった。
「俺なら大丈夫。さがってて―――茜」
「だ、だめだよ! 早く逃げて! 竜一!」
「いいや……逃げるのは……君のほうだ。片瀬さんと張を連れて……ここから逃げるんだ」
「で、できないよ!」
「それでも……やるんだ……」
「りゅう……いち……」
竜一と茜は見つめ合った。熱く熱く見つめ合った。
そこには、確かな絆があり、相手を思いやる真心があった。
しかし、それは一瞬しか許されない。
パンパンと乾いた音が聞こえ、その後に続き、菖蒲の声が聞こえた。
「貴方達、仲がいいのは結構だけれど、状況分かっているかしら?」
菖蒲は溜息を吐き、体を翻した。
そして、壁際まで歩き出し、指先を壁に突き入れた。
指先はあっさりと壁にめり込み、菖蒲はほんの少しだけ力を入れた。
壁がひび割れる。菖蒲は壁に指先を突っ込んだまま、腕を引き抜く。
埃を大量に上げながら、壁の一部が剥がされる。
菖蒲の五本の指先には、約三メートル四方の壁。
その壁の一部を指先に嵌めたまま、菖蒲は頭上に持ち上げた。
「そんなに仲がいいのなら、一緒に殺してあげるわ」
薄く笑い、菖蒲は告げる。
「茜、私いいこと思いついたわ。そこで泉谷君を守りなさい。貴方が避けたら、当然泉谷君は死ぬし、貴方が泉谷君を連れて逃げた場合は、優先的に泉谷君を殺すことにするわ。それが嫌だったら、私の攻撃を受け続けなさい。私と我慢比べよ。もしかしたら、そのうち私の気が変わるかもしれないわ」
その菖蒲の顔には、もうすでに正気は少しも存在しなかった。
瞳には狂気の色。口元は邪悪に歪み、醜悪な笑い声を廊下に響かせた。
「うふふっ、うふふふふっ、うふふふふふふふふふっ」




