40.再戦3
時刻は午前十時。
今のところ平穏。
エスペランサ月白3507号室にて。
竜一は聞こえてくる張の会話をBGMにしながら、窓から景色を眺めていた。
「そうだ。ちゃんと考えて動け。ああ、そうだ。ああ? 殺せ。ああ―――」
張はソファにふんぞり返り、タバコをふかしながら携帯電話で通話中。
さっきから物騒な単語が飛び出しているが、竜一も怜もそれに反応することはない。
通話相手は、おそらく張の部下と思われる。
怜は部屋の出入り口付近で待機中。片手に持った無線機で仲間と連絡を取り合っている。
エスペランサ月白一階外の周辺には、張の部下と鈴巴の部下がこぞって警戒態勢に当たっている。
黒いスーツを着た男達が殺気を放ちながら巡回する姿は、さぞマンションの住人達を怖がらせるだろうが、現在緊急事態につきやむを得ない。
その時、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
「特に異常なーし!」
元気の良い掛け声と共に、部屋に踏み入ったのは頼もしい味方、朽葉 茜である。
「どうもお疲れ様です、茜殿」
「あ、どうもでーす、怜さん」
茜は怜に挨拶したのち、バタバタと足音を立て、竜一の方へ近づいた。
「調子はどうですかなー? 竜一君?」
「ま、まあ、今のところは問題ないよ」
全く緊張感のない茜。
騒がしいと感じる程元気で、いつも通りすぎる程に平常運転。
まさしくこれが、茜という少女の姿。
その茜の元気な姿は他者に力を与えるが、今回ばかりは事情が違ったようだ。
「おい! 少し静かにしろ!」
と苛立つ張。
思えば張は、ここに到着した時から苛立っていた。
それも無理もない話。殺し屋に命を狙われ、雲隠れしなければならないのだ。
そして、張本人は天染家のいざこざに巻き込まれたと思っているのだから尚更。
竜一は茜がどんな反応をするんだろう、と一瞬疑問に思ったが、茜は素直な姿勢を見せた。
「ごめんなさい」
頭を下げて謝る茜の様子に、張はいくらか溜飲を下げたようだ。
「わ、分かればいいんだ」
美少女の従順な姿勢に、流石の張もそれ以上強く言えなかったようだ。
これで波乱は回避された、と思いきや、これで終わらないのが茜という少女。
茜は張の方へ近づき笑顔で言い放つ。
「でも、そんなにカリカリしててもいいことないよ。おじいちゃん」
「お、おじ―――」
マフィアの大幹部をおじいちゃん呼ばわりする茜。
絶句する張を無視して、茜は張の肩を揉み始めた。
「もっとリラックス、リラックス。肩揉んであげるから、ね?」
「む、むう……そうかい?」
張は一瞬にして茜に懐柔されてしまった。
竜一は改めて感心した。
流石は幸福を振りまく天才というべきか。
これを狙ってやっているわけではないのが余計にすごい。
こうなってしまっては茜の独壇場。
茜は竜一を巻き込み、次から次へと話題を吐き出し始めた。
「ねえ、おじいちゃん、この芸人さんたち知ってる? 最近の私のお気に入りなの」
そう言って、携帯電話を張に見せる茜。
「いや、儂には分からんなあ」
「知らない? なら絶対見るべき! この人達ねー、間の使い方がすごく上手いんだよー。ねえ、竜一君?」
急に話を振られて動揺する竜一。
この話は茜から何回も聞かされたから、竜一的には耳にタコだ。
「そ、そうだね……」
茜は竜一の返事を聞いて満足そうに頷くと、携帯電話で動画を再生し始めた。
そこに移っているのは二人組の漫才師の姿。
茜の言う通り、間の使い方が絶妙で、緩急の差で笑わせてくるタイプの正統派漫才師だった。
「ぶはっ!」
張が吹き出してしまった。
思いのほか、ツボにはまってしまったようだ。
「アハハッ、面白いでしょー?」
「ああ、面白いよ、嬢ちゃん」
茜と張の姿は、完全に孫と祖父の微笑ましい一時の様子。
この場に和やかな空気が流れ始める。
今現在、殺し屋の襲撃に備えているとは思えない空気。
ああ、このまま何事もなく終わってくれないかな……。
そんなわけはないだろう。
と、誰かの声が聞こえたような気がした。
それはもしかしたら、竜一自身の声だったのかもしれない。
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まず、風を切る轟音と機械的なモーター音が聞こえた。
一早く反応したのは茜。
「伏せて!!」
けたたましい銃声。
ガラスの窓は呆気なく砕け散り、部屋の内装は弾丸に蹂躙されていく。
7.62mm口径の弾丸が豪雨のように降り注ぐ。
銃声が鳴り止んだ時、竜一はようやく状況を把握。
敵はヘリコプターで奇襲を仕掛けて来た。
ヘリコプターに装備した機関銃を、弾丸が尽きるまで打ち続けたのだ。
土埃が上がる部屋の中で、竜一は見た。
竜一は茜に守られていた。茜は背中に鉛玉をありったけ受けても、平然としている。
「竜一君、大丈夫?」
「う、うん、俺は大丈夫。それより朽葉さんこそ無事!?」
「問題なし!」
茜はニヤッと笑って立ち上がる。周囲を確認。
木っ端みじんに破壊された家具。床や壁は弾丸の痕。
張の姿はない。
一瞬の出来事であったが、茜には見えた。
怜が即座に動き、張を連れてこの部屋を飛び出した。
おそらく、地下一階まで避難したに違いない。
今回の任務、もっとも大切なのは護衛対象の生命を守ること。
怜はいい判断をした。
ならば、自分もやるべきことをやろう。
茜は窓の外を睨む。
空中に滞空するヘリコプターから飛び出す二つの陰。
その者達は、衝撃と共にこの部屋に着地。
一人はブロンドヘアで、赤い瞳。強気な笑みを浮かべる若い男。
『金剛』ジェイミー・ブランドナー。
もう一人は、西洋の甲冑を装備した謎の人物。
小柄な体格。顔は兜で見えない。右手には薙刀。
漆黒の騎士。
まずはジェイミーの軽口。
「よう、リュウイチ、また会ったな。元気にしてたか?」
竜一は返事をしない。ただジェイミーを睨むだけ。
「おいおい、固いぜリュウイチ。そんなんじゃあ、また失敗しちまうぜえ?」
ニヤリと悪い笑みを浮かべるジェイミーに、言葉を返したのは茜。
「お兄さんが『金剛』? 本当に殺し屋っぽくないね」
「ハハッ、そうだろ? そのギャップがいいだろ? 惚れても構わねえぜ、お嬢ちゃん」
「残念だけど、私の好みじゃないかな。それに、好きな人はもういるから」
そう言って茜は、隣に立つ竜一に視線を移した。
ジェイミーは何かを察したような表情をしたのち、破顔。
「おっと、まじかリュウイチ! へー、お前もやるもんだな」
竜一はジェイミーの軽口を無視し、訊きたいことを尋ねる。
「ジェイミーさん、何故こんなことをするんですか? 一体、これに何の意味があるんですか?」
「言っただろう? 金のためだ」
「……」
そうだ、ジェイミーとはこういう男だ。
金のためならば、どんな汚れ仕事も引き受ける。依頼主の主義や主張は一切関係ない。
本来、プロとはそういうものなのだろうが、この男は一味違う。
この男は躊躇いなく、竜一を殺すだろう。
それが例え、一緒に食事をし、多少なりとも親睦を深めた相手であっても。
黙ってジェイミーを睨む竜一の肩に軽い衝撃。
「竜一君『金剛』を任せても大丈夫かな? 私はあっちを相手にした方がいいみたい」
竜一の肩に触れながら、茜は漆黒の騎士の方を見据える。
「分かった」
茜は竜一の肩を軽く二回叩いたあと、竜一に「すぐに終わらせるからね」と言い、漆黒の騎士に告げる。
「ここじゃなんだし、場所を変えるよ」
そう言って、茜は親指で部屋の外を指し示す。
漆黒の騎士は意外にも、茜の言う事を素直に聞いた。
茜の後ろを大人しくついていく姿は、王女に付き従う騎士のように見えた。
茜と騎士が退出し、部屋には竜一とジェイミーのみ。
「ジェイミーさん、一つだけいいですか?」
「いいぜ」
「お金より大切なものは、あると思います」
「ハハッ、それは何だ? とは訊かないぜ。俺にはどんな言葉も響かねえよ。俺を響かせたいのなら―――分かるだろう?」
「はい」
これ以上の会話は意味をなさない。お互い口を噤む。
構えを取り、名乗りを上げる。
「所属なし『金剛』ジェイミー・ブランドナー」
「天染家当主代行配下、泉谷 竜一」
両者、同時に前へ。




