35.束の間の休息2
星影が丘。
高級ブランド店が建ち並び、上品で落ち着いた雰囲気のスポットである。
昼食を済ませた竜一は、また散策を開始した。
今日は時間もあるし気分もいいので、普段は滅多に行かない、星影が丘に足を延ばしてみることにする。
通りには、お洒落な雰囲気のアパレルショップ。
ガラス張りのショーウィンドウ。
心なしか、通行人のお洒落度がここに来て一段上昇したような気がする。
ファッションに無頓着な竜一は、少しだけ気まずい思いをしたが、これも何かの経験だ、と気持ちを切り替え、散策を継続することにした。
綺麗な並木道を歩いていると、対面から歩いてくる二人組の会話がすれ違いざまに聞こえた。
「ねえ、今の人、モデルか何かかな?」
「分からないけど、すごくスタイルよくて、何かカッコよかったよね」
聞こえてきた若い女の会話。
別に聞き耳を立てていた訳ではないが、耳に入ってきてしまったのだ。
へー、どんな人なんだろう、と少し気になりつつ歩き続けると、すぐにピンときてしまった。
前方にて佇む人影あり。
その者は背が高く、真っ直ぐにピンと伸びた姿勢。
淡いピンクのワイシャツにグレーのスラックス。
シンプルな格好だが、とてもよく似合っている。
凛とした佇まい。どこか憂いを帯びた横顔は最早、見慣れすぎている程。
片瀬 怜が、ショーウィンドウ越しにマネキンを凝視していたのだ。
意外なところで出会うものだ、と思った竜一は、一言ぐらい挨拶した方がいいよな、と怜に向って歩き出した。
その途中、竜一は足を止めた。
怜の眼差しが、あまりにも真剣であったから。
ショーウィンドウ越しのマネキンが纏うのは、煌びやかな翠色のドレス。
上質で高級感あふれるが、着る者を選びそうな一品。
竜一は密かに、ファッションに関しては自分と怜は同類だと思っていた。
同じ括りにカテゴライズされるのは、怜にとっては不服かもしれないが、服装に関しては見た目より機能性を重視するタイプかと思っていたのだ。
だけど違ったようだ。ドレスを見つめる怜の眼差しには、憧れと切望が入り混じっていた。
視線を感じたのか、怜は竜一の方へ顔を向けた。
竜一と怜、二人の視線が交わる。
「あ、その、奇遇ですね」
竜一が遠慮がちにそう言うと、怜は答えた。
「泉谷殿。ええ……奇遇ですね」
「あのー、ショッピングですか?」
「いえ、この近くに得意先の事務所がありまして、今はその帰りです。ショッピングのつもりはありません」
ここには仕事で立ち寄っただけ。ショッピングを楽しむつもりはないという。
普段ならば、それで納得するのだが、竜一はどうしても気になった。
それは、怜の視線の先に込められた思いについて。
「片瀬さん、一つ聞いてもいいでしょうか?」
「はい、なんでしょう?」
「そのドレス、気に入ったんですか?」
怜は顎に手を置いて答える。
「気に入った、というか……きっと、よくお似合いだろうな、と思いまして」
「どういうことでしょうか?」
「はい。お嬢様がお召しになられたのなら、とてもよく映えるとだろうな、と。そのお姿を想像しておりました」
「なるほど……」
納得がいった。自分が着用することを想定していた訳ではないようだ。
やはり怜は自分と同類。
服装に関していえば、機能性さえ満たしていれば、その他は二の次。
再び訪れる親近感、と共に込み上げる感心。
怜の鈴巴に対しての深い敬愛の心を感じ取った。
「片瀬さんは、本当に天染さんのことを大切に思っているんですね」
「勿論です。お嬢様は、私の命よりも優先されるべき存在です」
きっぱりと、平然と言ってのける怜。
そんな怜に竜一は改めて感心。
「すごいですね、片瀬さんは」
「そうでしょうか?」
「はい。本当に素敵だと思います」
ニッコリと笑う竜一。竜一が怜に向ける感情は、素直な感心、敬意、称賛。
「ありがとうございます……」
怜は紅潮する頬を見られまいと、すぐさま視線を逸らし、
「それでは私は、これで失礼します」と言って軽くお辞儀をした。
竜一も怜に別れを告げる。
二人はそれぞれ歩き始めた。
そして、竜一は気が付かなかった。
怜は後ろを振り返り、竜一の背中を見つめた。
竜一の姿が完全に消えるまで、そうしていた。
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
かつて渡会が言った言葉を思い出した。
肩の荷が降りて、気が緩んでいる時にこそ、思わぬアクシデントに見舞われるもの。
唐突にその言葉を思い出した。
時刻は午後五時。
歩き疲れた竜一は、帰宅することを決めた。
繁華街には、まだ人影多数。
しかし、足早に歩を進める者の姿が幾人か。
夕飯の準備のためか、見たいドラマがあるためか、その理由は分からないが、そういった者達に影響されるような形で、竜一も気持ち歩みを早めた。
そして、交差点で赤信号に捕まる。
信号待ちする間、今日の夕飯はどうしようかな、と冷蔵庫の中にあった食材を思い浮かべる。
豚バラ肉、茄子、ネギ、味噌……。
うん、決まりだな。
今日は茄子と豚バラ肉の味噌炒めにしよう。
そんなことを考えながら、何となく視線を左前方に向けた。
立ち話に花が咲き、盛り上がっている様子の主婦と思われる二人の女。
その傍らに、小学校低学年と思われる幼女。
幼女は小さな手にカードを握りしめていた。
何かのアニメのキャラクターと思われる少女の絵が描かれており、魔法のステッキを握り、カッコよくポーズを決めている構図。
そして、大型トラックが前方の車道を通過。
大型トラックが巻き起こす突風。
その突風により、少女の手からカードが舞い上がった。
カードはひらひらと空中を漂い、車道に落ちた。
幼女は「あっ」と小さく声を漏らして、前進。
カードを拾うため、赤信号を無視し、車道に向かって歩き出した。
竜一は、そこでようやく異変に気付いた。
スピードが出ているワゴン車が少女の身に迫る。
ワゴン車の運転手は、驚愕の表情を顔に浮かべ必死にブレーキを押すが、もう間に合わない。
この瞬間、竜一は全ての事象がスローに見えた。
幼女の行動に気付いた母親が車道に飛び出そうとしている。
幼女は、目を見開いたまま動けない様子。
ワゴン車の運転手の苦悶の表情。
竜一は全力で駆け出したが、間に合わないことを確信してしまった。
後悔する。今日という日があまりにも平穏だったから、気を抜きすぎてしまった。
それ故に、反応が遅れたのだ。
あと一瞬でも反応が早ければ、間に合った筈だ。
「くそっ!」
そして、ワゴン車が幼女に衝突する、と思われたその時。
ワゴン車と幼女の間に割って入る人影あり。
ワゴン車は、その人物に激しく衝突。
バンパーが大きくへこみ、フロントガラスがひび割れ、エアバックが作動。
ワゴン車は甚大なる被害を受けた。
だが、幼女の方は無傷。
ワゴン車と幼女の間に割って入った人物は男。
その男が、ワゴン車を背中で受け止めたのだ。
普通ならばありえない。
ワゴン車の質量をその身に受けて無事な訳がない。
ワゴン車の力を受け止めれる訳がない。
しかし、その男はそれを成し遂げて見せた。
それもその筈。その男は普通ではないのだから。
一房で結ばれた長いブロンドの髪。
派手な花柄のシャツにダメージジーンズ。
顔には強気な表情。
ジェイミー・ブランドナーが、ワゴン車の力を丸ごと受け止めたのだ。
ジェイミーは、まず幼女の怪我の有無を確認。
幼女の無事を確認し、幼女を抱き上げた。
そして母親の元まで歩き出し、軽く母親に注意。
母親は、目に涙を溜めてジェイミーに頭を下げていた。
それからジェイミーは体を翻し、ワゴン車の方へ歩き出した。
潰れた助手席のドアを強引に引っこ抜き、身動きでない状態の運転手を引っ張り出した。
運転手は怪我をしているようだが、命に別状はない様子。
ジェイミーは運転手を抱きかかえると、歩道まで運び、そっと寝かせた。
それから「おい! 誰か救急車を呼んでくれ!」と叫び声を上げた。
こういう時、人は咄嗟には動けないもの。
あまりの事態に皆、茫然自失。
ジェイミーは運転手の状態を詳細に確認するため、他の者に救急への連絡を任せたかったのだが、「しゃあねえな」と言って、自分の携帯電話を取り出した。
「俺が呼びます」
ジェイミーは番号を打つ指を止めた。
視線を上げて、上から聞こえた声の方へ目を向ける。
ジェイミー・ブランドナーは、泉谷 竜一と二度目の邂逅を果たしたのである。




