32.事後処理1
翌日。エスペランサ月白、鈴巴の自室。
長方形のダイニングテーブルの一席に座り、険しい顔で鈴巴は言った。
「怜、泉谷君、今更言わなくても分かっている思うけど、今回の任務は失敗しました」
鈴巴の対面に座る怜がすぐさま反応。
「お嬢様、申し訳ありません。私の責任です。如何なる処罰も謹んでお受けします」
怜の隣に座る竜一がそのあとに続いた。
「お、俺にも責任はあります! 俺は、何も出来ませんでした!」
鈴巴は二人の意見を聞いて、目を閉じて静かに首を振った。
「いいえ。全ての責任は私にあります。責任を負うのは、上に立つ者の役目です」
「しかし! お嬢様!」
「怜、切り替えなさい。起きてしまったことは仕方がない。私達はこれから、するべきことが沢山あるわ」
組んでいた腕を崩し、テーブルに腕を乗せて鈴巴は言う。
「天染家の失態。それは、既に裏の世界の情報網に広がりつつある。歯がゆいけれど、もうどうすることも出来ない。私は、天染本家から呼び出しを受けているため、しばらく不在となるわ。依頼主と損害額の交渉。関係者への状況説明。馴染のクライアントからの問い合わせの応答。その他諸々の調整。それは怜にお願いしなければならない」
「……畏まりました」
顔を俯け、拳を強く握りしめる怜に鈴巴は言う。
「もう一度言うけれど、全ての責任は私にあります。だから、貴方達は気持ちを切り替えて、やるべきことをやってちょうだい」
そう言って鈴巴は立ち上がった。
それと同時にリビングの扉がノックされ、開かれる。
現れたのは黒いスーツを身に纏った渡会。
ピンと伸びた姿勢。優雅かつ丁寧にお辞儀する様は、老執事といった風情。
「お嬢様、準備が整いました」
鈴巴は「分かったわ」と返事して一度だけ振り返った。
「怜、泉谷君、それでは行ってくるわ。あとのことは―――、お願い」
そう言い残し、渡会を連れて部屋を退出。
海外に拠点を置くという天染本家へ向かうのだろう。
怜は鈴巴の姿が見えなくなっても頭を下げ続けた。
竜一も怜を真似て頭を下げた。
竜一は頭を下げるのが一拍遅れた。
それ故、見てしまった。
鈴巴の後ろ姿。鈴巴の拳が、壊れるぐらい強く握りしめられていることを。
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大葉子組若頭、下柳 寛二は、怒りを隠そうともしなかった。
大葉子組本部のリビングにて、ガラスの机に拳を打ち付けて罵声を吐いた。
「てめえら! ふざけんじゃねえぞ!」
バンッと大きな音が鳴り、竜一の体がビクッと反応した。
そっと隣に座る怜に目線をやるが、怜は無表情で無反応。
周囲に視線を移すと、武装した大葉子組構成員達の姿。
張り詰めた空気。返答を少しでも誤れば、弾丸の雨が竜一と怜に降り注ぐかもしれない。
怜は静かに口を開いた。
「申し訳ありません。損失の埋め合わせは、天染家が責任を持って」
「ほう? それでどうやって?」
怜は鞄から小切手を取り出し、下柳に手渡した。
その小切手には、ゼロが幾つも並んでいた。
下柳は、今まで見たこともないゼロの数に流石にたじろぐが、すぐさま鋭い視線を怜に向けた。
「分かってねえな」
小首を傾げる怜。
「はい?」
「俺達はメンツを潰されたんだ。金で済む話じゃねえ。それは、アンタも分かってんじゃねえか?」
「それは……」
怜は下柳の言い分を理解している。
下柳の言う通りだ。裏世界に身を置く者として、それぐらいは分かる。
裏の世界でもっとも大事なもの。それは力だ。荒事前提の裏世界では、何よりも力が物を言う。
経済力でも、権力でも、権威でもない。
他を屈服させる圧倒的な暴力。それさえあれば、他は後からついてくる。
何者からも侮られることもなく、万人から畏怖される存在。
力の象徴。それが目の前の暴力団であり、天染家である。
今回の失態で、両者は力を失った。
実態はさておき、他者からはそう見られる。
それは、途轍もなく大きな痛手。特に、天染家にとっては想像を絶するほどの。
長い歴史をかけて紡がれてきた豪勇、勇猛、蛮勇、武勇。
それらを汚してしまった。
怜が静かに尋ねた。
「それでは……どうすれば?」
下柳は答えた。
「アンタだ」
「……はい?」
「アンタが補填しろ。俺の手足となって働け」
「期限は?」
「さあな、知るかよ。俺がいいと判断するまでだ。一年か、十年か、あるいは……一生か」
下柳は軽薄に笑った。
怜は無言で下柳を見据える。
そして、隣の竜一に視線を移し、静かに口を開いた。
「泉谷殿、どうかお嬢様のことをお願いします」
竜一は声を荒げる。
「だ、駄目ですよ! そんなこと! まずは、天染さんに判断を仰ぎましょう!」
カチャッと音が聞こえた。
竜一は顔を固定したまま視線を左上に向けた。
銃口が竜一のこめかみに突き付けられている。
「黙ってろ、ガキが」
感情の薄い目をした、大葉子組構成員。
その者が、竜一に銃を向けている。
竜一は動けなかった。
これは脅しではない。妙な真似をすれば、躊躇いなく引き金が引き絞られるだろう。
下柳は鼻を鳴らし、小切手をひったくった。
そして怜に言う。
「決まりだな。しっかり働いてくれよなあ」
厭らしく笑う下柳。
怜を見るその目に、邪な意志がありありと溢れていた。
なるほど、これがこいつらのやり方か。
転んでもただでは起きない。強かと言えばそうなのだろ。
だけど、竜一には我慢ならなかった。
こっちは、法外な金額を手渡すと言っているんだ。
そもそも、任務が失敗した時の罰則は取り決めていない。
契約書にはそんな決まりごとはなかった筈だ。
困ってるのは、こっちも一緒なんだ。
竜一は立ちあがった。拳を握りしめ、目を見開いた。
即座に銃声が聞こえた。鼓膜に爆音が響き、耳が痛む。
空薬莢がフローリングの上にこぼれた。
今のは大葉子組構成員が放った弾丸。威嚇発砲。次は外さない。感情の薄い双眸に、そういった意志が現れている。
竜一は怜の手を掴み、立ち上がらせた。
「片瀬さん、行きましょう。これ以上は、付き合ってられません」
怜は竜一の行動に戸惑いを見せた。
「泉谷殿……」
そこで怒声を上げたのは下柳。
下柳は懐から銃を取り出し、竜一の額に突き付けた。
銃口が竜一の額に密着している。
「おい、ガキ。ほんとに殺すぞ」
竜一は引かなかった。下柳を睨みつけた。
弱気になる心を奮い立たせ、殺気を放つ。
竜一は思い出す。怜の涙を。鈴巴の強く握られた拳を。
だから竜一は、強く言い放った。
「やってみろ」
数秒間そうしていた。
銃口は突き付けられたまま。竜一と下柳はお互いに睨み合ったまま。
そして、やがて下柳は銃口を下ろした。
「……もう行け」
竜一から顔を背け、ポツリとそれだけ言うと、手を振って追い払う仕草をした。
竜一は軽く頭を下げた。
「失礼します」
と言って、怜の手を引いて歩き出した。




