25.催しの日2
レストランを出たのは、一時間半後。
会話の殆どを司と由美と莉子の三人で回していたため、竜一は何もしていないに等しいが、それでも精神的な疲労度は許容値をギリギリ越えないほどの大きさ。
やっぱり慣れないことをするものじゃないな、と思っていたら、司の威勢のいい声が響いた。
「よっしゃ! 二次会行きましょう、二次会!」
由美と莉子は「いいねー!」とか「行っちゃおっか!」などと言ってはしゃいでいる。
流石にこれ以上は付き合えないので、自分は辞退すると司に伝えようとしたところ、後ろから強力な力でグイッと引っ張られた。
「うわっ!」
抗議する暇もないほどの勢いで腕を引っ張られ、あっと言う間に司達から引き離された。
連れ出されたのは、薄暗く人通りのない路地裏。
「急にごめんなさいね」
声の方に目を向けると、優し気に微笑む菖蒲の姿。
淡い碧のブラウスに上品なフレアロングスカート。
竜一が想像する、大人の女性像を体現したような姿がそこにあった。
竜一は、驚きこそすれ怒りはしなかった。
おしとやかで上品な菖蒲の姿を見ると、怒りの感情は湧いてこなかった。
「あの……どうして……?」
「本当にごめんなさい。でも、どうしても―――、我慢できなかったの」
「えっ……」
菖蒲は竜一に体を密着させ、竜一の耳元で囁いた。
「君、本当に可愛いから、二人っきりになりたくて……」
そう言って、竜一の胸に手を添える菖蒲。
「うふふっ。すっごい、どくどくいってる。緊張してるの?」
「あっ、い、いや、その……」
竜一は上手く言葉が出てこなかった。顔を真っ赤にしながら、どもりにどもる。
「ねえ、今からうちにこない?」
抗いがたい誘惑。それを聞いて竜一は、迷わずYESと言ってしまいそうになったが、自分の中の誰かが歯止めをかけた。
「い、いえ、それは……流石に……」
菖蒲は目を細めて微笑み、竜一に返事した。
「大丈夫よ。私だってわきまえてるから。お茶を飲みながら少しお話しするだけよ。さっきは、あまり話せなかったから。―――駄目かしら?」
「わ、わかりました。そういうことでしたら……」
ハッキリと断れない自分を非難するが、竜一は結局、抗えない力に屈してしまった。
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夜道を歩きながら、竜一は菖蒲から色んな話を聞いた。
菖蒲はつまびらかに自分の状況を明かした。
菖蒲は葛藤女子大学に通う二年生。年齢は二十歳。
女子大ゆえに周囲に異性が少なかったことと、今まで恋愛というものに興味が湧かなかったので、彼氏が出来たことはないそうだ。
そんな菖蒲が今回、合コンに参加した理由は、最近のある出来事により恋愛というものに興味を持ったから。
竜一は、そのある出来事の内容が気になったが、それについて菖蒲は含みを持たせる形で言葉を濁した。
「うふふっ。それにしても由美と莉子、とても張り切っていたわね。私もあれぐらい旺盛にいかなくちゃ駄目かしら?」
「い、いえ、菖蒲さんなら、頑張らなくてもすぐに恋人ぐらいできますよ……」
「あら? それは、私にアピールしてくれていると思っていいのかしら?」
「い、いえっ! とんでもない! 俺なんかが……」
「ふふっ。俺なんかがってことはないんじゃない? 君、結構モテるでしょ? 眉目秀麗ということはないのだけれど、なんでしょう、こう、母性本能をくすぐられるというか」
「そ、そうですかね……?」
そうなのだろうか? その自覚は全くない。それは喜んでいいのだろうか?
良くない気がする。自分の目指すところは、強く頼られる男の姿。
強くなって、守りたいのだ。あの少女を。
その気持ちを胸に、竜一は気持ちを述べる。
「俺は、もう少し頼られるような男になりたいです」
「あら? それはどうして?」
「それは……」
予想できたであろう菖蒲の質問。
だが竜一は、相手に伝えるべき返答を準備していなかった。
返答を躊躇う竜一に、菖蒲は優しく笑い掛ける。
「深堀してしまってごめんなさいね。君の気が変わった時にでも聞かせてちょうだい」
「すみません。お気遣いありがとうございます」
「やっぱり、君は可愛いわね」
また可愛いと言われてしまった。
好意的な意味で言ってくれているのは分かるが、少し複雑な気持ちになる。
自分は男としては、まだまだだな。そんな気持ちが湧き上がってくる。
そんな風に押し黙る竜一の様子を見て、菖蒲は言う。
「そんなに気にしてなくも大丈夫よ」
「えっ?」
「女の言う、可愛いには色んな意味が含まれているのよ。例え強面の筋骨隆々のオジ様にすら、可愛さを見出してしまうもの。それが女という生き物なの。君の優しさの奥に時々垣間見える強い意志、その眼差しに、私は可愛いを見出したわ。だからね、素直に誉め言葉として受け取っておいて大丈夫よ」
「なるほど……」
短く返事をするに留めたが、とても勉強になったと竜一は思った。
この世界には、自分の理解が及ばないことが数多ある。
その中で最も身近な存在、それが女という生き物なのかもしれない。
そして今日、少しだけ未知を既知に変えることができた。
未知を既知に塗り替えていくのは楽しい。
今日、参加してよかった。初めはどうなることかと思ったが、何事も経験すべき、とは正にこのことか。
その時、竜一は気が付かなかった。
新たな発見に浮かれ、注意が疎かになっていた。
菖蒲がピタッと足を止め「着いたわ」と言った。
竜一は、その方向へ目を向ける。
そして、驚愕した。
高い塀に囲まれた和風建築の屋敷。
豪邸と呼ぶにふさわしい建築物が目の前に広がっていた。
どっからどう見ても一般家庭の家ではない。
言葉を選ばずに言うのなら、明らかにその筋の親分が住んでいるような厳かさと威圧感。
ついさっきまでの浮かれた気分は、一瞬にして消え失せた。
自分の頭の中で警鐘が鳴り響く。
一度中に足を踏み入れたら最後。自分は無事に出てこれるだろうか?
中に踏み入った途端、強面の男達に捕らえられ、縛られ、金品を奪われた結果、海に捨てられないだろうか。
そんな大げさな被害妄想が、竜一の頭によぎる。
竜一の様子を見て何かを察したのか、菖蒲は楽し気に笑った。
「大丈夫よ。今は妹と二人暮らしだから、怖いオジ様達は出てこないわ」
「そ、そうですか……それは、それは……ハハッ……」
愛想笑いを浮かべつつ、安堵する竜一。
そして、菖蒲に促されるままに巨大な門を潜り、中に踏み入った。
目の前に広がるのは、和の庭園。
芝生の絨毯が広がり、その上に玄関口まで続いている石畳。
立派な松の木と、石垣に囲まれた池が和の空間を強調している。
竜一は、石畳を踏みしめ玄関を通過した。
内装も立派なもので、漆塗された艶やかな廊下は、どこまでも伸びていると錯覚するほど。
優雅さと厳かさが同居する空間。
緊張した面持ちで奥に進み、応接間に案内された。
菖蒲は「お茶を淹れるわね」と言って、応接間から退出。
一人残された竜一は、周囲を観察。
部屋は二十畳ほどの広さのゆったりとした空間。
畳には、座椅子と柔らかいクッション。
水墨画で描かれた掛け軸に上品な生け花。
見るからに高価そうな壺。
上流階級の憩いの場といった雰囲気に委縮する竜一。
そうして戻ってきた菖蒲は、微笑みながら湯呑と茶菓子を竜一に差し出した。
竜一は礼を言って、湯呑に口を付けた。
そこで気付いた。ここまでの道中で色々と話をしてしまったので、話す話題がなくなってしまったことを。
菖蒲はどう思ってるんだろうか? そう思い、竜一は菖蒲の様子を窺った。
菖蒲と目が合い、菖蒲は優しく微笑みながらゆっくりと動き出した。
そして何故か、竜一の横に着席し、体を寄せてくる。
「あ、あの……」
何といってよいか分からず、戸惑う竜一。
その竜一に、菖蒲は囁くように言った。
「ねえ、君のことをもっと教えてくれるかしら?」
竜一は困った。
ここまでの道中、思いつく限り自分のことを話した。
定時制高校に通っていることや、昼間は小さな会社で働いていること。
それ以外は、好きなテレビや食べ物や音楽などの取り留めのない情報。
これ以上の情報は自分の中にはない。薄っぺらい人間だなと自覚するが、ないものはない。
「色々と話をしてしまったので……これ以上伝える情報はないのですが……」
「そんなことないのではなくて?」
「そうでしょうか?」
「ええ。例えば―――、君の元いた世界の話とか」
「―――えっ!?」
竜一は思わず後ずさってしまった。
菖蒲から距離を取り、警戒を強める。
竜一は後悔した。自分を罵った。
ノコノコと付いてきてしまった。
油断してしまったのだ。
菖蒲の瞳の奥に、妖しげな光を見た。
口元は愉しそうに歪み、狂気が僅かに覗く。
菖蒲の正体は分からない。
だが、竜一の正体を知っているということは、裏に関わる人物であるということ。
表の顔を装い、竜一に近付いたのだ。
何故そんなことをする? 決まっている。
答えは一つ。そこには悪意が含まれている。
良からぬ企みがそこにはある。
困惑する竜一の首元へ、菖蒲の細腕がすっと伸びる。
今の竜一の肉体ならば、女の細腕など、どうとでもなる。
細腕を振り払い、一早くここから逃げ出さなければならない。
しかし、竜一は動けなかった。
菖蒲から放たれる異次元のプレッシャー。
他者を縫い付ける蠱惑的な瞳。
自分自身に驚いた。こんなことは初めての経験。
己の体が他者に支配される感覚。
今、竜一の体は、竜一以上に菖蒲の言う事を聞いてる。
そして、菖蒲の腕が竜一の首に添えられる。
まずい。逃げなきゃ。まずい。殺される。
死を覚悟した。そして頭によぎるのは、あの少女の笑顔。
ごめん、朽葉さん……。
「あれ~、何でここに竜一君が居るの?」
突然聞こえた、聞き覚えのある声。
咄嗟に声の方に向くと、茜の姿。
どうしてここに茜がいるんだろう?
その疑問は、即座に解消される。
「っていうか、何してるの? お姉ちゃん」




