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22.手合わせ

 エスペランサ月白には、エレベーターが四つ存在する。

 その内の三つは一般用。このマンションの住人ならば、誰でも使用できる普通のエレベーターである。

 そして四つ目は特別用。その特別用のエレベーターの乗り口は、地上では三十五階にしか存在しない。

 三つの一般用エレベーターの反対側に位置する、特別用のエレベーター乗り口に竜一と怜は立っていた。

 怜がカギを差し込み、エレベーターを起動させる。

 即座に扉が開き、二人はエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターに設置されているボタンは二つ。この最上階である35と書かれたボタンと、B1と書かれたボタンのみ。

 このエレベーターは三十五階から地下一階まで直通。

 鈴巴が出資して地下とこのエレベーターを作らせた。

 このエレベーターも地下一階も鈴巴の所有物である。鈴巴の許可がなければ利用することは出来ない。


 エレベーターは静かに降下を始めた。

 数秒間の後、地下一階へ到着。

 エレベーターから下り、目の前にある両開きの扉を開放。


 そして、竜一は息を呑んだ。

 その空間は途轍もなく広かった。

 球場ぐらいの広さがあるだろうか。

 床も壁も大理石で出来ており、だだっ広い空間。

 床には何も置かれていないが、壁には武器が設置されている。

 西洋の剣や日本刀、巨大な戦槌、槍、メイス、ハンドガン、アサルトライフル、ショットガンなどなど。

 完全に法に触れていると思うのだが、今更それを突っ込む気にはならない。

 表には表の、裏には裏の事情があるのだ。


 きょろきょろと辺りを見回している竜一に、怜は声をかけた。


 「泉谷殿、さっそくですが構えてください」


 怜の方へ顔を向けると、怜はシャツの袖をまくり、構えを取っていた。

 怜は言った。まず、貴方の実力を確認したい、と。

 武道経験ゼロの竜一からすれば、実力もなにもないと思うのだが、竜一は素直に従うことにした。

 怜は自分の上司であるし、それになりより、怜の纏う空気が断ることを躊躇わせた。

 怜の竜一への態度は、終始丁寧。怜の方が立場が上であるにも関わらず、竜一に敬語を使い、敬称をつけて竜一を呼ぶ。

 まだ付き合いが浅いので何とも言えないが、悪い上司ではないのは確か。

 だが竜一には、気になることが一つ。

 怜が表情を崩したところをまだ見たことがないのだ。常に無表情で、凛とした姿勢を崩さないその様は、忠義に厚い武士といったところか。

 そういったことから、少しだけ近寄りがたい印象がある。

 

 竜一は頭を切り替えて、構えを取ることにした。

 怜の構えを模倣して、利き足とは逆の左足を前へ。左手も前へ。

 腰を落とし、正面に対しやや斜めに立ち、顎を引き視線は真っ直ぐ。

 

 「参ります」

 

 という掛け声と共に、怜は飛び出した。

 竜一に急接近した怜は、右の正拳突き。基本に忠実で素直な攻撃。

 竜一は咄嗟に左腕でガード。直後、竜一の体に走る衝撃。

 ビリビリと左腕が痺れる感覚。

 今の肉体じゃなければ、この一撃で勝負は終わっていただろう。

 腕の骨が完全に砕け、背後の壁際まで吹き飛んでいたに違いない。

 

 だが、今は違う。

 竜一は耐えて見せた。脚を踏ん張り、うまく衝撃を逃がす。

 そして、反撃しようとする竜一の気勢は、一瞬にして削がれた。

 

 怜の流れるようなコンビネーション。

 左の下段蹴りから、フェイントを交えた右フック、竜一の側面に回り込み、指先を脇腹に突き入れた。

 

 「かはっ!」


 反射的に竜一の口から声が漏れ、その隙に好き放題に拳を叩き込まれた。


 それから数分後、自分が床に倒れていることを自覚する竜一。

 起き上ろうとするが、手足に力が入らない。顔も体もじんじんと痛む。

 

 駄目だ。まったく歯が立たない……。

 竜一は自覚する。自分が弱いことを。

 それは分かっていた。分かっていたのだが、これ程とは思わなかった。

 肉体は変化を遂げ、人間の域から逸脱した竜一。

 もしかすると、心のどこかで驕っていたのかもしれない。

 自分は強くはないが、弱くもないだろうと。変異種に対してならば、多少は戦えるだろうと。

 だが、その驕りは、今日この時をもって消え失せた。


 「申し訳ありません。少々、加減を間違えました」


 そう言って、右手を差し出してくる怜。

 竜一は、その手を取って、よろよろと立ち上がる。

 

 「いえ、問題ないです。むしろ、ありがたいです。これからも、ビシビシと鍛えて頂ければと……」


 頭を下げる竜一を見て、怜は何事か考え込むように黙り込む。

 竜一は、控えめに尋ねた。 


 「あの……どうかしました?」

 

 竜一の問いに怜は答えた。


 「貴方は、不思議な方だ」


 「えっ? そうでしょうか?」


 「はい。お嬢様から概ねの事情は聞いております。貴方の体と環境は、突然、大きく変化してしまった。それなのに、随分と落ち着いているのですね」


 竜一は、そう言われて気が付いた。

 確かに、怜の言う通りだ。自分は落ち着いている。

 自分の身に起きた変化と、裏世界に足を踏み入れたことで生じる環境の変化。

 よく考えなくても分かる。すでに自分の人生は大きく変わってしまった。

 それなのに落ち着いている。現状を受け入れている自分がいる。

 それは、ただ単純に危機感の欠如、想像力が乏しいことの弊害か。

 どちらにしろ、とても褒められたものではない。

 だけど、もしかすると、ひょっとしたら、あの無敵少女の力になれることが嬉しいからなのかもしれない。


 自分の指針はもう決めた。あの少女を守る。それが、自分の中にある一番重要で、なによりも優先すべきもの。

 ただし、これは恋愛感情ではない。あえて言葉にするのなら、家族に対する親愛。

 自分の命よりも大切にしたいと思う心。下心の一切ない、純粋な思い。

 そんなところだろうか。


 そんな風に自分の考えを整理し、竜一は言葉を返す。


 「確かに、片瀬さんの言う通りです。俺、鈍感ですから、現状を飲み込めてないだけなのかもしれないですけど……」


 そうやって愛想笑いしながら言葉を返す竜一に、怜は本当に僅かに表情を緩めた。


 「お嬢様が、貴方を気にかけている理由が分かったような気がします……」


 「気にかけている?」


 「はい……」


 怜はそう短く返事をしたあと、その内容には触れず、思ったことを口にした。


 「貴方は……私とは大違いだ……」 

 

 「大違い? それはどういう意味でしょうか?」


 「私が変異種として覚醒したのは、私が十二歳の時でした。私は当時、激しく動揺し、自分を見失いました。何もかもがどうでもよくなり、自暴自棄になるほどに」


 黙って聞く竜一の様子を確認し、怜は言葉を続ける。


 「そんな私を拾い上げてくれたのは、天染家であり、お嬢様でした。お嬢様が十二歳の誕生日を迎えると共に、私は側仕えを任ぜられ、それから四年間、私はお嬢様から様々なのものを頂きました。それはもう、一生を使っても返せないほどに。ですから私は、命を懸けてお嬢様をお助けします」


 そう言い終わると、怜はハッと気づいたように言う。


 「私としたことが、話すぎましたね。失礼しました」


 竜一は慌てて返事をする。


 「い、いえ! 貴重なお話をありがとうございます。それと、俺には片瀬さんの気持ちがすごく分かります。大違いなんかじゃないです。むしろ、同じです」


 「それは……何故でしょうか?」


 「俺もどうでもよくなったんです。この世界に渡ってきた時に。自覚はありませんでしたが、ある種の自暴自棄に近かったんだと思います。でも、俺は朽葉さんに救われました。だから、片瀬さんと同じです。俺も朽葉さんから貰ったものを返すために頑張っていますから」


 怜は、また僅かに表情を緩めて小声で言葉を発した。


 「やはり、お嬢様はとてもよい人選をなさったようです」


 そして、本来の仕事を果たすため、怜は竜一に指示。

 

 「おしゃべりはここまでにしましょう。さあ、続きです」


 「はい! よろしくお願いします!」


 それから竜一は、二時間みっちりと怜に(しご)かれたのである。


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