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21.検査

 その日の夕方、竜一はエスペランサ月白(つきしろ)に向かっていた。

 朝から如月製作所で働き、家にも寄らずに直行。

 今日は、学校は休むことにした。

 休むことに後ろめたい気持ちはあるが、優先順位を間違えてはいけない。

 学校を一日休んだとて死ぬことはないが、今、向かっている先で行われる事柄は、生死に関わること。


 竜一は鈴巴の指示に従い、今日の仕事をこなすために鈴巴の待つマンションまで足を進める。

 鈴巴から提案があった月三千万の法外な報酬についてだが、竜一は断ることにした。

 いきなりそんな大金を手に入れてしまうと、自分の中の何かが壊れる気がしたからだ。

 竜一は、結局は報酬を受け取らないことにした。

 つまりはただ働きなわけだが、一向にかまわない。

 裕福ではないが、金には困っていないし、何より鈴巴の下につく一番の目的は、力を得ることにある。

 大金に目がくらんでいては、目的達成までの道のりが遠くなるような気がして、躊躇われたのである。

 鈴巴はこれに渋い顔をしたが、竜一は代替え案を提示した。

 金銭を受け取らない代わりに、マンションの一室を好きに使わせて欲しいと竜一は希望したのである。

 鈴巴はそれを承諾。金銭の代わりに、不動産という資産を竜一に与えることで、雇用主と被雇用者の関係を成り立たせたわけである。


 マンションの一室を譲り受けたはいいが、竜一はそこで寝る気にはならなかった。

 とにかく広すぎて落ち着かないのだ。

 根っからの庶民である竜一には、分不相応というわけだ。


 気が向いた時にでも使わせてもらおう。

 そんな風に考えながら、竜一は広大なエントランスホールに踏み入る。

 一流のホテルかのような豪華な空間。

 大理石の床に、暖かな温もりのある木製の机。上質な青い椅子。鮮やかな観葉植物。

 天井には豪奢なシャンデリア。


 竜一は、受付コーナーに居るコンシェルジュに軽く会釈し、奥へ進んだ。

 鈴巴から預かったカードキーを読み取り機に差し込む。

 ガラスの扉がスライドしたことを確認し、更に奥へ。

 エレベーターに乗り、三十五と書かれたボタンを押した。

 エレベーターは静かに稼働。浮遊感を感じる間もなく、最上階へ到達。


 エレベーターから下りて、鈴巴の待つ部屋へ向かった。

 部屋のチャイムを押し、しばらく待つとガチャと扉が開いた。


 「お待ちしておりました。泉谷殿」


 そう言って、竜一を迎え入れた者の名は片瀬(かたせ) (れい)。 

 外見から年齢は二十代中盤と思われる女。

 鈴巴同様、背は高く、凛とした佇まい。

 ポニーテールの紫紺の髪。切れ長の目。瞳は赤。

 服装は淡いピンクのワイシャツにグレーのスラックス。

 どこかのオフィスでパソコンのキーボードを叩いていても違和感のなさそうな服装と雰囲気。

 片瀬 怜は鈴巴の部下の一人である。

 つまりは、竜一にとっては先輩ということになる。


 「ど、どうも……片瀬さん」


 竜一は、躊躇いがちに怜に挨拶をした。

 怜は表情をまったく変えることなく頷き、体をズラし竜一に中へ入るように促す。

 

 中に入り、リビングへと通じる扉を開けると、目に飛び込んできたのは鈴巴の姿。

 髪色と同じ水色のカットソーにチェックのロングスカート。

 左耳に髪をかけている姿は、普段より一層大人っぽく見えた。

 

 鈴巴は上品に微笑み、竜一を迎え入れる。


 「お疲れ様、泉谷君。さっそくだけど、ベッドルームに移動してもらえるかしら?」


 「は、はい!」


 ベッドルームという単語を聞いて、竜一の心拍数が上昇。

 事前に話は聞いていたが、美人とその単語の組み合わせは、破壊力が大きい。

 

 鈴巴の指示に従い、ぎこちない足取りでベッドルームに移動。

 ベッドルームもとんでもなく広い。

 部屋の隅には、寝そべれるほど長いソファに丸テーブル。

 びっしりと本が敷き詰められた背の高い本棚。

 そして、部屋の真ん中にはキングサイズのベッド。

 

 「さあ、泉谷君、服を脱いでベッドへ」


 「は、はい!」


 竜一は心を鎮めようとしたが無理だった。

 自分の心臓の鼓動を聞きながら、上着を脱いだ。

 上半身裸体のまま、竜一はベッドでうつ伏せの姿勢をとる。


 「目を閉じてリラックスして」


 鈴巴の優し気で綺麗な声が聞こえた。

 竜一は鈴巴の指示通り、リラックスするため、深く深呼吸。


 「怜、お願いできるかしら?」


 「かしこまりました、お嬢様」


 怜の返事が聞こえた直後、背中をソフトタッチされる感覚。

 その感覚に、竜一の体がビクッと反応。

 つい声が口から漏れそうになるが、竜一は必死にこらえた。

 怜の指が背中をすーッとなぞり、肩甲骨を軽く揉まれ、僧帽筋を指の腹で軽く押され、脇腹をゆっくりと撫でられた。

 幼少の頃を除けば、他人にこれほどじっくりと身体を触られるのは初めての経験。

 くすぐったいやら恥ずかしいやら、溢れてくる感情を抑え込んで竜一はじっと耐えた。

 

 そしてようやく、体を触られる感覚が途絶えた時、再び鈴巴の声が聞こえた。


 「いいわ、泉谷君。服を着てちょうだい」


 竜一は、自分は今、どんな表情をしているんだろう、と気にしながら上着を着て、ベッドの縁に腰を落として鈴巴の方を向く。


 「それでは怜、結果を聞かせてくれるかしら?」


 「はっ」


 怜は短く返事をして、結果を報告。

 怜が言うには、竜一の体は大きな変化を見せているのだという。

 それは、朽葉の力を使った代償か恩恵か。

 竜一の体はすでに常人のものではなく、怪物に近付いているという。

 身体能力は人の域を超え、変異種並みの性能を有しているとのこと。

 

 竜一はそれを聞いて得心がいった。

 感じてた違和感の正体はこれか。

 どうも体が軽いと思っていた。それに、ふとした拍子に怪力を発揮してしまったこともある。

 フライパンの柄を握り潰してしまったのは、何かの錯覚かと思い敢えて無視したが、もう現実を直視しなければならないだろう。


 怜は報告を終えたあと、更に無表情で続ける。


 「忠告が一つあります」


 「忠告?」


 不思議そうな表情を浮かべる竜一に怜は説明。


 「泉谷殿の体には、大きなダメージが残っています。恐らくそれは、朽葉の力を使った影響。力に体が追いついていないのでしょう。ですので、しばらくは朽葉の力は使わない方が良いでしょう」


 「なるほど……」


 朽葉の力とは、ワンと戦う時に使った阿修羅の力だ。

 強力無比な剛力、剛腕。この世の理屈を覆すほどの強大な力。

 その力が自由に使えるのならば、大きな武器になるのだが、そう簡単に使いこなすことは出来ないということか。


 凛とした態度で淡々と語る怜に、竜一は感謝を伝える。

 

 竜一の体の状況を把握することが出来た鈴巴は、満足げに頷くと、手をポンと打ち鳴らし、竜一に言う。


 「それでは泉谷君、改めてになりますが、貴方の教育係を紹介するわ」


 鈴巴は怜に視線を移し続ける。


 「片瀬 怜。私の右腕にして、もっとも信頼のおける腹心。そして貴方の上司になります。怜は変異種にして、格闘術と剣術の達人。貴方には、怜から戦闘指南を受けてもらうことになります」



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