18.龍よ
「素晴らしい……素晴らしい!」
ワンは茜を殴り続ける。
すでに拳の感覚はない。それでも構わず殴り続ける。
茜の意識はない。だが、息はまだある。まだ死んでいない。
何という生命力。何という頑丈さか。
「もう少しだ、もう少しで龍を喰らえる!」
ワンは邪悪な笑みを浮かべ、潰れた拳で殴り続ける。
腰を捻り、右拳に力を込める。
引き絞った弓を放つかの如く、右拳を前へ。
茜の顔面に命中する直前、ワンの拳がピタッと止まった。
ワンの耳に聞こえた異音。
金属を叩くような音が、背後で聞こえる。
茜から手を離し、背後を振り返った。
ボコッという音が響き、鉄の扉がへこむ。
音は連続して聞こえ、その音に合わせて扉がベコッとへこむ。
そして、爆発でも起きたかのような衝撃。
鉄の扉が吹き飛び、ワンに迫る。
ワンは、前蹴りで鉄の扉を弾き飛ばし、侵入者を確認。
「これは驚いたな。どういうことだ……少年?」
鉄の扉を破壊した人物。
それは、ワンが攫い、鎖で拘束した少年。
泉谷 竜一がそこに立っていた。
ワンは自身の目を疑った。
少年の様子が、今までとまるで違ったから。
燃えるような深紅の瞳。白目の部分は黒に変色し、肌は赤く染まり、体から発せられる熱により水分が気化している。
体の表面から煙を上げ、牙を剥く少年からは、濃密な殺意が放たれていた。
竜一はワンの問いには答えない。
怒りを迸らせ、ワンを睨む。
「ワン・ジーウェン! 俺が相手だ!」
竜一は地を駆けた。体が軽い。重力など無視し、ロケットの如く勢いで、ワンに急接近。
全体重を乗せて、右肘をワンの腹に突き入れた。
ワンはそれを右腕でガード。
そしてワンは後悔する。ガードではなく、避けるべきだったと。
ワンは自分の右腕の骨が砕ける音を聞いた。
直後、体に途轍もない衝撃。
血流が乱れ、意識が飛びそうになる。抗えない力により、体が吹き飛ぶ。
鋼鉄の壁に背中をぶつけ、また意識が飛びそうになるが何とかこらえる。
「くっ―――」
何という力だ。理由は分からないが、この力は正しく、朽葉の力。
ワンは鋼鉄の壁に手をつきながら、よろよろと立ち上がる。
そして、笑う。
「面白い。ここにもいたか―――、龍よ」
ワンは構えを取り、竜一に言葉を投げる。
「名乗れ、少年。それが礼儀だ」
そう言って、ワンが先に名乗りを上げた。
「『喰龍』ワン・ジーウェン。龍を喰らう者」
竜一は、目の前の男を模倣し構えを取った。
そして名乗りを上げる。
「泉谷 竜一。―――お前をぶち殺す龍だ」
自然と強い言葉が口から漏れた。それは、体の変化に引っ張られているためか。
張り詰めた空気の中、二人は同時に動いた。
竜一は右拳をワンの顔面へ放った。
ワンはそれを容易く躱す。
肉体能力は人の域を超えていても、技は未熟。
躱すのは容易。
そしてワンは、右拳を竜一の腹に叩き込む。
確かな手ごたえ。拳が肉にめり込む感触。
だが、竜一は動じない。
ワンの拳など痛くも痒くもない。
軽すぎる。常人ならば内臓が潰れるほどの、ワンの拳の威力は、今の竜一には呆れるほどの軽さ。
竜一は右拳をワンの顎先に叩き込んだ。
命中し、ワンの呻き声が聞こえた。
間髪入れず、拳をワンの腹へ。
型など一切無視の身体能力に物を言わせた猛攻。
ありったけ拳を叩き込んだあと、竜一は後方にステップ。
この時すでに、ワンの意識は途絶えていた。
ワンは意識を失い棒立ち状態。
グラッとワンの体が揺れ、膝から崩れ落ちようとする。
竜一は、息を吸い込み怒声を張り上げた。
「もう二度と、茜に手を出すな! この、クソ野郎があッ!!」
右足を外側に捻り、腰を回転。
溜め込んだ力を開放。
砲弾の如き右ストレートが、ワンの腹に直撃。
「ぐはっ!」
ワンは盛大に吐血し、巨体が吹き飛ぶ。
鋼鉄の壁に背中から衝突。壁が大きくへこみ、ワンはズルズルと背中を引きずりながら崩れ落ちた。
そしてワンは、完全に意識を失い、動かなくなった。
ワンの様子を見て、竜一の溜飲が下がる。
体の熱が冷える。さっきまでの殺意も薄れ、冷静さを取り戻す。
ハッとして、竜一は後ろを振り返る。
「朽葉さん!」
茜に駆け寄り、そっと背中に腕を回し、少し状態を起こす。
茜の口元に耳を近づける。微かに呼吸が聞こえる。
大丈夫だ。まだ生きている。絶対に助かる。
竜一は、自分の携帯電話を取り返すため、倒れているワンの方へ駆けだそうと、足を踏み出した。
「……待って」
竜一の上着を掴み、微かな声で竜一に懇願する茜。
竜一は、慌てて茜の方に向き直り、茜に声を掛ける。
「朽葉さん! 今、救急車を呼ぶから! 大丈夫だから!」
茜は薄く笑い、竜一に囁く。
「竜一君、すごい……ね。一体どういう……こと……?」
「う、うん、俺にも分からないんだ。分からないけど、今はそんなことより、助けを!」
「いいの、竜一君。自分のことは自分で一番分かる……私は、もう助からない」
「そ、そんな! 諦めるな!」
「もういいの。ねえ……竜一君、最後にお願い聞いてくれる?」
「そんな……最後だなんて言わないでくれ」
「ごめんね……でも、いいかな?」
「……分かった。分かったよ。言ってくれ」
茜は目を閉じて言葉を続ける。
「ねえ……キスして」
「―――えっ?」
「キス、だよ……駄目、かな?」
竜一は考える。
キス? キスとは何だ?
それは当然、唇で相手の肌に触れること。
どこにキスをする? 額か、頬か。
そんな訳はない。茜が求めているのは、そんな子供騙しなんかじゃない。
唇と唇。茜はソレを求めている。
でもどうやって行う。やったことなどない。やり方が分からない。
簡単だ。唇と唇を重ねるだけ。ただそれだけだ。
少しも難しくない。
竜一は、決心する。茜がソレを求めているのならば、俺はソレを成す。
「分かった」
「……ありがとう」
顔を茜の顔に近付ける。
茜の息が竜一の顔にかかる。
ゴクリと息を呑む。心臓が早鐘を打つが、それを無視しゆっくりと唇を近づけた。
もう間もなく、唇が重なる。
そして、ついに唇が―――
「あー、少しいいかしら?」
竜一の心臓がドキッと跳ねた。
反射的に背後を振り向いた。
「えっ―――」
竜一は理解できなかった。
何故、此処に、この人が居る。
竜一は、目を見開いてその少女を凝視した。
そこに居たのは、茜と肩を並べるほどの美少女。
水色の長い髪。瞳はアメジストのような美しい紫。
背は高めで、すらりとした四肢。
天染 鈴巴がそこに立っていた。
鈴巴はヒールを踏み鳴らし、コツコツと近付いてきた。
鈴巴は、言葉を失い固まる竜一を一瞥したのち、茜に声を掛けた。
「いつまでそうしているつもり? さっさと起きなさい……茜」
「―――えっ」
竜一の口から、声が漏れた。
咄嗟に茜の方へ振り返る。
「―――ったく。折角いいとことだったのに、邪魔しないでくれるかな~?」
茜は何でもない様子で上体を起こし、服に付着した埃を払いながら立ち上がった。
「ど、どういうこと?」
竜一が茜に問い掛けた。
茜は少し気まずそうにして竜一に言う。
「あー、ごめんね竜一君」
茜の言葉を引き継ぐように、鈴巴が竜一に説明。
「こんなことで茜が死ぬはずがないわ。この子、体だけは馬鹿みたいに頑丈だから」
「ちょっと! 何よその言い方! ていうか、よくも邪魔してくれたな!」
「あのねえ、良心が痛まないわけ? 泉谷君の様子を見なさい!」
「そ、それは……」
茜は、理解が追いつかず呆けた様子の竜一を見て、顔に反省の色を浮かべる。
だが、茜は再び鈴巴に矛を向けた。
「余計なお世話よ! 鈴巴! あんたは、いついつもお節介がすぎるのよ!」
「お節介とはなによ! 私、忠告したわよね!? もっと周りに注意を向けなさいって! その忠告を無視した結果がこれよ!」
「だ、だから! それがお節介って言ってるの!」
「その様で、まだ強がるわけ!? ほんと子供ね!」
「むかっ! 言ったな! このお節介ババア!」
「はあ!? こっの! 生意気クソガキ!」
「ババア!」
「クソガキ!」
「アハハハハハハハハハハハハッ!!」
竜一は、腹から笑い声を上げた。
良かった。茜は無事だ。
色々と理解が追いつかないが、どうでもいい。
茜が無事ならば、あとはどうでもいい。
安堵したら、笑いが込み上げて来た。
これほど笑ったのは、いつぶりだろうか。
竜一の突然の哄笑。
茜と鈴巴は争いを止め、竜一に注目。
これには流石の二人も、言葉を失う。
そして、茜がポツリと鈴巴に提案。
「……まあ、今日はこの辺にしとく?」
「ええ、そうね。まずは、あの男を拘束して―――」
鈴巴の言葉が途中で途切れた。
茜と竜一は、鈴巴の異変を疑問に思い、鈴巴の視線の先へ目を向ける。
「……ふう。甘いですな。最後まで油断しないこと。それがプロの心得というもの」
驚くべきことに、ワンが立ち上がったのだ。
立っているだけでやっと、といった様子だが、確かに立ち上がっている。
茜は口笛を吹き、ワンに言う。
「本当にしぶといね、ワンおじさん。素直に称賛を送るね」
「光栄です。茜嬢」
「でも、流石に降参したら? その様子じゃもう戦えないでしょ?」
「ふーむ。残念ながら、その通りですな」
そして、ワンはニヤッと笑い竜一の方へ顔を向けた。
「泉谷 竜一。貴様という龍の力、この身に確かに刻んだぞ。勝てはしなかったが、良い土産話が出来た」
竜一は、怪訝な表情を顔に浮かべ、ワンに問う。
「それは、どういう―――」
ワンは素早く動いた。
指を自分の口に突っ込み、奥歯を引っこ抜いた。
そして、奥歯に埋め込まれたスイッチをカチッと押し、最後に満足そうに笑った。
直後、吹き荒れる爆炎。
鼓膜を破壊するほどの爆音。衝撃が大気を弾き飛ばす。
この鋼鉄の倉庫を簡単に吹き飛ばすほどの威力。
爆心地を中心に、炎と黒煙が荒れ狂う。
竜一は、自分がまだ生きていることが不思議でしょうがなかった。
体は無事。呼吸が苦しいが、それでも、まだ生きている。
そして、黒煙が晴れた時、竜一は見た。
それは、真っ白で巨大な翼だった。
雪のように白く、美しい両翼。
その翼が、鈴巴の背中から生えていた。
鈴巴が巨大な翼で、茜と竜一を爆炎から守ったのだ。
竜一は驚くが、すぐに理解した。
そうか、この人も純粋種か。
そして、腕を掴まれる感覚。直後、体が浮く。
「いっ―――」
浮遊感に戸惑い、激しく動揺する。
竜一の右腕は、猛禽類のような巨大な足に掴まれている。
それは鈴巴の腕であった。鈴巴の腕が猛禽類の足に変化していたのだ。
呆気に取られている間に、どんどんと高度が上がる。
鈴巴は右腕で竜一を、左腕で茜を掴み、翼で空中を舞う。
風を切る音と共に、鈴巴の声が聞こえた。
「一先ず、遠くに離れましょう。このまま残っていたら、厄介なことになるわ」
確かにそうか。あの爆発が無視される筈がない。警察や消防がすぐにでも駆けつけてくる筈だ。
表の世界の人間に裏の事情を話せるわけがない。
そう思うと同時に、竜一は気付いた。
自分もすでに、裏の世界に足を踏み入れてしまったことを。
その竜一の思いを読み取ったかのように、鈴巴が竜一に言う。
「落ち着いたら、色々と話さないといけないわね。私達のこと、それから、貴方のことも」
「……はい、そうですね」
竜一は、チラッと茜の様子を窺う。
すでに覚悟していたことだ。茜に全てを話す。
涼し気な顔で眼下を見下ろす茜の顔を見ながら、竜一は固く誓った。




