17.目覚め
駄目だ、朽葉さん。これは罠だ。来たら駄目だ。
いずれにしろ、俺はワンに殺される。俺のことを生かす理由がない。
だから、ワンは俺に裏の話をしたんだ。どうせ殺すから。
朽葉さんがここに来ようが、来まいが関係ない。
だから、来たら駄目だ。俺のことは、見捨てるべきなんだ。
ワンが携帯を操作し、茜の携帯に文章を送る。
茜は携帯の通知音を聞いて、文章を確認。
文章は、そのまま待機、と書かれていた。
茜は、周囲の様子を確認。
鋼鉄の壁に囲まれた広い空間。
灯は天井の蛍光灯のみ。光は弱く、薄暗い。
それ以外に特徴はない。竜一とワンの姿も確認できない。
茜の後方、先程通過した扉が自動で閉まった。
これで、完全に密閉空間が出来上がる。
広い空間だが、鉄の壁と薄暗さが相まって、寒々しい空気が茜を襲う。
息が詰まりそうな嫌な感覚に、茜は顔を顰めた。
茜は理解していた。
当然これは罠。正攻法では勝てないと踏んだワンが用意した、処刑場。
だけど、竜一を見捨てるなどできる筈がない。
茜は下唇を嚙みしめた。
これは、自分の未熟さが招いたことだ。
赤星山でワンの接近に気付かなかった。
察するに、以前からワンに監視されていたに違いない。
それに気付けなかった。
平常時ならありえないことだ。自分が見過ごす筈がないのだ。
理由は分かっている。ここ最近、自分は平常心ではなかった。
その理由は、あの少年。あの少年と出会い、あの瞳に魅せられた。
湧き上がってくる抗えない感情に支配されてしまった。
平常心を失った茜に発生した隙。ワンはその隙を突いたのだ。
それでも、竜一のせいには出来ない。したくない。
だから、絶対に助ける。例え、己を犠牲にしても、必ず。
茜は携帯電話を取り出す。ボタンを操作しコールした。
通話先は竜一の携帯。
「私です」
通話に出たのはワンだった。
茜は軽い調子で応答する。
「あのさあ、いつまでここに居ればいいの?」
「申し訳ありません。只今準備中ですので、もう少々お待ちください」
「……それで、竜一君は無事なの?」
「勿論」
「声を聴かせて」
ワンは黙り込んだ。
しばらくの間の後、ワンは返事する。
「……いいでしょう」
そして、竜一の声が聞こえた。
「朽葉さん! 逃げなきゃ駄目だ! 俺のことは―――」
プチっという効果音と共に、通話が切れる。
ワンが無理やり通話を切ったのだろう。
竜一の言葉を最後まで聞くことが出来なかった。
でも、それは問題じゃない。
竜一君の声が聴けた。
私の名を呼んでくれた。私のことを心配してくれた。
それで十分。それだけで私は戦える。
これでもう、私は無敵だ。
何が起きようと怖くない。
その時、茜は気付いた。
周囲に赤い粒子が漂っていることを。
「これは―――」
赤い粒子は瞬く間に拡散し、この空間が赤で染め上げられた。
「毒……か」
呼吸が苦しくなる。体が重い。
手足の感覚が薄れる。
次第に、立っていることが出来なくなり、その場に蹲ってしまう。
どれぐらい時間が経過しただろうか。
五分か、それとも十分か。
もはや体内時計は機能していない。
体のあらゆる感覚が滅茶苦茶になっている。
それでも、このぐらいでは死なない。
並みの人間ならば、一息で死に至る猛毒だとしても、私の命を絶つことは出来ない。
それは、ワンも理解している筈。
だから、私を殺しきるには、奴が直接手を下さなければならない。
音が聞こえる。
それは、この空間の空気が排気される喚起音。
即座に赤い粒子が消え去り、大気が浄化される。
次に、鋼鉄の扉がゆっくりと開いた。
「やはり、この程度では死にませんか」
茜は、蹲った体勢でワンを睨む。
「ワン……」
「この毒ガスは、怪物用の特別製なのですが……貴方の生命力には脱帽ですな」
ワンはそう言って懐から拳銃を取り出すと、堪らうことなく速射。
吐き出された四発の弾丸は、全て茜の頭部に命中。
しかし、弾丸は茜の頭部を傷つけることは出来なかった。
弾丸は茜の頭部に弾かれ、床や壁に跳弾。
その内の一発がワンの右頬を掠めた。
「……やはり、こんな玩具ではいけませんな」
ワンは拳銃を投げ捨て、ジャケットを脱ぎ捨てた。
それから、白いシャツを破り捨て、ワンの上半身が露わになる。
首元から腰に掛けて彫られた刺青が姿を現した。
それは、龍を模した刺青。
描かれているのは、二頭の龍。
片方の龍が、もう片方の龍に牙を立てている構図。
「私はこの時を待っていました。本物の龍を喰らうこの時を」
ワンが茜にゆっくりと近付く。
「さあ、本物の龍を味合わせてください」
予備動作なしでワンは右脚を茜の顔面へ蹴り入れた。
茜の顔面に直撃。茜の体は壁際まで吹き飛んだ。
「くっ―――」
茜は起き上がろうとするが、手足に力が入らない。
「こんなものでは終わりませんぞ」
ワンは茜の髪の毛を引っ張り、無理やり体を持ち上げる。
そして、無抵抗の茜へ拳を好き放題叩き込む。
それでも、頑丈な茜の体は壊れない。
むしろ、ワンの拳の方が壊れてしまいそうだった。
自分の拳が軋む様に、ワンは口元を緩める。
「おぉ……なんという頑強さ。しかし―――、そうでなくては」
そしてまた、ワンは拳を茜に叩き込み続ける。
竜一は、その様子をモニター越しに見ていた。
「やめてくれ……頼むから、やめてくれ……」
訴えかけるように一人呟く。
これ以上、モニターを見ていられない。
そんな自分に情けなくなり、それと同時に怒りが込み上げてくる。
「うああああああああッ!」
手足に目いっぱい力を込めたが、鎖はびくともしない。
手首に血が滲むが、それを無視し力を入れ続ける。
歯を食いしばり、血管が千切れそうになるぐらい力を込める。
「くそっ!」
どうにもならない。人の力では、この鎖を千切ることは叶わない。
全身に力を込めもがいた。
体のバランスが崩れ、椅子ごと転倒。
「うっ!」
当然、受け身は取れない。左頬を地面に強打。
だが、そんなことはどうでもいい。痛みなどどうでもいい。
なんとかしろ。なんとかしなければ、茜が死ぬぞ。
そんなことあっていい筈がない。
自分のせいで茜が死ぬなんて、あってたまるか。
俺はまだ、何も彼女に返せていない。
何とかしろ。今、その義理を果たせ。
何とかしろ! 泉谷 竜一!
その時、竜一は感じた。
体が熱を帯びる感覚。細胞が活性化し、エネルギーが漲る。
「なんだ、これは……」
明らかな異常事態。
何がどうなっている。
更に、気が付いたことが一つ。
「煙……?」
体の表面から立ち上る煙。
体内で煮えたぎる熱が放出され、一瞬で気化する。
竜一は確信する。
自分を奮い立たせるため、敢えて言葉にする。
「やるぞ、泉谷 竜一」
ほんの少しだけ、腕に力を入れる。
手首に巻き付けられた鎖は、あっけなく千切れた。
馬鹿みたいに呆気なく、まるで紙で出来ているかの如く脆かった。
足首の鎖も同様に引きちぎる。
体が自由になり、竜一は立ちあがった。
目を閉じて、深く呼吸。
込み上げる怒りを抑え、頭をクリアする。
体が熱い。燃えるような熱さだ。
でも関係ない。茜を助けることさえ出来れば、この身が滅びようと関係ない。
「さあ、いくぞ」
竜一は、一歩踏み出した。




