13.夜に1
夢を見た。夢を見たのは久しぶりのような気がする。
しかも、これが夢だと自覚しながら夢を見ている。
確か、こういうのを明晰夢といったか。
俺は走っている。目的地は自分の家だ。
家には母がいて、俺の帰りを待っている。
背中にランドセルを背負いながら、子供の小さな歩幅で駆ける。
家に辿り着き、母に「ただいま!」と言ったあと、ランドセルを置いて「行ってきます!」と家を飛び出した。
一息つく暇もなく家を飛び出したのには訳がある。
友達と公園でサッカーをする約束があるのだ。
今日、俺は習い事もないし、仲の良い友達も都合がいいらしい。
だから、今日は思いっきり遊べる。
公園に到着した時、すでにみんな集まっていた。
友達に「遅いぞ!」と言われ、俺は「ごめん!」と一言。
それから友達の輪に入り、俺は体力の続く限り遊んだ。
走りたい放題走った。服が汚れるのもお構いなし。多少の擦り傷など気にも留めず、全身全霊で遊んだのだ。
体力の限界が来た時、誰かが「今日はここまでにしよう」と言った。
すでに日は暮れ、腹も減ってきた。俺は、その意見に賛同。
他の者からも賛成意見多数で、解散の流れとなる。
遊びが終わり、再び自宅へ。
家の玄関に踏み入った時、食欲をそそる香りが鼻を刺激する。
「カレーだ!」と叫んだ俺に、母は微笑む。
母に言われ、手を洗い、うがいを済ませカレーにありつく。
旨かった。途轍もなく旨かった。お代わりまでして腹を満たし、そのあと風呂に入り、好きなアニメを見て、学校から出された宿題をちょっとして、ベッドに潜り込んだ。
朝起きて、また学校へ。勉強して、遊んで、食べて、寝て。
そんな毎日がずっと続くのだと思っていた。
将来に対しての不安など一切ない。
将来のことなど考える必要がなかったし、考えようとも思っていなかった。
それでも、漠然と夢はあった。将来やりたいことはあった。
その夢は、ある日突然消え去った。
当たり前の日常と共に。
だけど、俺はまだ生きている。世界が変わってしまったが、まだ生きている。
文化も歴史も宗教も環境もそっくりの異世界。だから俺は、直ぐに異世界に適用できた。
だけど、ここには誰も居ない。父も母も妹も友達も先生も、誰も居ない。
誰も居ない世界に俺だけが居る。
それは、俺にとっては悪夢そのものだった。
異世界とは思えないような見慣れた世界。だか、そこには俺の見知った人は、誰も居ない。
頭がおかしくなりそうな強烈な違和感。
突然、目の前が真っ暗になる。
何も見えず、何も感じない。
何も分からない。自分の立っている位置も、目指すべき方向も。
俺は、どうすればいい?
どう進めばいい? どう生きればいい?
もう、何も分からない。
次第に、闇が俺の体を蝕む。
闇に浸食され、闇と同化する。
俺は抵抗しない。する必要がないと感じた。
あるがままを受け入れ、目を閉じた。
そして、全てが闇に包まれた。
「―――ハッ!」
目が覚めた時、最初に飛び込んできたのは茜の寝顔だった。
心臓が跳ね、竜一は飛び起きる。
ぐるっと周囲を見回すと、見知った場所。
窓は一つ。物は少ない。六畳一間のシンプルな部屋。
紛れもなく、竜一の自室であった。
そして竜一は思い出した。
そうだ。夕飯を食べ終わり、部屋で寛いでいたら、突然、茜が押しかけて来たのだ。
竜一の返事を待つことなく、部屋に踏み言った茜は、勝手に湯を沸かし始めた。
それから、竜一と自分の分のお茶を湯呑に注いだあと「聞いてよー、竜一君!」と言って、一方的に喋り始めた。話の内容は、茜の学校であった出来事。
面白い先生が居るだとか。授業が退屈だとか。女子から嫌味を言われたとか。
そういった他愛もない話。
それを聞いている内に、竜一は眠気を感じた。
これは珍しいことだ。
何だかんだいって、茜の話はスっと頭に入ってくるし、聞き心地もいい。だから、眠気を感じることは殆どないのだが、それほど疲れていたということか。
時刻は夜の十一時。
茜は寝息を立てながら眠っている。
明日は祝日なので、茜の通う学校も休みの筈だが、流石にこれ以上の長居は不味いだろう。
そう思い、竜一は茜を起こすため、行動を起こした。
茜の肩をそっと揺する。
「朽葉さん、そろそろ起きないと」
「―――ん、あれ? なんで竜一君が居るの?」
寝ぼけている様子の茜。
目を擦り、伸びをしたあと、ようやく状況を把握。
「ああ、そっか。寝ちゃったみたいだね」
竜一はホッと胸を撫でおろす。
「うん。時間も遅いし、そろそろ帰らないと。送っていくよ」
「竜一君」
「ん?」
「今日は帰りたくないの」
「―――えっ?」
返す言葉が出てこず、竜一は沈黙。
何と返すべきか、と考える竜一。
上目づかいで、何かを訴えるような表情の茜。
「―――ぷふっ」
沈黙を割ったのは、茜の笑い声。
「アハハッ! 冗談、冗談。竜一君、今、いやらしいこと考えたでしょー?」
ニヤニヤと笑みを浮かべる茜に、竜一は「あー、どうかな……」と苦笑いで返すしかなかった。
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「朽葉さん、やっぱり明日にしない?」
「いーから、いーから。ここまで来たら頂上目指そう!」
茜の威勢の良さに竜一は、げんなり。
また、茜の暴走が始まってしまった。
茜を自宅まで送るために外に出たは良いが、茜が突然言い出したのだ。
「赤星山に登ろう!」茜が放ったその一言は、竜一を驚かせた。
赤星山とは、この街に存在する山である。
山と言っても標高百八十メートルと低く、丘と言った方が良いかもしれない。
茜の突然の提案を竜一は却下。明日にしよう、と逆に提案したが、茜はそれを却下返し。
一人でも上ると言い出したので、さあ困った竜一。
夜の山へ女子高生を一人で行かせるわけにはいかない、という正義感が働き、竜一は、仕方なく同行しているという状況である。
街灯は無いので、携帯電話のライトを活用し、足元を照らしながら進む。
夜の山道は不気味だ。
夜風が吹き、木々が揺れる。静かな夜に二人の足音が響く。
何か出てきそうな雰囲気に、竜一は神経を尖らせる。
そんな竜一を差し置いて、茜は口笛を吹きながらどこ吹く風。
茜の豪胆さに感心半分、呆れ半分で竜一は茜の後ろを歩く。
土と砂利を踏みしめながら道なりを進むと、頂上が見えて来た。
「見えて来たよ!」
そう言って、茜は嬉しそうに駆けだした。
「走ると危ないって!」
竜一は、必死に茜のあとを追う。が、やはり速い茜。
茜の背中が見えなくなる。
嘘だろ……。
頂上に着いても、茜の姿が見えない。
ライトを掲げ、周囲に目を走らせても見当たらない。
一体、どこに?
「朽葉さん! どこ行ったの!?」
そう叫ぶ竜一の視界が、突然、真っ暗になった。
「なっ!?」
驚く竜一の背後で、茜の声が聞こえた。
「ちょっと、そのままね」
どうやら、茜の掌で目隠しをされているようだ。
「どういうこと!?」
「大丈夫、大丈夫。そのまま、ゆっくりと進んで」
混乱する竜一を優しく宥め、前に進むように指示する茜。
今更、茜のやることを一々考えても埒が明かないので、竜一は大人しく指示に従うことにする。
茜に目隠しをされながら、ゆっくりと歩を進める。
「ストップ!」
と聞こえたので、竜一は歩を止めた。
そして、視界が開ける。
竜一の視界に飛び込んできたものは、この街の景色。
夜の闇の中に輝く灯。
住宅街の疎らな光。駅前ビル群の強い発光。
無数に輝く灯に彩られたその風景は、絶景と言えるかもしれない。
「どう? 綺麗でしょ?」
「……うん。綺麗だ」
「ふふん、でしょ?」
得意気な茜を見て竜一は思う。
そうか。この景色を俺に見せたくて、ここまで連れて来てくれたのか。
心身の疲労感は否めないが、ここは感謝しておくべきか。
そう思い、竜一は、感謝の言葉を述べようするが、その前に茜が口を開いた。
「楽しんでくれて良かった。本当に」
「ん?」
「だって竜一君―――、元気なかったから」
「えっ?」
元気が無かった?
そうだろうか?
自覚は無かったが、と思った瞬間、あの言葉が頭をよぎる。
何も無い虚ろな炉。
思いのほか、俺はダメージを受けていたようだ。
「ハハッ」
自然と笑い声が漏れた。
馬鹿らしくなった。どうでも良くなったのだ。
自分の悩みが。
何も無い虚ろな炉。だから何だ。
それがどうした。知るかそんなこと。
俺は、この少女から沢山を貰った。
もう、貰いすぎているほど沢山。
だから、俺は大丈夫なんだ。
それがあれば、俺は生きていける。
「ありがとう、朽葉さん」
「うん!」
竜一は、茜に感謝した。言葉では伝えられないほど感謝している。
だから、それ故に、もうここまでにしなきゃいけない。
茜に、伝えなくちゃいけない。真実を。
俺に向けるその感情は、偽りであることを。
「朽葉さん、話があるんだ」
「ん? 何かな?」
竜一は、覚悟を決める。
長く息を吸い、深く呼吸。
「実は俺は―――」
「良くないなあ、君達」
竜一の言葉は、背後から聞こえる何者かの声にかき消された。
聞き覚えのある渋い声。
竜一は、とある人物をイメージしながら背後を振り返る。
ライトを掲げ、闇に溶け込む者の姿を映し出した。
そして、そこに居た人物は、イメージ通りの男の姿。
青髪。サングラス。黒いジャケットの体格の良い男。
何も無い虚ろな炉。竜一にトラウマを植え付けた男がそこに居た。




