念願の温泉
美人の湯と言う前評判から予想はしていたが、この手の温泉は、こういう世界では非常にありがたい。
ぬるっとした感触の湯で顔を洗いつつ、浴室に手足を伸ばす。
数十人単位で入れる規模の温泉をほぼ独り占めと言うのは何より贅沢だと思う。
露天風呂でないのは残念だが、ややぬるめの湯にのんびり浸かるのは実に良い。
「…で? いつまでこっちを無視する気かしら?
このお子様は?」
「まあまあ、リムちゃん。さすがのフォル君も騙し討ちをされて不機嫌なのよ、きっと…」
「すみません、フォル様。止めてはみたのですが」
半眼で睨んでくるリムとそれを宥めるルシア。申し訳なさそうに小さくなるアイシャ。この3人がいる方を見ることなくても、それぞれがどういう態度を取っているのか、分かるのは付き合いの長さより相手の分かりやすさが原因だと思う。
「まあ良いけど。
無駄に手の込んだことをしたなと呆れているだけだし」
そう言って肩を竦める。時間を潰し、1時間後に夕食の予定なのに俺とこの3人が風呂に入っていない状況を作りやがった。
「無駄じゃないわよ?
ここにいる3人ってフォル君とどういう関係?」
「従姉と姪と幼馴染み?」
「…そう言うひねくれた子はこういう目に合うのよ?」
いつの間にか背後に忍び寄っていたルシアが両頬を引っ張る。
「アガガ、イガイイガイ!」
「全く、しょうがないんだから。婚約者でしょ?」
「ああ痛い。…お前は違うだろうが、リム」
ルシアの手を振りほどいて、呆れた感じのリムに突っ込みを入れる。
今回の旅限定の偽婚約者だ。一緒に風呂に入った何て兄貴が聞いたら怒るんじゃないか?
「じゃっじゃん‼ リムちゃんは私の正妻権限で奥さんになりました‼」
「おい! もう一度言うぞ! おい‼」
って、しまった‼
あまりの内容にルシアとリムの方を向いて、突っ込みを入れてもうた。
慌てて、そっぽを向くが、その先にいたのは黒髪の狼少女で…。
「すまん!」
急いで目を閉じる。相手は14歳や12歳の子供なんだが、こっちはもっと年下だから妙に意識してしまう。
もう二次成長は始まっているんだな。若干の脹らみが見えてしまった。
「フォル様?
何を謝られているのです?」
そんな心底不思議そうに訊かれても…。
「さすがのフォル君も一緒のお風呂は恥ずかしかったかぁ。
少し悪のりし過ぎたね。
…リムちゃんが奥さんになることでセルラニアの後ろ楯を得られるのは理解できるでしょ?」
「……まあ」
貴族社会で最後に物を言うのはコネクションだ。第一子ながら、竜族の女であるリムがセルラニア王家を継ぐのは難しい。そんなリムを引き取れば盛大に恩を売れる。
……姪と結婚する倫理観に目を瞑れば。
「正直な話ね? フォル君の側室の4位以下に有力貴族の派閥の娘をずらっと入れてこようとする者が出ると思う。
そう言う時に他国の姫であるリムティエル様がいれば、防げる話でしょ?」
「奥さんの中に派閥を作って、外戚の連合を組んで伯爵家の利権に嘴を突っ込んでこようとする奴等か?」
例えば、この間やり込めたビスト候の派閥を始めとする中央貴族。或いは西部以外の地域の主流派に属さない貴族閥がアホなことを考えないとは言い切れん。
外戚を理由に影響力を利用しようとすれば、セルラニア王家を敵に回す結果になる。
「仮に1人だけでも他国の姫君を迎えれば起こり得るでしょ?」
そうなんだよな。正妻を伯爵家から迎えている。いくら西の王家と称されても、伯爵家は伯爵家。シースコンのお姫様とかルナスフィアでも侯爵や辺境伯の令嬢を迎えた場合には起こる可能性がある。
しかし、セルラニアの第一王女が側室の2位にいるなら、その手の策は全て潰せる。
覆せるならサザルラントの皇女様くらいか?
…無理だな。サザルラントはルナスフィア王国と直接貿易路がないから、影響力が下がる。
「納得した。それで外泊先で一緒の風呂に入って周囲にアピールするわけだな?」
何だ。外交政策の一環じゃないか?
「いきなりいつも通りのふてぶてしさが戻ってきたわね…」
「…ねえ、リムちゃん。本当にセルラニアはウチの従弟にどういう教育したの?」
「政治関連の教育なんてしてないわよ?
そもそもウチの王家と伯爵家じゃ状況が違うじゃない?」
「はい。フォル様は武術と読み書き、魔術の基礎を中心とした基本教育しか受けていません」
「…そうよね。本人の才能としか言えないのかしら?」
開き直った途端にこそこそと話し出す3人組。聞こえているんだが?
「嫌な才能だな?」
「アハハハ。ごめんごめん」
「悪気はないのよ?」
「すみません、そう言えばこのお湯変わっていますね?」
俺の皮肉で愛想笑いをする3人娘。俺としてもこの話題は少し避けたいし、アイシャの話題変更に乗るかね?
「俺の前世では、重曹泉と呼ばれていた温泉だ」
既に俺が転生者と知っている3人になら大ぴらな説明が出来て楽だと思いつつ、この温泉の効能とそれから思い付いた利益を話始める。
「重曹泉?」
「アイシャは俺が代用醤油を作った時にアルカリを簡単に説明したことを覚えているか?」
「はい。肉を溶かす性質の液体でしたよね?」
「ああ、この温泉はその時のアルカリ。水酸化ナトリウムに二酸化炭素、物が燃える時に出るガスの1つだが、それを吹き込んで作れる物質。
炭酸水素ナトリウムが溶けたお湯だろう」
「つまり、アルカリのお湯と言うことでしょうか?」
真っ青になるアイシャ。他の2人が普通にしているのに1人だけ青い顔になっているのが面白い、じゃなかった可哀想だからさっさと説明を続けよう。
「非常に弱いアルカリ性になっている。皮膚を溶かすほどの力はないさ。
だが、皮膚の奥の方の細かい汚れは落ちる。数日繰返し入れば、つるつるの綺麗な肌になっているだろうな」
日本でも美肌の湯で有名な温泉の系統だ。…石鹸が普及した現代で意味はあるのだろうか?
昔の石鹸が普及していない時代には美肌と皮膚の健康に重宝しただろうが?
「「「ふーん‼」」」
3人とも興味津々だな。
「当然、この風呂に入らなくなるとジワジワと元に戻る…」
「「「ウッ!」」」
「俺の前世ではこの温泉の代わりになる石鹸と言うものがあってな」
「それはどう言うものなの?」
「こういう弱いアルカリを油と混ぜて保存した物だ。水と混ぜると溶けてアルカリ液になる」
「それをお湯に溶かすのね!」
ああそう言う発想になるのか。
実物を見たことなければ分からないな。…入浴剤を作るのも良いな。
「布に水を付けた石鹸を擦り付け、それで体をまんべんなく拭いてからお湯で洗い流す。その前に肩までお湯に浸かってからだと効果が高い」
「フォル君。帰ったらお風呂を造りましょ!」
「もちろん、石鹸を忘れずにね!」
「お願いします。フォル様!」
…よく言うよね。女は美容に命を掛けるって。マジか?
それより、オセロのような娯楽や木炭を中心とした産業改革を優先したいんだけど。
諦めよう。この3人を敵に回すのは怖すぎる。
「…はい」
風呂や石鹸を始めとした衛生改革は出生率や健康寿命に直結するし、まず、そちらを優先することは理にかなっている。
…そうとでも思わないとやってけない。
我ながら状況を見る目がないな。と思いつつ外の景色を見ながらの風呂を堪能した。




