第60話 届かない力、守れない仲間
決勝トーナメント当日。
会場を埋め尽くす観客の歓声が、朝から街全体を揺らしていた。
予選を勝ち抜いた八人の冒険者が、いよいよ決勝の舞台へと集められる。観客席には立ち見の人々まであふれ、会場の外にも結果を見届けようとする人々が集まっていた。
その熱気の中心に、黒瀬恒一の姿があった。
「コウイチー! 頑張ってねー!」
観客席からコハクが大きく手を振る。頭の獣耳がぴんと立ち、尻尾も期待に揺れていた。
「声が大きいわよ、コハク」
エレナが苦笑しながらたしなめるものの、その視線は恒一から離れない。
「でも、あれだけ応援があれば心強いでしょうね」
セレスが穏やかに微笑む。
フィリアも腕を組み、舞台の様子を注意深く見つめていた。
「応援だけじゃない。今日は何かが起きるかもしれない。昨日見つけた黒い粉末も気になるし、運営側の動きも妙だった」
「ええ。だからこそ、私たちは試合を見るだけではなく、周囲の様子も調べる必要があるわ」
エレナの言葉に、三人はうなずいた。
昨日、会場の裏通路で見つけた黒い粉末。そして、不自然に同じ場所を何度も確認していた運営スタッフ。どちらも偶然と片づけるには不審な点が多かった。
恒一たちが大会に参加した本当の目的は、優勝することだけではない。
この街で相次いでいる冒険者の失踪事件。その背後にいる何者かの正体を突き止めることだった。
「……何も起きなければ、それが一番なんだけどな」
舞台袖で恒一は小さくつぶやいた。
その隣には、予選を勝ち抜いたダリオが立っていた。
「ずいぶん余裕そうだな、コウイチ」
「余裕なんてないさ。こういう大勢の前に立つのは、まだ慣れない」
「ふん。だったら、せいぜい観客の期待に押し潰されないことだな」
ダリオは腕を組み、挑むような目を向けた。
以前よりも敵意は薄れていたが、恒一に対する対抗心は相変わらずだった。
「お前と戦うのを楽しみにしていたんだ。今日こそ、お前の空間操作がどこまで通用するのか見せてもらう」
「俺も、手加減するつもりはないよ」
「言ったな」
ダリオが口元をつり上げた、そのときだった。
会場に鐘の音が響き渡った。
『皆様、大変長らくお待たせいたしました! これより、決勝トーナメントに進出した八名の選手を紹介いたします!』
司会者の声に、観客たちが一斉に沸き立つ。
選手たちは舞台の中央へと案内されていった。
最初に紹介されたのは、重厚な大剣を背負った大柄な冒険者だった。続いて、双剣を操る女性剣士、槍使いの青年、魔法を得意とする冒険者たちが順に名前を呼ばれていく。
そして、最後から二番目にダリオの名が響いた。
「ダリオ選手! 力強い剣技と優れた判断力で予選を突破した実力者です!」
観客席から歓声が上がる。
ダリオは短く手を上げ、観客に応えた。
最後に、司会者が一枚の名簿を掲げた。
『そして、予選で独特の空間操作を披露し、会場の注目を集めた期待の新人! 黒瀬恒一選手!』
「うおおおおっ!」
予想以上の歓声が上がった。
「銀髪の人、今日も来てるぞ!」
「獣耳の子もかわいい!」
「黒瀬選手の仲間たちもすごい美人ぞろいじゃないか!」
観客の視線が舞台だけでなく、観客席にいるリゼリアたちにも向けられる。
「……ずいぶん騒がしいわね」
リゼリアは涼しい顔を装っていたが、恒一に向けられる歓声を聞くたびに、わずかに目を細めていた。
「人気者ですね、恒一さんは」
セレスが微笑む。
「当然でしょ。コウイチは強いんだから!」
コハクは誇らしげに胸を張った。
エレナはそんな二人を見て苦笑しながらも、すぐに視線を会場の周囲へ戻した。
そのとき、彼女は妙なことに気づいた。
選手紹介が進むにつれて、運営スタッフたちが少しずつ配置を変えていたのだ。
観客席へ続く通路にいた者が、いつの間にか舞台の出口へ移動している。別のスタッフは、舞台の四隅にある装飾柱のそばで、何かを確認するようにうなずいていた。
「……おかしいわね」
「どうしたの、エレナ?」
フィリアが小声で尋ねる。
「スタッフの配置が変わっている。観客の誘導にしては、動きが不自然よ」
セレスも周囲を見渡した。
「確かに……。あの人たち、観客ではなく舞台の中央を気にしています」
フィリアは舞台の床に目を凝らした。
「昨日感じた魔力の揺らぎ……。もしかすると、ここ全体に何か仕掛けられているのかもしれない」
三人の表情が引き締まる。
だが、選手紹介はすでに最後の段階に入っていた。
八人の選手が、舞台中央に横一列に並ぶ。
大剣使い、双剣使い、槍使い、魔法使い。そしてダリオと恒一を含む、予選を勝ち抜いた八人。
司会者が高らかに宣言した。
『以上、決勝トーナメント進出者八名です! この八名が、これより王者の座をかけて激突します!』
観客の歓声が最高潮に達した。
その瞬間だった。
ドンッ――!
足元から、重い振動が突き上げた。
「な、何だ!?」
舞台の床に黒い筋が走る。
それはひび割れではなかった。黒い筋は生き物の血管のように脈打ち、八人の足元をつなぐように広がっていく。
「全員、動くな!」
恒一はとっさに叫んだ。
しかし、次の瞬間には床が大きく盛り上がった。
「うわあああっ!」
「何が起きている!?」
黒い肉塊が舞台の縁からせり上がり、壁のように立ち上がる。ぬめる表面には赤黒い筋が走り、脈打つたびに不気味な音を響かせていた。
それは魔法で作られた普通の壁ではなかった。
巨大な生物の肉体そのものが、舞台を覆い尽くそうとしているのだ。
「これは……魔物の肉体なの!?」
エレナが息をのむ。
黒い肉壁は瞬く間に伸び、舞台全体を囲い込んだ。天井まで閉ざされるように肉が盛り上がり、八人の選手は外界から完全に隔離されてしまう。
観客席では悲鳴が上がり、人々が出口へ殺到した。
「皆さん、落ち着いてください! 係員の指示に従って――」
司会者の声は、肉壁が閉じる轟音にかき消された。
舞台の内側に取り残された恒一は、周囲を見渡した。
「くそっ……! 全員、俺の近くに集まれ! 壁に不用意に触るな!」
ダリオが剣を抜き、肉壁をにらみつける。
「大会の仕掛けじゃないな……。こんなもの、聞いていないぞ!」
「当然だろ。誰かが俺たちを閉じ込めたんだ!」
恒一は《空間固定》を発動し、目の前の肉壁の一部を固定してみた。
だが、手応えがない。
空間を押さえ込む感覚は確かにあった。それなのに、肉壁の表面は固定された部分を避けるようにうごめき、別の箇所から膨れ上がってくる。
「……空間そのものを固定しても、壁の動きを止められないのか」
恒一は歯を食いしばった。
外側では、リゼリアたちがすでに動き出していた。
「恒一!」
リゼリアは肉壁へ駆け寄り、手をかざす。
「《ブラッドサッカー》!」
赤い閃光が走り、鋭い一撃が肉壁を打ち据えた。
しかし、壁は大きくへこんだだけで、すぐに元の形へ戻ってしまう。
「そんな……!」
コハクも爪を立てて攻撃し、フィリアは魔法を重ねて放つ。セレスは《次元防壁》を応用して攻撃の足場を作り、エレナは魔力の流れを探りながら弱点を探した。
それでも、肉壁は崩れなかった。
「攻撃を吸収している……? いえ、違う。受けた力を内部に取り込んで、再生に利用しているのかもしれない」
エレナの声に焦りが混じる。
リゼリアは唇をかみしめた。
「なら、再生する暇も与えずに破壊するまでよ!」
再び攻撃を放とうとした、そのとき。
肉壁の向こう側から、男の声が響いた。
『無駄だ。君たちの力では、その檻を破ることはできない』
全員が動きを止めた。
聞き覚えのある声だった。
会場の貴賓席から大会を見守っていた男――グレイヴの声だ。
『決勝トーナメントに進んだ八人。剣技、魔法、判断力、そして極限状態での生存能力。どれも私の研究に必要なものだ』
「グレイヴ……! お前が仕組んだのか!」
肉壁の内側で、恒一が声を張り上げる。
『そうだ。予選を勝ち抜いた者たちを、一か所に集める必要があった。八人全員を手に入れるためには、試合が始まる前が最も都合がいい』
グレイヴは、まるで計画の成功を喜ぶかのように続けた。
『試合を進めれば、勝者と敗者が生まれる。負傷者が出て、選手が舞台から離れることもある。だが、紹介の場なら違う。八人全員が、必ず同じ場所に集まる』
恒一の背筋に冷たいものが走った。
選手紹介は単なる儀式ではなかった。
八人を一度に捕らえるため、グレイヴが仕組んだ罠の発動条件だったのだ。
『この街で消えた冒険者たちも、私の研究に協力してもらっている。彼らの成果を踏まえ、君たち八人を加えれば、ようやく次の段階へ進める』
「協力だと……? 無理やり連れ去っただけだろ!」
ダリオが怒鳴った。
『言葉の選び方など、どうでもいい。重要なのは結果だ』
その声が途切れた直後、檻の床から黒い触手が伸びた。
「下がれ!」
恒一が叫ぶ。
触手は鞭のようにしなり、八人へ向かって襲いかかった。選手たちはそれぞれ武器を構え、魔法を放ち、攻撃をかわす。
恒一は《空間固定》を使って触手の進路を一瞬だけ止め、その隙に仲間のいない戦場で培った判断力を頼りに距離を取った。
しかし、触手は一本ではなかった。
床のあちこちから次々と伸び、壁そのものが八人を捕らえようと動き始める。
「こんなもの……!」
ダリオが剣を振り下ろす。触手は切断されたものの、切り口から新たな肉が盛り上がり、すぐに再生した。
さらに、檻の内側に薄い霧のようなものが広がり始める。
恒一は息を止め、違和感を覚えた。
「……何だ、この空気」
身体が、わずかに重い。
魔力を使おうとすると、普段よりも力が入らない。ほかの選手たちも異変に気づいたらしく、動きが目に見えて鈍くなっていた。
「力が……抜けていく……!」
「魔力まで吸われているのか!?」
グレイヴの声が、再び檻の中に響く。
『この肉体は、獲物の力を取り込みながら成長する。抵抗すればするほど、君たちは消耗していく』
恒一は拳を握りしめた。
外にはリゼリアたちがいる。彼女たちも必死に突破口を探しているはずだ。
それなのに、自分は檻の中に閉じ込められ、仲間を守るどころか、助けを待つしかない。
「……ふざけるな」
声が震えそうになるのを、恒一は必死に抑えた。
「俺は、ここで終わるわけにはいかない。あいつらを……仲間を守るんだ」
触手が再び襲いかかる。
恒一は最後の力を振り絞って身をかわしたが、足元がふらつき、片膝をついた。
視界が揺れる。
魔力が削られ、身体も重い。空間を操ろうとしても、思うように力が届かない。
それでも、恒一は顔を上げた。
「まだだ……。まだ、何かできるはずだ……!」
黒い肉壁が脈打つ。
八人を閉じ込めた檻は、少しずつその内側を狭めていた。
そして外では、リゼリアたちが歯を食いしばりながら、何度も何度も肉壁へ攻撃を叩き込んでいた。
だが、その壁はびくともしない。
恒一たち八人を救うための時間は、確実に失われていく。
決勝トーナメントは、始まることすらなかった。
本当の戦いは、誰も予想しなかった形で幕を開けたのだった。




