第59話 武闘会の正体
決勝トーナメントを翌日に控え、武闘会の会場は朝から準備に追われていた。
予選を勝ち抜いた八人の冒険者は、すでに決まっている。明日はその八人がトーナメント形式で戦い、最後まで勝ち残った者が優勝者となる。
星1の時空士でありながら予選を突破した黒瀬恒一は、今大会の注目選手の一人になっていた。
「黒瀬選手、明日も頑張ってくれよ!」
「優勝、期待してるぞ!」
会場の近くを歩くだけで、そんな声が飛んでくる。
恒一は少し照れくさそうに頭を下げた。
「ありがとうございます。できる限り頑張ります」
「ずいぶん人気者になったわね」
隣を歩くリゼリアが、楽しそうに微笑んだ。
「まだ優勝したわけでもないのに、騒がれすぎだよ」
「実力を認められたということです。謙遜する必要はありません」
エレナが淡々と答える。
「そうそう! コウイチは強いんだから、もっと自信を持っていいんだよ!」
コハクの尻尾が嬉しそうに揺れた。
「ただし、浮かれて油断するのは駄目ですよ。決勝トーナメントに残った方々は、皆さん相応の実力者ですから」
セレスの言葉に、恒一はうなずいた。
「分かってる。明日は相手の動きをよく見て、無理をしないようにするよ」
「その意気よ。あなたには、まだ見せていない力があるのだから」
フィリアが腕を組む。
「でも、私たちが今日ここに来た目的は、恒一の応援だけじゃないわ」
その一言で、全員の表情が引き締まった。
行方不明になった冒険者たち。現場に残されていた黒い粉末。そして、大会の開催を提案した謎の支援者、グレイヴ。
それぞれの関係は、まだ明らかになっていない。
だが、昨日の予選会場で見つけた不審な係員と黒い粉末は、無視できない手がかりだった。
「今日は試合がありません。その分、会場の裏側を調べる時間があります」
エレナが周囲を確認しながら言った。
「運営関係者の出入りや、魔力の流れに不自然な点がないか調べましょう」
「私も匂いを確認するよ。前に見つけた黒い粉と同じものがあれば、気づけるかもしれないし!」
コハクが元気よく手を挙げる。
「私は魔力の痕跡を調べます。セレスは周辺の人々から話を聞いてもらえますか?」
「はい。大会の準備に関わっている方々にも、さりげなく尋ねてみます」
それぞれの役割が決まった。
「俺はどうすればいい?」
恒一が尋ねると、リゼリアが即座に答えた。
「あなたは私たちと一緒に行動すること。勝手に一人で動かないでね」
「……分かった」
こうして五人は、会場の調査を始めた。
◇
最初に向かったのは、選手控え所の裏手だった。
昨日、エレナたちが不審な係員を目撃した場所だ。表の通路には大会関係者が行き交っていたが、裏手には人影が少なく、倉庫がいくつも並んでいる。
コハクは周囲の匂いを確かめながら、石畳を注意深く調べていた。
「……あっ、あった!」
彼女がしゃがみ込んだ場所には、石畳の継ぎ目に黒い粒が残っていた。
エレナが手袋をはめ、小さな容器に採取する。
「以前のものと似ていますね。少なくとも、偶然に落ちた土や砂とは違うように見えます」
「魔力はどう?」
恒一が尋ねた。
「ごく微弱ですが、痕跡はあります。ただ、属性や用途までは特定できません」
エレナは容器を閉じた。
「これだけで、行方不明事件との関係を断定することはできません。でも、昨日も今日も大会会場で見つかるというのは気になります」
リゼリアも周囲に意識を向けていた。
「……ここには、わずかに違和感が残っているわ」
「違和感?」
「ええ。空間そのものが変化した、とまでは言い切れない。でも、何かを無理に押し広げたような感覚があるの」
恒一は石畳を見つめた。
自分の《空間固定》とは違う感覚なのだろうか。今の情報だけでは判断できない。
「この痕跡が、俺の能力と関係している可能性は?」
「否定はできないわ。でも、あなたの力と同じものだと決めつけるのは早いでしょう」
リゼリアは慎重に答えた。
「だからこそ、調べる必要があるのよ」
そのとき、倉庫の扉が開いた。
「おい、そこで何をしている?」
現れたのは、昨日も見かけた係員だった。
男は五人を見るなり、露骨に顔をしかめた。
「ここは関係者以外、立ち入り禁止だ。すぐに出ていけ!」
「申し訳ありません。道を確認していただけです」
セレスが穏やかに応じる。
「道を確認するなら表へ戻れ。ここには用がないはずだ」
男の視線が、エレナの手元に向いた。
「……その容器は何だ?」
「採取した石の欠片です。調査の参考にしようと思いまして」
「勝手なことをするな!」
男は必要以上に強い口調で言い放った。
恒一はその反応に違和感を覚えた。
ただの係員なら、立ち入り禁止だと告げれば済むはずだ。なぜ、採取したものまで気にするのだろう。
しかし、ここで問い詰めても、相手が口を割るとは思えなかった。
「分かりました。すぐに戻ります」
恒一が答えると、男はようやく倉庫の中へ引き返した。
五人はその場を離れ、人目の少ない場所まで移動した。
「明らかに警戒されていましたね」
エレナが言う。
「ええ。あの反応を見る限り、あの場所に何か知られたくないものがある可能性は高そうね」
リゼリアは腕を組んだ。
「ただし、あの係員が事件の犯人だとは限りません。今は証拠を集めるべきです」
セレスの言葉に、恒一もうなずいた。
「無理に踏み込むのはやめよう。まずは、ほかの場所も調べてみる」
五人は会場の外周へと向かった。
◇
会場の外周では、観客席の増設や明日の試合に向けた設備の確認が行われていた。
コハクは作業員たちの邪魔にならないように歩きながら、地面や荷物の匂いを確かめていく。
その一方で、セレスは大会の準備に携わる人々に話を聞いていた。
「すみません。昨日から、会場の設備に何か変更はありましたか?」
「設備かい? 決勝トーナメントに向けて、観客席を増やしたくらいだな」
荷物を運んでいた男性が答える。
「地下の設備などは、普段から使われているのでしょうか?」
「地下? いや、俺は聞いていないな。資材置き場なら、あっちの倉庫だが」
男性は首を傾げた。
別の作業員にも尋ねてみたが、地下設備について詳しく知る者はいなかった。
セレスは礼を述べて、仲間たちのもとへ戻った。
「地下に何かあるという確かな情報は得られませんでした。ただ、会場の設営を担当している方々の中にも、詳しい構造を知らない方がいるようです」
「大会の運営が外部の人間に任せている部分があるのかもしれませんね」
エレナが考え込む。
「グレイヴが資金を提供していることと関係があるのでしょうか」
「その可能性はあるわ」
リゼリアが答えた。
「でも、資金を出しているからといって、彼が事件に関係しているとは限らない。まずは彼が何者なのか、確認する必要があるわね」
恒一は、以前アリシアから聞いた話を思い出していた。
グレイヴは大会の開催費用を負担すると申し出た支援者だ。アリシアは身元や資金の出所を調べるよう指示していたが、まだ十分な情報は得られていない。
「一度、アリシアさんに報告したほうがいいな」
「そうですね。彼女なら、運営側の情報も確認できるはずです」
エレナがうなずいた。
五人は調査をいったん切り上げ、領主の館へ向かうことにした。
◇
領主の館では、アリシアが執務室で報告を受けていた。
「大会会場でも黒い粉末が見つかったのですね」
採取した容器を確認しながら、彼女は眉を寄せた。
「はい。以前のものと同じかどうかは、まだ確認できていません。ただ、運営関係者が不自然な反応を示しました」
エレナが説明する。
「それに、会場の裏手では魔力の痕跡も見つかっています。現時点では、それが何を意味するのかまでは分かりません」
「分かりました。会場の警備責任者に確認します。ただし、確かな証拠がない以上、係員を一方的に疑うことは避けたいですね」
アリシアはすぐに指示を出すのではなく、報告内容を一つずつ整理した。
「グレイヴ氏については、身元と資金の出所を引き続き調べています。今のところ、表立って不審な点は見つかっていませんが、調査は終わっていません」
「大会を中止することはできませんか?」
フィリアが尋ねた。
「可能ではあります。ただ、現時点では大会そのものに危険があるという確かな証拠がありません。中止すれば混乱が起こる可能性もあります」
アリシアは苦い表情を浮かべた。
「もちろん、参加者の安全を軽視するつもりはありません。警備を強化し、異常があればすぐに中断できる体制を整えます」
「ありがとうございます」
恒一は頭を下げた。
「明日は俺も試合に出ます。試合中に何か異常を感じたら、すぐに伝えます」
「お願いします。ただし、あなた自身の安全を最優先にしてください。無理をしてまで調査を進める必要はありません」
アリシアの言葉は真剣だった。
恒一はうなずいた。
彼女もまた、行方不明になった冒険者たちを救おうとしている。その責任を一人で背負わせるわけにはいかなかった。
「俺たちも、できる限り協力します」
「ありがとうございます。皆さんの力を借りられるのは心強いです」
アリシアは五人を見渡し、深く頭を下げた。
館を出た後、恒一は仲間たちに向き直った。
「明日は、試合と調査を並行して進めることになるな」
「そうね。ただ、試合中に何かあっても、あなたが一人で解決しようとしないこと」
リゼリアが念を押す。
「何度も言われなくても分かってるよ」
「本当に?」
「……気をつけます」
恒一の返答に、コハクが笑った。
「コウイチ、リゼリアにはかなわないね!」
「そうみたいだな」
恒一も苦笑した。
いつものやり取りに、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
だが、彼らが知らないところで、事態はすでに動き始めていた。
◇
同じ頃、武闘会の会場から離れた建物の地下。
窓のない部屋で、グレイヴは机の上に並べられた書類を眺めていた。
そこには、行方不明になった冒険者たちの名前と、彼らの職業、能力、戦闘経験などが記されている。
その隣には、決勝トーナメントに進出した八人の情報があった。
「予定どおり、八人がそろったか」
グレイヴは満足そうに微笑んだ。
「はい。明日の試合に向け、会場の準備も整っております」
控えていた男が答える。
「警備はどうなっている?」
「表向きの警備に変更はありません。裏手の出入口も、こちらで管理しています」
「よろしい。余計な邪魔が入らぬようにしておけ」
グレイヴは一枚の書類を手に取った。
そこに記されているのは、黒瀬恒一の名前だった。
「星1の時空士……。報告にあったとおり、空間に干渉する能力を持っているようだな」
「はい。予選でも、相手の動きを乱して勝利しています」
「興味深い。あの能力が、どこまで通用するのか見てみたいものだ」
グレイヴは書類を机に戻した。
彼が大会を開催した目的は、冒険者たちに名誉や賞金を与えることではない。
優れた戦闘能力を持つ者を一か所に集め、選別すること。そして、彼らを自らの計画に利用することだった。
すでに何人もの冒険者が姿を消している。
その失踪に関わっているのも、グレイヴだった。
彼は机の奥にある扉へ目を向けた。
その向こうには、薄暗い空間が広がっている。床や壁には黒い紋様が刻まれ、奥では巨大な影がゆっくりとうごめいていた。
生き物の肉のような表面が、呼吸するように膨らんでは縮む。
「明日、決勝トーナメントが始まれば、最後の準備も整う」
グレイヴの声が、静かな部屋に響いた。
「選ばれた八人には、存分に力を発揮してもらおう。そして、その力がどこまで通用するのか、確かめさせてもらう」
彼は扉を閉め、再び書類に目を落とした。
黒瀬恒一。
その名前の横に、グレイヴは小さく印をつけた。
◇
夕暮れの宿屋。
恒一たちは、翌日に備えて早めに休むことにした。
今日の調査で分かったことは多くない。黒い粉末らしきもの、魔力の違和感、不審な係員、そして会場の設備について詳しく知らない作業員たち。
どれも決定的な証拠ではなかった。
それでも、いくつもの小さな疑問が同じ方向を指しているように思えた。
「明日は、何かが起きるかもしれないわね」
リゼリアが窓の外を見ながら言った。
「俺もそう思う。グレイヴが関係しているかどうかは分からないけど、警戒しておく必要はある」
「私たちは引き続き会場を調べます。何か見つけたら、すぐに連絡します」
エレナが言う。
「私も周囲を確認します。危険な兆候があれば、恒一さんを試合から離れさせることも考えなければなりません」
セレスの言葉に、恒一は少しだけ苦笑した。
「できれば、試合の途中で引きずり出されるのは避けたいな」
「なら、危険なことをしないことね」
フィリアが即座に返す。
「分かったよ」
コハクが恒一の袖をつまんだ。
「明日も勝ってね、コウイチ! みんなで応援してるから!」
「ああ。みんなが調べてくれている間、俺は俺にできることをする」
恒一は仲間たちを見渡した。
彼女たちがいてくれるから、安心して戦える。だからこそ、無茶をせず、必ず戻ってこなければならない。
リゼリアは静かに微笑み、彼の手を取った。
「約束よ。必ず、みんなのところへ帰ってくること」
「約束する」
その夜、五人は明日の決勝トーナメントに備えて休んだ。
会場では、翌日の試合に向けて最後の準備が進められていた。
観客席は整えられ、選手の入場経路も確認され、運営関係者たちは予定どおりに作業を終えていく。
誰もが、明日も華やかな武闘会が開かれると信じていた。
しかし、会場の地下深くでは、黒い紋様がゆっくりと輝きを増していた。
巨大な肉の塊が、壁の向こうで脈打つ。
その表面から伸びた無数の細い筋が、床に刻まれた紋様とつながっていた。
明日、八人の冒険者が闘技場に集まったとき、この仕掛けは動き出す。
彼らが勝利を目指して戦うために集まった場所は、すでに敵の用意した罠の一部になっていた。
そして、恒一たちがその真実を知る頃には――逃げ道は、閉ざされているかもしれない。




