第58話 決勝トーナメントの八人
武闘会の予選は、朝から熱気に包まれていた。
東広場に設けられた闘技場では、次々と冒険者たちが試合に臨み、勝者には歓声が、敗者には惜しみない拍手が送られている。普段は依頼の奪い合いや魔物討伐に明け暮れている冒険者たちにとって、腕を競い合える機会は貴重だった。
そんな会場の一角で、黒瀬恒一は次の試合を待っていた。
「コウイチ、次も勝てそう?」
コハクが隣から顔をのぞき込む。茶色の獣耳は期待に満ちてぴんと立ち、尻尾も楽しげに揺れていた。
「勝てるかどうかは、相手を見てからだな。油断するつもりはないよ」
「ふふっ。そういうところ、コウイチらしいわね」
リゼリアが微笑む。銀髪が陽光を受けて輝き、赤い瞳には恒一への信頼が浮かんでいた。
「でも、あなたなら問題ないでしょう。昨日の試合も、相手を傷つけずに勝利したのだから」
「相手が油断してくれたおかげだよ。俺の能力は、正面から力比べをするには向いていないからな」
「だからこそ、使い方が重要なのです」
エレナが冷静に付け加えた。
「相手の力を受け止めるのではなく、相手が力を発揮する瞬間を見極める。昨日の試合で、あなたはそれを実践していました」
「エレナの言うとおりです。力の大小だけでは、勝敗は決まりませんから」
セレスも穏やかにうなずく。
「まったく、みんなして褒めすぎだって」
恒一が苦笑すると、フィリアが腕を組んだ。
「褒められるうちに褒められておきなさい。勝ち進めば、相手だってあなたの戦い方を研究してくるんだから。次からは簡単にはいかないわよ」
「それは分かってる」
恒一は闘技場へ目を向けた。
予選は一度勝てば終わりではない。決勝トーナメントに進めるのは、数多くの出場者の中から選ばれた八人だけだ。相手が強くなるほど、わずかな判断ミスが敗北につながる。
そして、彼にとって大会は単なる腕試しではなかった。
行方不明になった冒険者たち。その現場に残されていた黒い粉末。大会を提案した謎の支援者、グレイヴ。
すべてがつながっているとは限らない。だが、疑わしい点がある以上、確かめる必要があった。
「黒瀬選手、次の試合です!」
係員の声が響く。
「行ってくる」
「ええ。見ていますから」
リゼリアの言葉に背中を押され、恒一は闘技場へと歩き出した。
対戦相手は、長柄の斧を扱う中年の冒険者だった。腕や肩には古傷があり、長年の実戦で鍛えられた体つきをしている。
「お前が噂の時空士か。昨日の試合は見せてもらったぞ」
男は斧を肩に担ぎ、鋭い目を向けた。
「だが、俺の間合いに入れると思うなよ。小細工だけで勝てるほど、武闘会は甘くない」
「肝に銘じておきます」
恒一は礼をして、静かに構えた。
開始の合図と同時に、男が動く。
長柄の斧が唸りを上げ、横薙ぎの一撃が迫った。恒一は後方へ跳び、斧の軌道をぎりぎりでかわす。男は休む間も与えず、踏み込んで二撃目を放った。
重い。しかも、見た目以上に速い。
まともに受ければ吹き飛ばされる。距離を取るだけでも、長い間合いを持つ相手に主導権を握られてしまう。
恒一は斧の柄を注視した。
男が三度目の攻撃を繰り出した瞬間、恒一は《空間固定》を発動する。
斧そのものを止めたわけではない。男が踏み込む足元、そのわずかな空間に干渉し、動きの流れを一瞬だけ乱したのだ。
「なにっ!?」
踏み込みがわずかに狂う。
その一瞬で十分だった。
恒一は斧の軌道の内側へ滑り込み、相手の懐へと入る。男が柄を引き戻すより早く、その肩へ手を添えた。
「失礼します!」
体の向きをずらし、相手自身の勢いを利用する。
男の巨体がぐらりと傾き、片膝が地面についた。
「そこまで! 勝者、黒瀬恒一!」
審判の宣言が響いた。
一瞬の静寂の後、会場がどっと沸いた。
「また勝ったぞ!」
「今の、何をしたんだ!?」
「相手の攻撃を避けただけじゃない。懐に入るタイミングが絶妙だった!」
「星1の時空士って話じゃなかったのか?」
驚きと称賛が入り混じった歓声が、闘技場を包み込む。
恒一は男に手を差し伸べ、立ち上がるのを助けた。
「ありがとうございました。危うく一撃をもらうところでした」
「ははっ、よく言う。こっちは何度も仕掛けたのに、一度もまともに捉えられなかったぞ」
男は豪快に笑い、恒一の肩を軽く叩いた。
「力で勝てない相手に、力で挑んでも仕方ないってことか。勉強になったぜ」
「俺も、少しでも判断を誤っていたら負けていました」
「謙遜するな。次も頑張れよ、時空士!」
男の言葉に、周囲から再び歓声が上がった。
観客席で見守っていたコハクは、両手を口元に添えて叫んだ。
「コウイチ、すっごーい!」
尻尾がぶんぶんと揺れ、隣にいたリゼリアが思わず笑う。
「あなた、少しは落ち着きなさい。周りの人まで驚いているわよ」
「だって、コウイチが勝ったんだよ!」
「それは私も嬉しいけれど……」
そう言いながら、リゼリアもどこか誇らしげだった。
すると、近くの観客たちが彼女たちに気づいた。
「あれ、黒瀬選手の仲間か?」
「銀髪の人、すごい美人だな……」
「隣の獣耳の子もかわいいぞ!」
「後ろの魔法使いたちも、雰囲気が違うな」
思いがけず注目を浴び、コハクはきょとんとした。エレナは少し困ったように眼鏡を直し、セレスは礼儀正しく会釈する。フィリアは聞こえていないふりをしたが、耳の先がわずかに赤くなっていた。
「……ずいぶん騒がしい会場になりましたね」
エレナが小声で言う。
「恒一さんの活躍が、それだけ注目されているのでしょう」
セレスが微笑んだ。
「私たちまで目立つのは、少々予想外ですが」
「いいじゃない! みんな、コウイチの仲間だって分かってくれたんだよ!」
コハクは嬉しそうに胸を張る。
「そうね。あの人の隣に立つ以上、私たちも恥ずかしい姿は見せられないわ」
リゼリアの言葉に、ほかの三人も表情を引き締めた。
彼女たちは今日、予選に出場するつもりはない。恒一を応援するためだけに来たわけでもなかった。
大会の裏に潜む不審な動きを調べる。それが、彼女たちに与えられた役割だった。
恒一の試合が続く一方で、女性陣は観客席や選手控え所、運営関係者の動きを注意深く観察していた。
最初に異変を指摘したのは、エレナだった。
「……あの係員、少し気になりますね」
彼女の視線の先には、腕章をつけた男がいた。試合の進行を確認する係員らしいが、選手の勝敗よりも、控え所の出入口を何度も気にしている。
「さっきから同じ場所を往復しています。何かを待っているようにも見えますね」
「匂いも、少し変だよ」
コハクが鼻をひくつかせた。
「魔物の匂いじゃないけど、あの辺りだけ、変な匂いがする。昨日見つけた黒い粉の匂いに、ちょっと似てるかも」
「確かですか?」
セレスが声を落とす。
「うーん……そっくりってわけじゃないよ。でも、なんとなく引っかかる」
「なら、近づいて確認しましょう。ただし、相手に気づかれないように」
リゼリアが静かに告げた。
五人は目立たないように場所を移し、係員の行動を追った。観客たちの視線が彼女たちにも向けられる中、エレナは周囲の魔力の流れを慎重に探る。
しかし、明確な異常は感じ取れなかった。
「魔力の痕跡は、ごく薄いですね。これだけでは、何かが行われているとは断定できません」
「黒い粉末との関係も、まだ分からないということですね」
セレスが確認する。
「はい。ですが、運営関係者の行動としては不自然です。引き続き観察する価値はあります」
リゼリアは係員の姿を目に焼きつけた。
「恒一には、後で伝えましょう。今は試合に集中させてあげたいわ」
その頃、恒一は次の試合へ向かうところだった。
勝ち進むたびに、観客の反応は変わっていく。最初は物珍しさから向けられていた視線が、今では純粋な期待へと変わり始めていた。
「次も黒瀬選手が勝つんじゃないか?」
「いや、次の相手は相当な実力者らしいぞ」
「それでも、あの動きは侮れない」
そんな声を背に、恒一は闘技場へ上がった。
次の相手は、炎属性の魔法を扱う若い冒険者だった。
「あなたが噂の時空士ですね。ぜひ、その力を見せてもらいたい」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
開始の合図が響く。
相手は距離を取り、連続して火球を放った。恒一は左右に動きながら回避する。火球の着弾地点で砂埃が舞い、観客席から緊張した声が上がった。
相手は魔法の軌道を変え、恒一の逃げ道を塞ごうとする。
だが、恒一は逃げ続けなかった。
火球が地面に当たる直前、彼は《空間固定》を短く発動する。魔法そのものを消し去るのではなく、爆発の余波で舞い上がる砂や、相手の視線が乱れる一瞬を利用して、進路を変えた。
相手が次の魔法を構えたときには、恒一はすでに間合いを詰めていた。
「しまっ――!」
恒一は相手の腕を軽く押さえ、魔法を放つ動きを止める。続けて足元へ踏み込み、体勢を崩した。
相手が地面に手をついたところで、審判が試合を止めた。
「勝者、黒瀬恒一!」
今度の歓声は、先ほどよりも大きかった。
「魔法使い相手にも勝ったぞ!」
「ただ避けているだけじゃない。相手の動きを読んでいるんだ!」
「黒瀬! 次も見せてくれ!」
恒一は観客に軽く頭を下げた。胸の内では安堵していたが、同時に気も引き締めていた。
勝ち方を見られれば、相手も対策を考える。次は、今までのようにはいかないかもしれない。
試合の合間、恒一は仲間たちのもとへ戻った。
「お疲れさまです、恒一さん。見事な判断でした」
セレスが水筒を差し出す。
「ありがとう。みんなのほうは、何か分かった?」
その問いに、エレナが声を潜めた。
「不審な係員を見つけました。控え所の出入口を何度も確認していましたし、周辺には黒い粉末に似た匂いもあったそうです。ただし、まだ証拠はありません」
「私も、あの男の動きは気になったわ。大会の進行を見ているというより、特定の誰かが来るのを待っているようだった」
リゼリアの表情は真剣だった。
「無理に追えば、こちらの存在を警戒されるかもしれません。今は動きを記録して、隙を待ちましょう」
「分かった。俺も試合中に気をつけてみるよ」
「ただし、あなたは自分の試合に集中すること。調査は私たちに任せて」
リゼリアが念を押す。
「一人で無茶をするのは、禁止ですからね」
エレナも続けた。
「分かってるって」
恒一が苦笑すると、フィリアがじろりと睨んだ。
「その返事、前にも聞いた気がするんだけど?」
「……気をつけます」
「最初からそう言いなさい」
そのやり取りに、コハクが声を立てて笑った。
緊張の続く調査の中でも、いつもの仲間らしい空気は変わらない。恒一はそれに支えられながら、再び闘技場へと向かった。
午後に入ると、予選は一気に進んだ。
恒一は相手の武器や戦い方を見極め、必要以上に攻撃を受けず、隙を突いて勝利を重ねた。力任せに押し切ることはない。相手の踏み込みを誘い、攻撃の軌道を見て、空間操作を最小限に使いながら勝機を作り出していく。
勝つたびに、観客席から彼の名が聞こえるようになった。
「黒瀬選手、また勝ったぞ!」
「次の試合も見逃せないな!」
「星1の時空士が、ここまで勝ち進むなんて!」
その声を聞くたび、コハクは嬉しそうに尻尾を振り、リゼリアは誇らしげに微笑んだ。エレナは恒一の動きを分析し、フィリアは次の相手の特徴を指摘する。セレスは彼の疲労を気遣いながら、周囲の様子にも目を配っていた。
一方、彼女たち自身にも、会場の人々から声がかかるようになっていた。
「黒瀬選手の仲間の方ですよね? 皆さんも冒険者なんですか?」
「応援している姿が素敵ですね!」
「銀髪のお姉さん、すごく綺麗だ……」
「獣耳の子、笑顔がかわいい!」
「えっ、あたし?」
コハクは自分を指さし、目を丸くした。
「そうそう! 君だよ!」
「えへへ……ありがと!」
素直に笑顔を返すと、観客からまた歓声が上がった。
「ちょっと、コハク。愛想を振りまきすぎよ」
フィリアが呆れたように言う。
「えー、褒めてくれたんだから、お礼を言っただけだよ?」
「別に悪いとは言ってないわよ」
フィリアは顔を背けた。
そんな彼女にも、魔法使いらしい凛とした雰囲気と、時折見せる素直な反応に惹かれた観客が声をかける。エレナは知的な美しさを、セレスは穏やかな気品を、リゼリアは近寄りがたいほどの華やかさを、それぞれ印象づけていた。
だが、彼女たちは人気を楽しむだけではなかった。
観客の反応に紛れながら、運営関係者の配置、控え所への出入り、会場の隅に置かれた荷物などを確認していた。ときおり見かける黒い腕章の係員は、やはり同じ通路を行き来している。
そして、エレナはもう一つ気づいていた。
「……試合が進むにつれて、係員の数が増えています」
「警備を強化しているだけじゃないの?」
フィリアが尋ねる。
「その可能性はあります。ただ、増員された人たちが観客席よりも、選手控え所の周辺に集中しています」
セレスの表情も曇った。
「行方不明になった冒険者たちも、こうした場所に出入りしていたのでしょうか」
「まだ分からないわ。でも、見過ごすわけにはいかない」
リゼリアは静かに告げた。
そのとき、会場の中央で大きな鐘が鳴った。
「予選、全試合終了!」
審判長の声が広場に響き渡る。
「これより、決勝トーナメント進出者八名を発表する!」
会場が静まり返った。
恒一は選手たちの列に並び、発表を待つ。ここまでの試合で体には疲労がたまっていたが、まだ戦える。何より、ここで立ち止まるわけにはいかなかった。
一人、また一人と名前が読み上げられる。
実績ある剣士。魔法を自在に操る冒険者。大柄な戦士。予選を勝ち抜いた者たちは、いずれも確かな実力を持つ顔ぶれだった。
そして――。
「黒瀬恒一!」
一瞬の間を置いて、会場から歓声が沸き上がった。
「やっぱり来たぞ!」
「時空士が決勝トーナメント進出だ!」
「次はどんな戦いを見せてくれるんだ!?」
恒一は静かに一礼した。
観客席では、コハクが飛び跳ねんばかりに喜び、リゼリアたちは笑顔で彼を迎えていた。
「おめでとう、恒一さん」
セレスの言葉に、恒一はうなずいた。
「みんなのおかげだよ。調査のほうは、どうだった?」
「気になることは増えましたが、決定的な証拠はありません」
エレナが答える。
「ただ、予選が終わってからも、控え所の周辺に人が集まっています。明日はさらに注意して観察する必要がありそうです」
「分かった。俺も警戒しておく」
恒一は八人の進出者を見渡した。
その中には、鋭い目つきでこちらを見ているダリオの姿もあった。彼もまた、予選を勝ち抜いていた。
「黒瀬。ずいぶん派手に勝ち上がったじゃないか」
ダリオが近づき、挑むように笑う。
「次は決勝トーナメントだ。ここからは、今までみたいに簡単にはいかないぞ」
「そうだな。お互い、全力でやろう」
恒一が手を差し出すと、ダリオは一瞬だけ意外そうな顔をした。それから、その手を強く握り返す。
「当然だ。俺が勝つけどな」
「それは試合で決めよう」
二人は手を離した。
その様子を見ながら、リゼリアは小さく息をついた。
「まったく。男というのは、どうしてこう勝負事になると張り合うのでしょうね」
「でも、いいじゃない。二人とも本気なんだよ」
コハクが笑う。
しかし、彼女たちの視線はすぐに、選手控え所の奥へと戻った。
そこでは、例の係員が誰かに小さな紙片を手渡していた。受け取った男は、周囲を警戒するように見回すと、足早に建物の奥へ消えていく。
エレナはその一連の動きを見逃さなかった。
「……今のは、見ましたか?」
「ええ」
リゼリアの赤い瞳が細められる。
「明日は、あの奥を調べる必要がありそうね」
決勝トーナメントへ進んだ八人。盛り上がる観客。恒一の名を呼ぶ声。そして、会場の裏側で続く不可解な動き。
武闘会は、これからが本番だった。
恒一はまだ知らない。
自分が勝ち進むことこそ、敵の望んだ展開なのかもしれないということを。
そして、明日の決勝トーナメントが、ただの武闘会では終わらないことも――。




