第57話 予選開始、期待のルーキー
翌朝、街の東側にある武闘会の会場は、大勢の人々で賑わっていた。
広場の中央には円形の闘技場が設けられ、その周囲には観客席や参加者用の控え場所が並んでいる。武器を手入れする冒険者、仲間と作戦を話し合う者、緊張した面持ちで受付を待つ者。普段の依頼では見かけないほど多くの冒険者が集まっていた。
「うわあ……すごい人だね!」
コハクは獣耳をぴんと立て、会場を見回した。尻尾も興奮を隠せないように揺れている。
「強そうな人もいっぱいいるよ。ねえ、恒一! あの人、すごく大きい!」
「コハク、観光に来たわけじゃないんだからな」
「わかってるよ! ちゃんと調査もするもん!」
そう答えながらも、コハクの視線は屈強な冒険者たちを追いかけていた。
恒一は苦笑し、手元の参加証を確かめた。
今回の武闘会は、冒険者なら誰でも参加できる。予選を勝ち抜いた者が本戦へ進み、最終的に優勝者が決まる仕組みだ。参加人数が多いため、予選は複数の組に分けて行われることになっていた。
「まずは自分の試合に集中しましょう。予選の組み合わせは、あちらに掲示されているようです」
エレナが掲示板を指さした。
恒一たちが近づくと、参加者の名前と試合順が記された紙が貼り出されていた。周囲では、自分の名前を見つけて歓声を上げる者や、対戦相手を確認して険しい顔になる者がいる。
「黒瀬恒一……あった」
恒一の名前は、第三組に記載されていた。
「対戦相手は、グレゴルという人みたいですね」
セレスが名簿を確認する。
「過去の戦績までは書かれていないわね。どんな戦い方をするのか、実際に見て判断するしかなさそう」
エレナは周囲の参加者に目を向けた。
そのとき、少し離れた場所から声がかかった。
「おい、黒瀬。お前も第三組か」
ダリオだった。
彼は参加証を指先で弾きながら、恒一の名前が記された部分を見ていた。
「お前がどこまでやれるのか、少しは見せてもらえそうだな」
「俺は勝ち進むことだけが目的じゃないからな」
「また調査とやらか? 武闘会に出る以上、勝つつもりくらいはあるんだろう?」
「もちろん。簡単に負けるつもりはないよ」
恒一が答えると、ダリオはわずかに口元を歪めた。
「なら、せいぜい頑張ることだ。俺はお前より上へ行く」
言い終えると、彼は自分の仲間たちのもとへ戻っていった。
「相変わらずね」
リゼリアが呆れたように呟く。
「でも、ダリオさんも真剣なんだと思います。ここで実力を示したいのでしょう」
エレナはそう言いながらも、少し心配そうに恒一を見た。
「恒一さんも、無理はしないでくださいね。調査が目的だからといって、わざと負ける必要もありませんけれど」
「わかってるよ。できる範囲で戦うさ」
恒一は笑顔を見せた。
彼にとって、武闘会は腕試しだけの場ではない。失踪事件の手がかりを探し、グレイヴの目的を見極めるための機会でもある。だが、勝負に集中できなければ、相手の不審な動きを見抜くことも難しいだろう。
「恒一、頑張ってね!」
コハクが両手を握りしめた。
「応援してるから!」
「ありがとう」
「私も見ているわ。あなたがどんな戦い方をするのか、楽しみにしているもの」
リゼリアはいつものように余裕のある笑みを浮かべた。
「ただし、怪我をしたら後で叱るから」
「応援なのか、忠告なのか、どっちなんだ……」
「両方よ」
リゼリアは迷いなく答えた。
そのやり取りに、セレスとフィリアが小さく笑う。
「恒一さんらしいですね」
「ええ。周囲の期待に応えようとして、つい頑張りすぎないといいのですが」
「フィリアまで……」
恒一が困った顔をすると、フィリアは少しだけ頬を赤くして視線をそらした。
「心配しているだけです。仲間が予選で無茶をして負傷したら、調査にも支障が出ますから」
「はいはい。わかったよ」
恒一は苦笑し、試合開始の合図を待つことにした。
*
やがて、会場の中央に主催者側の係員が現れた。
「これより、武闘会の予選を開始します! 参加者は指定された順番に従い、各試合場へ移動してください!」
歓声と拍手が広場に響いた。
予選では、相手を戦闘不能にするか、降参させるか、審判が続行不可能と判断した場合に勝敗が決まる。殺傷を目的とした攻撃は禁止されており、危険な行為があれば即座に試合を止めるという説明もあった。
「思ったより、きちんとした規則があるんですね」
セレスが少し安心したように言った。
「規則があることと、安全であることは別よ」
リゼリアは会場の隅に視線を向けた。
「警備の配置も確認しておきましょう。武闘会の運営に不審な点がないか、見る必要があるわ」
「そうですね。私は係員の動きと、参加者の入退場を確認します」
エレナが応じた。
「私は魔力の流れを調べてみます。会場に何か仕掛けがあれば、わずかな変化でも見つけられるかもしれません」
フィリアはそう言って、闘技場の周囲を見渡した。
「ただ、これだけ大勢が集まっていると、魔力反応も多いはずです。すぐに異常を特定できるとは限りません」
「それでも、何もしないよりはいいね」
恒一は頷いた。
調査は仲間たちに任せ、自分は試合に集中する。何かあればすぐに連絡を取り合う。それが、事前に決めた方針だった。
「第三組、第一試合! グレゴル選手、黒瀬恒一選手、試合場へ!」
係員の声が響いた。
「呼ばれたな……」
恒一は一度、深く息を吸った。
「行ってくる」
「うん! 頑張って!」
コハクが大きく手を振る。
リゼリアは恒一の手を取ると、その甲にそっと指を添えた。
「焦らず、相手をよく見なさい。あなたの力は、使いどころを間違えなければ十分に役立つわ」
「ああ。ありがとう、リゼリア」
恒一は仲間たちに背を向け、試合場へと歩き出した。
*
試合場に上がると、対戦相手の男が待っていた。
グレゴルは二メートル近い大柄な体格で、厚い革鎧を身につけている。手には幅広の剣。全身から、数々の戦いを経験してきた者特有の落ち着きが感じられた。
「お前が黒瀬か。ずいぶん若いな」
「黒瀬恒一です。よろしくお願いします」
「礼儀正しいのは結構だが、試合では遠慮するなよ。俺も手加減はしない」
「わかりました」
二人が距離を取ると、審判が中央に立った。
「両者、準備はいいか?」
二人が頷く。
「それでは――始め!」
開始の合図と同時に、グレゴルが踏み込んだ。
大柄な体格からは想像できないほど素早い動きだった。幅広の剣が横薙ぎに振るわれ、恒一は身を引いてその一撃をかわす。
剣が風を切る音が耳元を通り過ぎた。
「おっと……!」
恒一は距離を取り直した。
相手の剣は重い。正面から受け止めれば、腕に大きな負担がかかるだろう。
グレゴルは追撃せず、剣を構え直した。
「逃げ足は悪くないな。だが、いつまでも避けていられると思うなよ!」
再び踏み込んでくる。
今度は上段からの振り下ろし。恒一は横へ移動してかわし、相手の脇へ回り込もうとした。
しかし、グレゴルはすぐに体の向きを変え、剣の柄で恒一の進路を塞いだ。
「そう簡単には近づかせん!」
「なるほど……!」
力任せに振り回しているわけではない。相手の動きを読み、間合いを保ちながら戦っている。経験豊富な冒険者という評判は、どうやら本当らしい。
恒一は攻め急がず、相手の足運びを観察した。
グレゴルの剣が再び迫る。
その瞬間、恒一は《空間固定》を発動した。
剣そのものを止めるのではない。相手の踏み込みに合わせ、足元のわずかな空間を固定する。
グレゴルの動きが、一瞬だけ鈍った。
「なにっ?」
ほんの短い隙だった。
恒一はその間に懐へ入り、相手の胴へ手を伸ばす。だが、直撃する寸前で拳を止めた。ここで力を込めれば、相手を必要以上に傷つけるおそれがある。
代わりに、肩へ軽く押し当てるようにして体勢を崩した。
グレゴルの足がもつれ、大きな体が片膝をつく。
「そこまで! 勝者、黒瀬恒一!」
審判の声が響いた。
一瞬の静寂のあと、観客席から拍手が起こった。
「今のは何だ?」
「剣を受けずに懐へ入ったぞ!」
「★1の時空士って聞いたが……あんなことができるのか?」
ざわめきが広がる中、恒一はグレゴルへ手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?」
グレゴルは一瞬驚いた顔をしたあと、その手を取って立ち上がった。
「問題ない。……なるほどな。お前の戦い方、少し変わっているな」
「まだ練習中ですよ」
「謙遜するな。あの一瞬、足元の感覚が妙になった。何かの技か?」
「そんなところです」
恒一は詳しい説明を避けた。
グレゴルは追及せず、豪快に笑った。
「面白い。勝ち進めよ、黒瀬。次に戦う機会があれば、今度はそう簡単に崩れんぞ」
「そのときは、よろしくお願いします」
二人は短く握手を交わし、試合場を後にした。
*
控え場所へ戻ると、コハクが真っ先に駆け寄ってきた。
「恒一! すごかったよ! あの大きな人が、急に動けなくなったみたいだった!」
「ありがとう。相手が油断してくれたわけじゃないけど、うまく隙を作れたよ」
「ううん、ちゃんと見てたよ! 恒一が相手の動きをよく見て、タイミングを合わせたんでしょ?」
コハクの言葉に、恒一は少し驚いた。
「よくわかったな」
「えへへ。恒一のこと、ずっと見てたもん!」
「……そういう言い方をすると、別の意味に聞こえるわよ」
リゼリアが静かに口を挟む。
「え? どういう意味?」
「コハクはそのままでいいのよ」
リゼリアは小さく笑い、恒一の腕にそっと手を添えた。
「お疲れさま。無理はしていないでしょうね?」
「大丈夫。少し緊張したけど、怪我もないよ」
「なら、いいわ」
リゼリアは安心したように頷いた。
その横で、フィリアが真剣な表情を浮かべていた。
「恒一さん。今の《空間固定》ですが、発動した瞬間、周囲の魔力に小さな揺らぎがありました」
「何か気になることでも?」
「まだ断定はできません。ただ、試合場の床にも、ごくわずかな魔力反応があったんです」
恒一の表情が引き締まった。
「床に?」
「ええ。最初は参加者たちが魔法を使った影響だと思ったのですが、恒一さんの技が発動したとき、床の反応も一瞬だけ強くなりました」
エレナが周囲を警戒しながら言った。
「偶然かもしれないけれど、念のため調べたほうがよさそうね」
「私も、観客席の出入口付近で気になる動きを見ました。係員の一人が、試合の合間に何度も同じ場所を確認していたんです」
セレスが続ける。
「まだ不審と決めつけるほどではありません。ただ、記録しておきました」
恒一は仲間たちを見回した。
自分の試合に集中している間にも、彼女たちは調査を進めてくれていたらしい。
「ありがとう。俺も次の試合では、会場の変化に気を配るよ」
「ただし、試合中に周囲ばかり気にしないこと。目の前の相手に集中するのも大切よ」
リゼリアの言葉に、恒一は頷いた。
「わかってる。無理はしないよ」
そのとき、会場内に次の試合を告げる声が響いた。
武闘会は順調に進んでいるように見える。観客は歓声を上げ、参加者たちは互いの実力を競い合っていた。
しかし、フィリアが確認した床の魔力反応。そして、セレスが目撃した不審な係員。
どちらも、まだ事件と結びつく証拠はない。
恒一は試合場へ視線を向けた。
この武闘会は、本当にただの腕試しなのだろうか。
その答えを探るためにも、まずは勝ち進み、会場の内側で何が起きているのかを確かめなければならない。
予選は、まだ始まったばかりだった。




