第5話 エルフの弓使いは、褒められると弱いらしい
翌朝。
「恒一、起きて。今日はエレナとの約束があるでしょう?」
「……あと五分」
「昨日も聞いたわ、その言葉」
布団を引っ張られ、俺は渋々目を開けた。
目の前には、銀髪の美少女リゼリアが腰に手を当てて立っている。
「ふふん。今日は二度寝させないわよ」
「はいはい、わかったよ」
「返事は一回!」
「わかった、リゼリア」
「……よろしいわ」
満足そうにうなずいた彼女は、俺がベッドから起き上がると、今度は服の袖をつまんだ。
「ところで、今日の依頼が終わったら、少し買い物に付き合ってくれない?」
「買い物? もちろんいいけど、何を買うんだ?」
「それは秘密よ。楽しみにしていてちょうだい」
リゼリアは人差し指を唇に当て、意味ありげに笑った。
何を企んでいるのかは分からないが、彼女が楽しそうなので、あえて聞かないことにした。
◇
朝食を済ませて冒険者ギルドへ向かうと、エレナはすでに入口で待っていた。
緑色の髪を後ろでまとめ、背中には弓と矢筒を身につけている。
「おはようございます、黒瀬さん。リゼリアさん」
「おはよう、エレナ。待たせてごめん」
「いえ、私も今来たところです」
そう答える彼女の足元には、飲み終えたらしい果実水の瓶が二本置かれていた。
「……もしかして、結構待った?」
「そ、そんなことはありません」
エレナは視線をそらした。
その様子を見て、リゼリアがくすりと笑う。
「エレナ、恒一に会うのを楽しみにしていたのね?」
「ち、違います! 依頼の打ち合わせをするために早く来ただけです!」
「あら、そう?」
「そうです!」
きっぱり言い切るエレナだったが、尖った耳の先はほんのり赤くなっていた。
リゼリアはそれ以上追及せず、俺の腕にそっと自分の腕を絡める。
「さあ、行きましょう。今日も三人で頑張るわよ」
「ああ。よろしくな、二人とも」
こうして俺たちは、エレナの案内で街の北側にある森へ向かった。
◇
「今日は、昨日見つけた足跡の続きを調べたいと思います」
森へ入ると、エレナは地面を確認しながら説明を始めた。
「昨日のグレイファングは、普段ならこの辺りには現れません。もっと奥の岩場を縄張りにしているはずです」
「縄張りを離れていたってことか?」
「はい。何かに追われた可能性もあります」
リゼリアの表情が引き締まった。
「さらに強い魔物がいるのかもしれない、ということね」
「その可能性はあります。ただ、今の段階では断定できません」
エレナは小袋から、森の地図と魔物の目撃地点を記した紙を取り出した。
「数日前から、この周辺の魔物の動きを調べていました。でも、ひとりでは調査できる範囲に限界があります」
「だから、俺たちと組みたいと思ったのか」
「ええ。リゼリアさんの戦闘能力も頼りになりますし、黒瀬さんの収納能力があれば、採取した素材を持ち帰るのも簡単です」
「便利に使ってくれて構わないよ。俺も経験を積みたいからな」
そう答えると、エレナは少し驚いたように目を見開いた。
「黒瀬さんは、珍しい能力を持っているのに、あまり自慢なさらないのですね」
「自慢できるほど、使いこなせていないからな」
「それでも、昨日の戦闘では私たちを助けてくれました」
エレナは、少しだけ微笑んだ。
「私は、そういうところを尊敬します」
「えっ?」
「……な、何かおかしなことを言いましたか?」
「いや、まさか尊敬されるとは思わなくて」
「尊敬するのに、特別な理由が必要ですか?」
真顔で尋ねられ、俺は言葉に詰まった。
その横で、リゼリアが満足そうにうなずく。
「そうよ、恒一。あなたはもっと自分に自信を持っていいのよ」
「リゼリアまで……」
「だって、本当のことだもの」
リゼリアは俺の腕をぎゅっと抱きしめた。
エレナはその様子を見て、小さく笑った。
「なるほど。リゼリアさんが黒瀬さんを大切にしている理由が、少し分かった気がします」
「そ、そう?」
「はい。とても」
リゼリアは嬉しそうに微笑んだ。
どうやら、二人の仲も少しずつ深まっているらしい。
◇
しばらく進むと、森の中に小さな泉が見えてきた。
透明な水が岩の間から湧き出し、周囲には青い花が咲いている。
「ここで少し休憩しましょう」
エレナは荷物を下ろし、水筒を取り出した。
「この泉の水はきれいですし、周囲に危険な魔物の気配もありません」
「へえ、いい場所だな」
「私のお気に入りなんです」
エレナは泉のほとりに腰を下ろした。普段は落ち着いた彼女も、自然に囲まれているときは表情が少し柔らかくなる。
「エレナは、ずっとこの街に住んでいるのか?」
「いいえ。生まれは、もっと北にあるエルフの里です」
「どうして、この街に?」
「外の世界を見てみたかったんです。自分の力がどこまで通用するのか、試してみたくて」
「それで冒険者になったんだな」
「はい。でも、実際に外へ出てみると、私ひとりではどうにもならないことがたくさんありました」
エレナは自分の弓に視線を落とした。
「遠くの敵を射抜くことも、魔物の足跡を見つけることもできます。でも、強い魔物に接近されると、自分の身を守るので精いっぱいになることがあります」
「昨日の戦闘のことか?」
「はい。もっと強くなりたいんです。誰かに守られるだけではなく、仲間を守れる弓使いに」
その言葉には、彼女の真剣な思いが込められていた。
俺は少し考えてから、口を開いた。
「いい目標だと思うよ。でも、仲間に守ってもらうことと、仲間を守れないことは同じじゃない」
「え?」
「俺だって、リゼリアがいなかったら昨日の戦闘は危なかった。エレナの弓がなければ、俺たちも苦戦していたと思う」
「それは……」
「得意なことが違うから、協力する意味があるんだろう? 誰かひとりですべてできる必要はないと思う」
エレナは黙って俺を見つめていた。
「もっと強くなるのはいいことだ。でも、今の自分を否定する必要はないよ」
やがて彼女は、ゆっくりと顔を伏せた。
「黒瀬さんは……不思議な方ですね」
「そうかな?」
「はい。私は、努力しなければならないとばかり考えていました。誰かに頼ることは、弱さの証拠だと思っていたのかもしれません」
エレナは小さく息を吐いた。
「でも、あなたの話を聞いて、少し気が楽になりました。ありがとうございます」
「それならよかった」
彼女は照れくさそうに微笑んだ。
いつもの冷静な表情とは違う、年相応の柔らかな笑顔だった。
そのとき、俺の視界の端に見慣れない文字が浮かんだ。
《契約対象外の人物との信頼関係を確認》
《空間操作:応用適性を検出》
《既存スキル《空間固定》との連動可能性あり》
「……空間固定?」
思わず声に出してしまった。
「恒一、どうしたの?」
リゼリアが不思議そうにこちらを見た。
「いや、ステータスに新しい表示が出たんだ」
俺は空中に浮かぶ表示を確認した。
《空間固定》
《一定範囲の空間を一時的に固定し、対象の移動や位置変化を制限する》
《現状:制御精度不足》
《高度な応用には、さらなる習熟が必要です》
「なるほど……。スキルそのものが増えたわけじゃなくて、使い方の可能性が分かったのか」
俺がつぶやくと、エレナが興味深そうに身を乗り出した。
「空間を固定できるなら、敵の動きを封じることもできるのでしょうか?」
「理屈の上では可能かもしれない。でも、今の俺にはまだ使いこなせそうにないな」
「それでも、すごい能力です。黒瀬さんの力は、私が想像していた以上に奥が深いのですね」
「まだ分からないことだらけだけどな」
「だからこそ、興味深いのです」
エレナの瞳が輝いていた。
俺は苦笑しながら、表示を閉じた。
新しい力を得たわけではない。それでも、自分のスキルに知らない使い道があると分かっただけで、大きな前進だった。
「……恒一」
隣からリゼリアの声がした。
「エレナと話すのはいいけれど、そろそろ出発しない?」
「ああ、そうだな。休憩も十分だし」
「ええ。そうしましょう」
リゼリアは立ち上がり、俺の手を取った。
その手は、いつもより少しだけ強く握られていた。
俺は苦笑しながら、その手を握り返した。
◇
泉を離れてさらに奥へ進むと、エレナが突然足を止めた。
「……おかしいですね」
「どうした?」
「この先に、かすかな魔力の反応があります。ですが、魔物の気配とは少し違います」
彼女の案内で木々の間を抜けた先には、半ば土に埋もれた石造りの遺跡があった。
崩れかけた柱の中央に、小さな石板が置かれている。
「こんな場所に遺跡が……」
エレナが驚いたようにつぶやいた。
「地図には載っていないのか?」
「はい。長い間、見つからずに残っていたのかもしれません」
リゼリアが石板を慎重に観察した。
「古い術式の痕跡があるわ。すぐに危険が起こるようには見えないけれど、慎重に調べたほうがいいわね」
「まずは周囲を確認しましょう」
エレナは地面や柱を調べ、不自然な仕掛けがないことを確かめた。
「今のところ、危険はなさそうです」
俺は石板に近づいた。
表面には、円と線を組み合わせたような模様が刻まれている。
文字ではない。
だが、なぜか見覚えがあるような気がした。
「……この模様、空間操作の表示に似ているな」
その瞬間、石板が淡く光った。
「えっ?」
石板から細い光が伸び、目の前の空間に吸い込まれていく。
次の瞬間、俺の視界に新たな表示が浮かんだ。
《古代空間術式の残滓を検出》
《空間操作との適合性を確認》
《情報の一部を取得しました》
続いて、見慣れない図形がいくつも現れた。
空間の位置を示す座標。距離を表す数値。そして、複数の空間を結びつけるような線。
頭の中に、何かの知識が流れ込んでくる。
空間を収納する。
空間を固定する。
そして、空間そのものをひとつの部屋として形成する。
最後の項目を認識した瞬間、俺は息をのんだ。
《固有異空間:構築条件の一部を取得》
《現在の能力では構築できません》
《能力制御の習熟および信頼関係の深化が必要です》
「固有異空間……!」
思わず声が出た。
もし自分だけの空間を作れるなら、荷物を収納するだけでなく、休める場所を作ることだってできるかもしれない。
いつかはベッドやソファを置き、風呂や台所まで備えた部屋を作れるかもしれない。
現代日本の生活に近い、落ち着ける場所。
そして、仲間たちと一緒に過ごせる場所。
そんな光景が頭の中に浮かんだ。
「恒一?」
リゼリアの声で我に返った。
「大丈夫? 顔色が変わったわよ」
「ああ、大丈夫。すごいものを見つけたみたいだ」
俺は二人に、石板から得た情報を簡単に説明した。
「自分だけの空間を作れる……?」
エレナは驚きを隠せない様子だった。
「そんな術式、聞いたことがありません。空間収納の魔道具ならありますが、内部に部屋を構築するなんて……」
「私も知らないわ」
リゼリアも真剣な表情で石板を見つめていた。
「でも、恒一の能力なら可能なのかもしれないわね」
「まだ、いつ使えるようになるかも分からないけどな」
「それでも、楽しみだわ」
リゼリアは俺に微笑みかけた。
「もし本当に部屋を作れるようになったら、私も一緒に入れるの?」
「それは……どうなんだろう」
「ベッドは大きいものにしてね。それから、お茶を飲める場所も欲しいわ」
「まだ作れると決まったわけじゃないんだけど」
「作れるようになったときの話よ!」
リゼリアは頬を膨らませた。
「恒一が作る部屋なら、私も一緒に考えたいもの」
その言葉に、俺は思わず笑ってしまった。
「そうだな。いつか作れるようになったら、一緒に考えよう」
「約束よ?」
「ああ、約束」
リゼリアは嬉しそうに笑った。
エレナも、どこか羨ましそうに石板を見つめていた。
「……その空間が完成したら、私も見学させていただけますか?」
「もちろん。完成したら、ぜひ」
「ありがとうございます。楽しみにしています」
俺は石板をもう一度見つめた。
この能力は、ただ戦闘で役立つだけのものではないのかもしれない。
いつか仲間たちが安心して過ごせる場所を作れるのなら、それも立派な冒険の目標になる。
◇
遺跡の調査を終え、俺たちは街へ戻った。
ギルドへの報告では、森の魔物の動きに異常があったことと、未知の遺跡を発見したことを伝えた。ただし、俺の能力については詳しく話さなかった。
自分でも、まだ整理できていないことが多すぎる。
報酬を受け取ったあと、エレナが俺たちに向き直った。
「今日は本当にありがとうございました。お二人と一緒でなければ、遺跡を安全に調査することは難しかったと思います」
「こちらこそ。エレナのおかげで森のことがよく分かったよ」
「……そう言っていただけると、嬉しいです」
彼女は少し照れたように笑った。
「もしご迷惑でなければ、これからも一緒に依頼を受けたいのですが……」
「俺は歓迎するよ。リゼリアは?」
リゼリアは少し考えてから、エレナに手を差し出した。
「私も歓迎するわ。エレナは頼りになるし、一緒にいて楽しいもの」
「リゼリアさん……」
「ただし、恒一を無理に連れ回すのは駄目よ? 休息も大切なんだから」
「もちろんです。黒瀬さんの体調には気を配ります」
「なら、決まりね!」
リゼリアはにっこり笑った。
エレナもその手を取り、微笑み返す。
「これから、よろしくお願いします」
「ああ。こちらこそ、よろしく」
こうして俺たちは、これからも三人で依頼を受けることになった。
◇
その日の夕方。
約束どおり、俺はリゼリアと街の商店を回っていた。
「それで、今日は何を買いたいんだ?」
「ふふっ。これよ!」
リゼリアが指さしたのは、小さな雑貨店だった。
店先には髪飾りやブレスレット、可愛らしい小物が並んでいる。
「髪飾り?」
「ええ。せっかくだから、何か記念になるものが欲しくて」
リゼリアは棚を見回し、赤い石のついた銀細工の髪飾りを手に取った。
「これ、どう思う?」
「似合うと思うよ。リゼリアの髪にも合いそうだ」
「……本当?」
「うん。すごく綺麗だ」
リゼリアは髪飾りを胸元に寄せ、嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、これにするわ」
会計を済ませると、彼女は俺の前に立った。
「ねえ、恒一。つけてくれる?」
「俺が?」
「ええ。せっかく買ったんだもの」
俺は髪飾りを受け取り、彼女の銀色の髪にそっと留めた。
赤い石が夕日の光を受けて、きらりと輝く。
「……どうかな?」
「よく似合ってるよ」
リゼリアは鏡を見て、それから俺を見上げた。
「ありがとう。大切にするわね」
「気に入ってくれたならよかった」
彼女は少し迷ってから、俺の手を取った。
「ねえ、恒一。今日の記念に……手をつないで帰ってもいい?」
「もちろん」
俺が答えると、リゼリアは満面の笑みを浮かべた。
「ふふっ。じゃあ、離さないわよ?」
「はいはい」
「もう、またそうやって軽く返事をするんだから!」
そう言いながらも、彼女は嬉しそうに俺の手を握った。
俺たちは夕暮れの街を、ゆっくりと歩いて帰った。
新しい仲間ができた。
そして、自分の能力にも新たな可能性が見え始めた。
この世界で俺が何を成し遂げられるのかは、まだ分からない。
けれど、隣で笑うリゼリアと、信頼できる仲間たちがいる。
それならきっと、これからの冒険も悪くない。
そう思いながら、俺は彼女の手を握り返した。




